第13話「アネモネの毒」






   13話「アネモネの毒」



 


 椋と出会ったのは奇跡だと思っていた。

 偶然かもしれない。

 けれど、花霞にとっては奇跡だった。


 彼と居るだけで満たされて、笑顔になれる。

 そんな椋が、あの日声を掛けてくれた。

 彼があそこに居てくれた事。自分に話しかけて助けてくれた事。


 何もかも彼がきっかけをくれた。

 選んだのは自分だけれど、椋が自分を選んでくれたからこそ、花霞は「鑑花霞」になれた。


 その幸せが、日に日に大きくなっていく。

 花霞の気持ちは、大きくなるばかりだった。





 「誕生日だからケーキを予約してたんだ。それを取りに行くつもりなんだけど………誕生日プレゼント、他に何か欲しいものはない?選ぼうと思ったんだけど、アクセサリーしか考えられなくてね。花霞ちゃんが欲しいものをプレゼントしようって思ってたんだ。」



 サプライズはウェディングドレスでしたしね、と微笑みながら椋は車を走らせていた。

 熱を帯びていた体もやっとおさまり、2人は少し気恥ずかしい気持ちになりながら、自宅に向かっていた。

 椋はケーキまで準備してくれていたようだ。ここまで盛大に祝って貰えるとは思っていなかっただけに、花霞は感動してしまっていた。



 「沢山してもらったから……プレゼントはもう貰ってますよ。」

 「花霞ちゃんはそう言うと思ってた。けど、誕生日プレゼント、何か物を送りたいんだ。29歳の誕生日に貰ったんだって、これからの何年経っても思い出せるように。何でもいいよ。」

 「………椋さん。」


 

 「やっぱりアクセサリー選んでおけばよかったかな。」と、椋は独り言を言いながら何をあげるか悩んでいる様子だった。

 


 「………じゃあ、1つだけ欲しいものがあるんですけど。お願いしてもいいですか?」

 「うん!もちろんだよ。」


 

 もしかしたら、自分から椋にお願いしたのは始めてかもしれない。特に買って貰う事は遠慮してしまう部分があった。そのためか、椋は満面の笑みを浮かべ、まるで自分がプレゼントを貰うかのように喜んでいた。

 


 






 


 「本当にそれでよかったの?」

 「うん!これが欲しかったの………嬉しいなぁー。」

 「………そっか。花霞が喜んでるならいいかな。でも、もっと我が儘言ってもいいのに。」


 

 寝る前、ベットで誕生日プレゼントで買って貰ったものを眺めていると、椋はまだ少し不満げな様子だったけれど、花霞が喜んでいるのを見て、渋々納得してくれたようだった。


 花霞が買ってもらったのは、花の図鑑だった。花の写真が詳しく載っており、咲いている時期や場所、そして花言葉などが書かれていた。

 分厚い本でフルカラーだったので、結構な値段だったけれど、椋は「本当にそれだけでいいの?もっと他に欲しいものはない?」と、花霞が我慢しているのではないかと思ったようだった。

 けれど、花霞は花の本が欲しいと思っていたし、この本が1番知りたいことが書いてあったので、見つけた瞬間に欲しいと思えたのだ。


 それに玲の家にお気に入りの花の本を置いてきてしまったと伝えると、椋はハッとした表情を見せて「わかったよ。」と、優しく頭を撫でてくれた。



 玲の家を出ることになった時、玲が花霞の荷物をまとめたため、同棲した家に忘れてきたものが多くあった。けれど、もう1度玲に会うのは怖いので、それらを諦めていたのだ。

 その中でも忘れてきて残念だったのが、花の本だった。

 


 そのため、花霞は椋に買って貰った本の図鑑が嬉しくて仕方がなく、先ほどからパラパラとページを捲っては、花を眺めていたのだ。




 「あ、この花………今、仕事でよく行くところにある花だ。まだ咲いてないけど絵が書いてある。この紫の………。」

 「あ、ラベンダーですね。」

 「へー、ラベンダーって言うんだ。知らなかった。」




 椋は寝る前に必ず筋トレをしていた。

 「警察官は体が勝負だから。」と、毎日欠かさずに行っていた。それが終わったのか、花霞の隣に座って図鑑を覗き込んだ。




 「椋さんは花は詳しくないんですね。」

 「そうだね。チューリッブとかタンポポとか桜とか……定番のものしか知らないかな。男の人はそんなものじゃないかな。」

 「確かに、そうかもしれませんね。」

 「花霞ちゃんが好きな花とかは覚えたいから教えて。あ、その色が鮮やかな花。綺麗だね。好きかも。」



 ペラペラと捲っていた図鑑で気になったものがあったのか、椋はあるページを指さして教えてくれた。


 そこには、赤や白、そして紫色の花があった。花霞ももちろん知っている花だった。



 「この花は『アネモネ』ですね。春の花ですよ。この花びらに見えるところが花びらじゃなかったり、葉っぱや茎に毒があったりと、少し不思議な花なんです。」

 「毒………。」

 「毒って言っても、そんなに強いものじゃないですけどね。」



 椋は花霞の言葉を聞いて、何故か神妙な雰囲気でアネモネのページを見つめていた。

 そして、しばらくすると苦笑しながら呟いた。



 「毒がある花に、『はかない恋』か………俺にピッタリな花だね。」



 『はかない恋』とは、アネモネの花言葉だ。椋はそれを図鑑で見つけたのだろう。



 「え…………。そんな事ないですよ。毒なんて、椋さんにあるはずないです。それに………そんな事を言わないで……。」




 どうして自分の事を悪く言っているのか。


 そして、はかない恋なのか。


 彼が理由を言わなくてもわかる。

 椋との結婚には時間が限られているのだ。幸せな時間もまた、残りが少なくなっている。

 けれど、別れたいと願わなければ続くものだと信じていた。


 それなのに、彼の言葉はいつもまるで続きがないような言い方なのだ。


 花霞は咄嗟に彼の腕をつかんでしまう。

 すると、椋は驚いた顔を一瞬見せたけれど、すぐに眉を下げて小さく笑った。



 「ごめん。花霞ちゃんを不安にさせたいんじゃないんだ。………幸せすぎるから、これがずっと続くわけないって思ってしまうんだ。こんな満ち足りた日々は初めてだから。」

 「私も同じです。…………私も。」

 「うん。嬉しいよ、ありがとう。」




 椋は、いつものように優しく微笑み、花霞を抱きしめてくれる。

 けれど、少し前からあった不安は、大きくなっていく。それが怖くて、花霞はギュッと強く目を瞑ったのだった。







 




 ★★★






 花霞は椋に抱きついたまま、すやすやと寝てしまった。

 今日は誕生日という事で彼女を連れ回してしまったので、疲れてしまったのだろう。

 椋は起こさないようにゆっくりと彼女の体をベットに下ろし、いつものようにベットから降りようとした。

 けれど、今日はそうもいかないようだった。


 花霞が、椋のシャツの袖をしっかりと握っていたのだ。椋は思わず微笑んでしまう。ゆっくりと彼女の手を取り、その指を剥がしてしまおうと思った。

 けれど、今度は花霞の表情が曇った。

 ぐっすりと寝ているはずなのに、まるで起きているかのようだった。



 「………今日だけ、ここに居るよ。」

 


 そう言って、椋はベットに戻り彼女の頭を優しく撫でた。

 すると、嬉しそうに笑い自分から体を擦り付けてきた。


 椋の胸はドキッと大きく鳴った。




 「………こうなる事はわかってたはずだけど………。やっぱり辛いな………。」



 椋は少し先を思うと、険しい目付きになってしまう。それと同時に、寂しくなる。彼女と離れたくない。



 「………きっと花霞ちゃんは泣いてしまうだろうな。」



 椋は、指で花霞の頬に触れた。

 この白くて柔らかな頬に涙が流れるのを、椋は見たくないと思った。

 けれど、それは難しいようだった。




 「ごめんね、花霞ちゃん。だから、今だけは………。」




 椋は許しを請うように額にキスをした。

 けれど、それは椋が自分自身に言い聞かせているのだと、彼にはわかっていた。




 「ごめん………。許してもらえなくてもいいから。俺の事も忘れていいから。だから、君には幸せになって欲しいんだ。」




 椋は優しく花霞を抱きしめて、届かぬ思いで彼女に謝り続けた。






 

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