13.セグナル温泉(マナス王国東部州イーフインスキ地方)


 東部州の南部海岸沿いに一風変わった温泉がある。イーフインスキ地方にあるその温泉の名をセグナルという。


 スタンフォード家の家臣である男爵家の領地で、私も何度か行ったことがある。

 それほど広い領地ではないけれど、砂浜が広がっていて海水浴ができるとあって訪れる人々も多い。

 男爵家自体が武門の家でもあるので、治安は悪くはない。その結果、どこか家庭的な雰囲気がある町となっている。


 さてそんなセグナルで私たちは「シャーラック」という宿に泊まっている。宿自体はビーチまで歩いて5分のところにあるけれど、この宿はビーチに面したところにも休憩場所兼温泉施設を持っている。


 チェックインしてから早速その温泉施設にやって来たわけだけど、風通しの良い日陰テントの下で今私が何をしているかというと、横になっているロナウドが砂に埋めてもらっているのを見ているところだった。


 そう。ここの温泉の名物は砂蒸しなのだ。


 かくいう私も、素肌の上に専用の湯着をきて順番を待っている。それにしても……。このロナウドの姿を見ていると思わず笑いがこみ上げてくる。タオルを巻いた頭だけを出して砂に埋もれているのは、何とも間抜けな姿だ。どこか子ども時代に戻ったような可笑おかしさがある。

「次の方どうぞ」

という温泉の人の声に返事をしてロナウドの隣に横になった。


「おもしろいな。ここ」と埋もれているロナウドに話しかけられる。「確かに」と笑う私の体の上に、スタッフの人がどんどん砂を掛けてくる。ドサッと掛けられた砂がズッシリと重い。慣れた手つきで遠慮の欠片も無く、あっという間に私の首から下が埋められた。

 身体の上に載せられた重たい砂から、そして下の砂からもジワジワと熱が伝わってくる。頭上のテントの布地を見上げながら「あ~、ぬくいぬくい」と言うと、スタッフのおばちゃんが笑っていた。


「ここの温泉はね。ダイエットにも健康にも美容にも良いんだってさ」とは、おばちゃんの言だ。

 すでに私は何回か経験があるからわかるけど、最初はジワジワ、やがてカッと燃えるようなこの熱さが美容効果をもたらしてくれていると思う。

「すごく汗を掻きますよね」と言うと、

「そうそう。それが……なんだっけ。魔王陛下がデックスだとかなんとか言っていたらしいけど、血液の循環を助けて老廃物を洗い流してくれるんだってさ」

「へぇ」


 きっとここの砂蒸しは砂遊びが始まりだと思う。けれど、その砂蒸しの具体的な温泉効果を知っている魔王の知識は凄いと思う。

 チキュウとかいう異世界の出身とは聞いていたいたが、お陰で私たちの暮らしも実に豊かになった。フリージアのことと言い、そのことには感謝したいと思う。

 年下なんだけどね。やんちゃだけど苦労人という、見ていて面白い男の子だ。


「楽しんでね」とおばちゃんが離れていった。しばしの静けさ。頬には緩やかな海風、そして耳には波の音と海水浴を楽しむ人々の声が聞こえてくる。そんな海辺で、砂に埋まっている私たち。

 10分か15分くらいがたったろうか。再びおばちゃんがやって来て、ロナウドに「そろそろ起き上がった方が良い」と言う。「あ、はい」と砂を崩して上半身を起こしたロナウドが、大きな欠伸をした。汗を吸って黒くなった砂をこびりつかせて、今度はまだ埋もれている私を見下ろしている。


「ははは。こんなセシルを初めて見た。絵にしておきたいくらい面白いな」と笑っている。「それは勘弁」というと、「今ならいたずらできるな」と返される。

 その時おばちゃんが笑いながら「アンタもそろそろだよ」と教えてくれたので、私も上半身を起こしたのだった。

「ふう。危ない危ない」と笑うと、「なんだ。残念」とロナウドが笑った。


 砂だらけになった身体だけど、短い間に随分と汗を掻いたようだ。火照った肌に海風が冷ややかで心地よい。顔を上げると、キラキラと輝く海を背景に海水浴を楽しんでいる人たちの姿があった。

 うん。私たちも明日は海水浴にしよう。

 内心でそう決めつつ、ひとまず砂を落としにシャワールームへと向かった。男女別のシャワールームから、そのまま内湯へと入る。


 タイル張りの浴槽は季節によって温度が調整されていて、この時期はぬるめのお湯だった。なめるとしょっぱい塩分を含んだ温泉で、関節痛や神経痛、打撲に捻挫、冷え性や女性の月のものなどによいと聞く。

 一番の特徴は、とにかくよく温まること。……らしいのだけれど、今日はすでに身体が温まっているので、さっと入ってすぐに上がることにしよう。


 脱衣場で軽装に着替え、宝杖クレアーレを腰に下げたら外に出る。早めに出てきたつもりだけれど、やっぱりロナウドの方が先だったようだ。

「お待たせ。……暑い」「夏だからな」とロナウドが笑う。地面には木々の影が色濃く落ちている。ロナウドが「陽射しも強いし。そこで氷でも食べていくか」というので、すかさず「賛成」と言う。

