顔合わせ  2


 おばさんがにんまり笑いかけてきた。


 なんだか嫌な予感がする。


「竜、心咲……もうすぐ中間テストなんじゃないかしら」


 知らんなぁ……。


「すっとぼけてんじゃ無いわよ。竜、あんた絶対ノー勉でしょ。教科書だけでもパラパラ読んどきなさい」


 置いてあった教科書を受け取り、心咲に今回のテスト範囲を教えもらう。


「……ん?ここ中学校でやらんかった?」


「復習テストと聞いたが」


「ふーん」


 適当にページをめくってゆくと、マーカーが引かれた文字を発見。


「……〈徳川とくがわ 慶喜けーき〉?」


「〈慶喜よしのぶ〉な。中学校でやった内容じゃなかったのか?」


「いやーもうほとんど覚えて無いよ」


 笑い声に顔を上げると、いつの間に始めたのかトランプの手を止めて、ヒマ、レイ、おばさんが俯きプルプルしていた。


「こんなの将来絶対使わないって……」


「漢字の読みは必要だぞ」


「そんときゃヨロシク!」


「アホか」



●●●●



「今度はアパートに来てほしいなー」


 帰り道、ひまが呟いた。


 今日一番おばさんと仲良くなったのはひまのようだ。


「心咲さん達は普段アパートに誰か呼んだりしないんですか?」


 心咲と顔を見合わせる。


「呼ばんよねぇ」


「呼ばねぇなぁ」


「ふーん。……あっ」


「ん?……おぉ……」


 ひまにつられて顔を上げると、灰色の雲が焼けるような赤に染められている。


 見事な夕焼けだ。


 揃って立ちつくし空を見上げる。


「……空をこうやって見上げるの、すごく久しぶりな気がする」


 ソウが呟いた。


 雲の隙間、深い宇宙の闇の果てから顔を覗かせる小さな星が、この空が1枚の絵じゃないことを気づかせる。


 

「っ!?」


 突然鳴ったメールの着信音が、俺達を地上へ引き戻した。


 それは、父からのメールだった。


 『帰ってきなさい』から始まり、説教が延々と続く文章に顔をしかめる。


「せっかくいい気分だったのに。ブロックしたろ」


 それを聞いて心咲が苦笑した。


「帰った時の束縛が強くなるぞ」


「そん時はまた逃げればいいよ。そもそも今の収入で十分食っていけてるんだから。次でかい喧嘩でもしたらそれ乗じて家出するさ」


「明後日の方向に前向きだな。表面だけでも取り繕ったら少しはマシになるんじゃないか?」


「そんな未来は無い」




 アパートに着くと、一旦猛禽兄弟は俺達の使ってる部屋の、隣の部屋に入っていった。


 人数が増えたことで狭く感じ、猛禽兄弟用の部屋を新しく借りたのだ。


 ここの大家は心咲の親父さんの知り合いだ。電気水道諸々の事を一言でどうにかしてもらって、俺達は現金渡して鍵だけ貰ってきた。


 なかなかにやばい。


 猛禽兄弟が敬語をやめず恐縮し続けているのはこれがでかいかもしれない。


 もっとも、たいした賃金取られる訳じゃ無いので財布的には痛くも痒くも無いが。


 その晩は俺も心咲もアパートに泊まった。



●●●●



 日曜の夜。


 コソッと家に入る竜をリビングで待ち受けていたのは母親である。


「良、あなた中間テストが月曜日からあるんでしょう?」


「キモッ、なんで知ってんの」


 竜は親にそのことを話した覚えは無かった。


「さっき学校に電話して聞きました。一緒に勉強しましょう」


 時刻は九時をまわっていた。


「今何時だと思ってんだよ。先生よくいたな。つーか高校生にもなってそれは無い」


 照れや反抗期でも無く、その拒絶はただの嫌悪感から出たものだった。


 しかしそれは竜にも思わぬカタチで解釈される。


「……もしかして、わからないのが恥ずかしいの?」


 出かかった「この親が恥ずかしい」は心に留めておく。


 この母親は真っ向から否定すると、かつて錯乱したことがあったのだ。


「大丈夫よ。世の中にはそうゆう病気があってね。今度一緒に病院に行きましょう」


 放置して扉を閉めると次は父とエンカウント。


「おい!お母さんが教えてくれるってのに、なんだその態度は!」


 対する竜は随分と冷めた様子だ。


「お呼びでないね。友達に教えてもらうよ」


「はっ、言ったな?なら全教科90点以上でなければ当分外出禁…」


「アホが。一生1人でルール決めとけ」


 竜はそう言い捨てると自分の部屋に閉じこもり、目を瞑って心を落ち着けようとする。


 しかしそれでもムカつきは治まらず、学校の用具を鷲掴みにするとアパートへ帰っていった。

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