第19話「大きな指輪」
19話「大きな指輪」
サァー………。
流れる水の音が聞こえる。
あぁ、今日は雨なのだろうか。
雨の日は朝が少しだけ億劫になってしまう。
もぞもぞと寝返りをうつと、花霞は自分の体のだるさを感じた。花霞は憂鬱な気分になりながら、目を開けた。
すると、隣りには椋が横になっていた。
彼の顔を見つめていると、花霞は昨晩の事を思い出してしまい、頬を染めてしまった。けれど、彼と本当の夫婦になった事、一緒に深い夜を過ごせた事が堪らなく幸せに感じたのだ。
ニヤついてしまう顔を何とか抑えながら、花霞は寝室にある時計を見た。普段起きる時間より早い時刻が表示されていた。
彼の隣で2度寝して余韻に浸っていたいなと思ったけれど、胸がドキドキしてもう眠れないだろうとも花霞は思い、そのまま起きる事にした。
ベットで体を起こすだけで彼は起きてしまう。それはいつもの事だったけれど、今日も起こさないようにゆっくりとベットを出た。
恐る恐る後ろを見ると、彼はまだ寝ているようで微かに寝息が聞こえてきたのだ。
「椋さんが………ね、寝てる………。」
花霞は驚いて声を出してしまった。
慌てて手で口を塞いだけれど、小声だったからか、椋が起きることはなかった。
こんなに熟睡している彼を見ることは今までなかったので、花霞はまじまじと彼の顔を見つめた。幼くて優しい表情で思わず「可愛い。」と思ってしまった。年上の男性にそんな事を言うのは失礼かもしれない。けれど、そう思ってしまったのだ。
花霞は彼の貴重な姿を見て、思わず笑みがこぼれた。
しばらく、椋の寝顔を堪能した後。
花霞は、昨日作れなかった夕食の代わりに、朝食を作ろうと思った。材料がないと言っていたので、急いで支度をして近くのコンビニで何か買ってくれば、作れるかもしれない。
そう思って、彼を起こさないように寝室を出た。
冷蔵庫の中に何が入っているのか確認するために、リビングを通ってキッチンに行こうとした時に、フッと大きな全面ガラスの窓に目がいった。
そこには、雨粒がたくさんついており、そして天から沢山の雨が降っていた。
そろそろ雨も止むのか、遠くの空から太陽の光が洩れていた。雨水で濡れた街が太陽の光を浴びて、水晶が散りばめられたように、キラキラと光輝いていたのだ。
「わぁ…………綺麗………。」
花霞は、その美しい景色を間近で見たくなり、窓に近づいた。
晴れの場所がゆっくりと広がっていき、光りがますます眩しくなる。
街の中であっても、こんな神秘的な景色が見られるのだと、花霞は感動してしまった。
しばらくの間、その景色を見入ってしまっていた。
「………朝食作らなきゃ………。あ、スマホで写真だけ撮ろうかな。」
花霞が、少し急ぎ足で歩き始めようとした時だった。
視界がぐらりと歪んだ。
立っているのが難しくなり、花霞は「あっ…………。」と、声を出しながらそのまま倒れてしまった。咄嗟に手を着いたが、テーブルに体をぶつけてしまったようで、置いたままになっていた食器が衝撃で床に落ちて割れてしまった。
カシャンッという、大きな音が部屋に響いた。
花霞はソファをよじ登るように立ち上がろうとしたが、また目眩に襲われてしまい、気持ち悪さからそのまま床に倒れ込んでしまった。
「気持ち悪い………。どうしたんだろ………。」
花霞は荒く呼吸を繰り返しながら、ぐるぐると回る景色を見たくなく、目を瞑って冷たい床に横になった。今は自分で立つことも出来ないのだ。目眩が落ち着くまで待つしかない。
そんな風に思いながらも、床に寝ているというのに、ウトウトとしてしまう。
「か、花霞ちゃん!?」
「………ん………りょ、さん………。」
慌てて起きたのか、椋はオーバーサイズのシャツにゆったりとしたズボンという格好でこちらに駆け寄ってきた。急いで来たのか、前のボタンはすべて空いており、鍛えられた体が見えていた。
花霞はよろよろと起き上がろうとしたけれど、再度目眩に苦しみ、また目を閉じてしまう。
「ごめんなさい。………目眩が酷くて転んでしまって。食器も割れてしまったし。………それに、椋さんを起こしてしまって……折角熟睡していたのに。」
「どっちも気にする事じゃないよ。………体が熱いな。熱があるんだと思う。」
「熱………?」
椋は花霞の体を支えただけで、彼女の熱の高さを感じれるぐらい、体温が上がっていたようだった。
花霞自身は少しだるいぐらいに感じていたけれど、彼の言葉を聞いてから、少し寒気も感じ始めたのだった。