 2人の間で合意が取れたので、近くのお店でクラッシュアイスのシロップがけを食べることにした。


 魔法で水を凍らせて細かく砕き、そこに果汁を加えたシロップを掛ける。暑い夏には人気のスイーツだ。もっとも調子に乗って食べ過ぎるとお腹を下すので程々にしないといけない。

 お店の中から外を眺める。日陰となっている店内とは対照的に、外は太陽が照りつけている。その熱がじりじりとここまで伝わってくるようだ。

 道行く人々は日に焼けていて開放的な服装をしている。暴風林の向こうから人々の声が、そして夏場特有の虫の鳴き声が聞こえていた。スプーンでクラッシュアイスを一口。シャリシャリとした氷。火照った体がすっと冷めていく。

 ああ……、夏だなぁ。そんなありきたりな言葉しか出てこないけれど、まあ、そんなものだろう。

 食べ終わってから、つばの広い帽子をかぶって灼熱の太陽の下へと出ていく。そのまま宿へと向かった。


 今回泊まっている部屋は、4階という高層の部屋だった。周囲が2階までの建物が多いために頭が2つほど飛び出て見えるけれど、ここから見える眺めは良好の一言。

 並んだ屋根の向こうに砂浜が、そしてずっと水平線まで海がつづいて、空が広がっている。水平線から一定の高度のところに雲が横一直線に並んでいて、いかにも夏! というような景色。


 窓を開けると、海風が人々の声とともに入ってきて、行楽地気分を盛り上げてくれる。私とロナウドは、冷たい飲み物を飲みながら海を行く船を眺めて過ごした。


 太陽が灼熱色をして水平線の向こうに去って行くと、今度は空の青が濃くなっていく。一番星に続いて星々が煌めき出す頃、夕食をとりに食堂に向かうことに。


 晴れた夏の夜ということもあってか食堂の外に席が出されていて、すでに何人もがビールを片手にしていた。これも夏の風物詩といえるだろう。私もモーラス島で購入した濃い赤の布地に花柄のワンピースにした。ロナウドはお揃いの柄のシャツだ。

 手近なテーブルに座り、さっそくビールで乾杯。ここの名物は魚介類の煮込み料理ブイヤベースだ。特にこの地方ではエビの味噌をベースにしていて、とても濃厚な旨みとなっている。一緒に煮込む白身魚も貝も、プリプリしたイカも、そして玉ねぎなどの野菜も、どれもこれもが美味しい。私のお薦めは、このブイヤベースに冷やした白ワインを合わせてマリアージュして楽しむこと。


 そんなわけで迷いなくブイヤベースと、カジュアルだけどお気に入りの白ワインのロノ・バロテックを注文。スタンフォード領の白で、すっきりした酸味の中に柑橘系の香りを感じるワインである。

 その前のつまみとしては、ロナウドが鳥の串焼きと野菜のマリネを注文。すぐに持って来てくれたマリネをいただきながら、ビールグラスを傾けた。


 店内を眺めると、私たちと同じ冒険者も、地元の人もみんなラフな格好になって、料理を楽しんでいる。不意に「そろそろ始まるよ」との声が聞こえてきた。

 なんだろうと思っていると、突然、空に爆発音が……。見上げると、海の方の夜空に、魔法だろうか、色とりどりの光が舞っていた。


 またドーンと音がして光が舞う。初めて見た光景に息を飲むが、周りの人はそれを見て歓声を上げていた。ちょうど店員さんが串焼きを持って来たので聞いてみると、魔法ではなくて、錬金術の応用で生み出された使い切りの道具で「花火」というらしい。

「昨年からですが、今の時期にはピッタリの演出でしょう」

「確かに」

 また粋なものが創り出されたようだ。しばし無言で花火を眺めていると、不意にロナウドが、ぽつりと「オーロラの時と一緒だ」と言う。

「なんのこと?」

「いや、な……。ここから見ると、花火とセシルが一緒に見られて、なんだか綺麗だ」


 突然なんてことを言うのでしょう、この人は。ちょっと返答に困る。なので、「ロナウドだっていつも格好いいよ」と言うと、照れたように頭をかいた。そんな様子が妙に可愛らしく見える。……ちょっと酔ってきたのかもしれない。

 そっと微笑む。立ち上がって椅子をロナウドのすぐ隣に移動させて座り、そして寄りかかりながら並んで空を見上げる。


 世界には様々な町がある。どこも人が住んでいる。様々な生活があり、文化がある。その世界をこうして旅をして、同じ景色を見て、同じ料理を楽しむことができる。1人ではなく2人だということ。同じ時を過ごせる人がいるということ。それって幸せなことだと思う。

 いつまでもこの時間が続けばいい。そう思いながら、花火の光に照らされたロナウドをチラリと見る私だった。

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