「昨日ずっと雨に打たれていたんだ。風邪をひくのも無理もないよ。」
「………すみません。私があんな事をしなければ。」
「花霞ちゃんのせいではないよ。でも、仕事は休んだ方がいいだろうね。」
「………はい。」
花霞は素直に頷いた。
目眩から立つことすらできないのだ、仕事が出来るはずもないとわかっていた。
栞の店で働き始めてから体調が悪くて休んでしまった事がないため、花霞は彼女に申し訳ないなと思ってしまう。
しかし、ソファで横になりながら電話をすると、「大丈夫なの?気にしなくていいから。花霞は全然休まないから、沢山休んでいいのよ。明日もダメそうだったら連絡してね。」と、言ってくれたのだ。親友であり、上司である栞に感謝をして花霞は1日しっかり休んで明日からはしっかり働こうと思った。
「じゃあ、寝室にいくよ。」
「あ、自分で行けますよ!」
昨晩のように、花霞を抱えようとする椋にしういうけれど、全く話しを聞こうとはしなかった。
「さっき立てなかったのに?」
「そ、それは…………。」
「いいからつかまって。」
「………はい。」
有無を言わせぬ態度に、花霞は渋々従い彼に抱き抱えられて寝室に向かった。
ベットに横になった後、体温計で熱を計ると38℃と出た。低体温の花霞にとってはかなりの高温だ。
「今日は仕事だから俺は出掛けるけど、大丈夫?」
「はい。今日は寝させてもらいます。」
「うん。そうしてて。お昼はお粥を作っておくから食べてね。お昼ぐらいに1度帰ってくるから。」
「そんな!1人で大丈夫ですよ?」
「いいから。俺が心配なだけだからさ。」
椋はそういうと、労るように花霞の髪を優しく撫でた。
「それに君が弱っているのは知っていたのに、昨晩無理をさせたのは俺だから。昨日は、いろいろ我慢できなくてごめんね。」
昨晩の事情とは何なのか。
花霞がわからないはずもなく顔が一気に赤くなる。そして、昨日の事を思い出しては彼の顔が見れなくなる。初めての経験なわけでもないのに、何故こんな気持ちになるのか、不思議だった。
「そ、それは……私がお願いしたことでもあるので。」
「あー………花霞ちゃん、可愛かったなぁー。特にあの時の切なげな表情と声と………。」
「り、椋さんっ!止めてください!恥ずかしいですっ!」
「ははは。」
からかわれているのだとわかり、抗議の声を上げると、椋は楽しそうに笑いながらすぐに「ごめんごめん。」と言って謝罪した。
「具合が悪いのにごめん。でも、可愛いと思ったのは本当だから。」
「っっ…………。」
「あ、そうだ。花霞ちゃん、左手貸して。」
「はい?」
花霞は言われた通りに彼に左手を差し出した。
すると、彼は薬指から結婚指輪を取り外してしまったのだ。花霞は驚き、ベットから起き上がろうとした。
「椋さん、どうして………。」
「大丈夫だ。………傷がついてるし、砂も入り込んでいるからお店に持っていってクリーニングしてもらうよ。」
「………それってどれぐらいかかるんですか?」
「1週間から2週間ぐらいかな?」
椋の答えに、花霞は驚きその間結婚指輪がないのが寂しいと思ってしまった。
「クリーニングしなくていい………。そのままでいいです………。」
「花霞ちゃん………。あ、そうだ。ちょっと待ってて。」
椋は何か思い付いたのか、急いで部屋を出ていった。花霞はどうしたのかわからなかったが、すぐに彼は戻ってきた。
「じゃあ、君の指輪の変わりにこれを貸してあげる。」
「………?」
そういうと、椋は花霞の首に手を伸ばして、ネックレスをつけてくれた。シルバーのチェーンには、指輪が付いていた。それは毎日見ていたものだった。
「これ、椋さんの結婚指輪。」
「うん。本当は外したくなかったけど、君になら貸してあげるよ。これなら寂しくないでしょ?」
「………でも、椋さんの指には………。」
「そうだねー………じゃあ、帰ってきたら花霞ちゃんの指輪を貸して欲しいな。同じようにネックレスにするから。」
「………わかった。ありがとう、椋さん。」
花霞は自分の首にかかる彼の結婚指輪に触れながら、ニッコリと微笑んだ。
自分の結婚指輪がないのは寂しいけれど、彼が今まで大切にしていた指輪が自分にある。
それだけで、嬉しくなってしまう。
きっと、今日は彼がいるように感じてゆっくり眠れる。そんな風に花霞は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます