第10話「欲しいもの」






   10話「欲しいもの」




 左の薬指でキラキラと光る指輪。

 ずっと憧れていた結婚指輪。


 少し前までは違う人との未来を想像していたはずなのに、今は違う人と共にいる。

 それがちょっとした出会いから始まり、その人との約束で今までとは全く違う生活がスタートしたのだ。

 

 それを実感させてくれる1つがこの結婚指輪だった。

 同じくデザインのものを、相手である椋が毎日身に付けてくれる。男らしく大きい手。そして、少しゴツゴツしているけれど、長細い指につけられている結婚指輪。それを見ているだけで、花霞は嬉しくなってしまう。

 最近、それを椋に見つかってしまい、「何だか見つめられてる俺が照れちゃう。」と、頬を染めて笑われてしまった。



 そんな椋と結婚してから、もう少しで1ヶ月が経とうとしていた。


 彼との暮らしで、花霞はとても充実した生活をしていた。けれど、余裕があるからこそ彼の事を見れるようになってきたため、気になる事も増えてきた。


 1つは、彼がほとんど寝ていないという事だった。いつも同じベットで横になり、2人で一緒に寝る。けれど、彼の寝顔を花霞はほとんど見たことがなかった。花霞は1度寝ると、夜中に起きることがあまりないが、何度か起きると彼は隣にはいなかった。不思議に思って彼を待っていたがなかなか寝室には帰ってこない。そのため、花霞は家の中を探した。リビングやキッチン、そしてトイレは使用中になっておらず、花霞の部屋にももちろん椋が居るはずもなかった。残るは椋の書斎のみ。ドアはきっちり閉まっており、中の様子はわからない。けれど、時々カタカタとキーボードを叩く音が聞こえてきたため、きっと彼は部屋に居るのだと花霞は思った。



 本当ならば、部屋に入りたかったけれど、この家に初めて来た日の事を思い出すと、花霞は勇気が出なかった。椋はこの部屋の話をした時だけは、視線が冷たくなり、表情も陰りがあったのだ。きっと、この部屋に入ってしまったらば彼は怒ってしまう。

 そうしたら、この穏やかで幸せな生活が崩れてしまいそうで、花霞は怖かったのだ。

 そのため、ドアノブに触れることすら出来ずに、花霞は寝室に戻って彼がこのベットに来る前に寝てしまったのだ。




 そして、最近では出張や夜遅くまで働く事が度々あった。警察で働いているため忙しいのは理解していたけれど、帰ってくると時々険しい顔をしていた。

 その表情は、彼が自分の書斎から出てくる時と同じぐらい暗いものだった。




 気になるならば聞いてみればいいとは思っていたけれど、なかなか彼に問いただせるものではない。警察の仕事となれば、口外できない物も多いだろう。

 そう思いながらも、椋の体調が心配になってしまうのだった。


 

 「…………。」

 「花霞ちゃん?………大丈夫?ぼーっとしてるけど、疲れてる?」

 「え……あ、ごめんなさい。考え事してた。」

 


 リビングで夕食後に寛いで居る時に、花霞は考え込んでしまっていたようで、椋は「何回も、呼んだんだよ?」と心配そうに声を掛けてくれた。「大丈夫。」と、花霞が何回か説得すると、椋はまだ気になっている様子だったけれど、彼の話の続きを教えてくれて。




 「明日は、久しぶりに休みが一緒になれてよかった。大切な日だからって、何とかして休みにできたてよかったよ。」

 「そんな……当日じゃなくてもいいのに。」

 「ダメだよ。結婚して初めての誕生日なんだから。お祝いしないと。」

 


 椋はニッコリ笑いながら、花霞の頭をポンポンと撫でた。

 明日は、花霞の誕生日。

 椋はしっかりと覚えてくれており、仕事も休みにしてくれた。花霞も栞が気を使ってくれたようで「有休にしてあるからね。」と、休みをくれたのだ。



 「明日は、俺が全部エスコートするから。楽しみにしてて。」

 「うん。楽しみ。」



 自分の誕生日に誰かに祝って貰えるのは、とても嬉しい。もし椋と出会っていなかったらば、花霞は玲と別れて悲しみの中で誕生日を迎えているだろうと思った。

 彼と別れた悲しみさえも取り除いてくれて、そして優しく、誕生日までお祝いしてくれる。

彼には感謝してもしきれない。



 「椋さん、いつもありがとう。」

 「ん?急にどうしたの?」

 「何かお礼を言いたくなって。」

 「………可愛いね、花霞ちゃんは。」

 


 椋は目を細めて微笑み、花霞の髪に触れた。

 何度も髪を撫でて「かわいいかわいい。」と言ってくれる椋に、花霞は照れ笑いを浮かべ、そして彼の肩に頭をのせた。

 少しずつ椋に甘えたい。そんな風に思っていた花霞は少し大胆な事をしているなと感じながらも、それを許してくれる彼に感謝をした。



 「あ、そういえば、椋さんに渡したいものがあったの。」

 「ん?何かな?」



 名残惜しかったけれど、彼から体を離して、置いてあった花霞のバックからある物を取り出した。茶封筒だ。


 

 「あの………少しだけど受け取って欲しいの。今まで色々して貰ってたから。」

 「………これは?」

 「今日、お給料日だったから。椋と暮らし始めてから、生活費も私の物も、デートした時のお金も全部払ってくれたでしょ?それ全部はこれで足りないと思うんだけど。受け取って貰えないかな。」

 「………花霞ちゃん。」



 先程まで微笑んでいた椋だったが、封筒を見た瞬間、表情が変わった。

 怒っているのとは違う、どちらかというと悲しんでいる表情に花霞は見えた。

 首を横に振って、椋はその封筒を受け取ろうとはしなかった。



 「花霞ちゃんと俺は結婚したんだ。同棲でもない。花霞ちゃんと一緒に生活したいから結婚した。」

 「だったら!私の給料も使ってください。椋さんばかりなんて、おかしいですよ。」

 「いいんだよ。俺はエリートだから沢山お金貰ってるからね。」



 冗談を交えながら椋はそう言い、花霞を説得した。けれど、花霞は全く納得出来ずに、じっとりとした視線で椋を見つめた。

 それを見て、椋は苦笑しながら言葉を続けた。



 「それにね、言いたくはないんだど………俺と花霞ちゃんは期間限定の結婚だよね。俺との結婚生活が終わったとき、花霞ちゃんは一人で暮らすことになるよね。その時のために、お金は取っておいて欲しいんだ。」

 「………一人で暮らす。」



 椋の言葉を聞いて、花霞はハッとした。

 期間限定の半年だけの結婚生活。

 そう約束したはずなのに、花霞の中でこの心地よい生活がずっと続いていくように思っていた。けれど、これは時間が決まっているものだと、つい忘れかけてしまっていた。

 呆然としている花霞を見て、椋は苦笑いを見せた。



 「ごめん。そんな風に悲しげな顔をさせるつもりはなかったんだけど………何だか、嬉しいな。」

 「え………?」

 「俺と離れるのが寂しいって思ってくれたんだよね。………俺としては、半年が終わってもずっと一緒に居たいと思ってるんだけど。」

 「…………椋さん。」



 椋の言葉は、花霞をホッさせるのに十分なものだった。

 彼も、自分と同じように半年後の未来も考えてくれている。夫婦を止める事はないのだと、安心した。


 それの気持ちの変化が、何を意味しているのか。花霞は、彼への想いを少しずつ考えるようになっていた。



 「それとね。俺はお金より欲しいものがあるよ。」

 「…………えっ……………っっ!!」




 いつもより低音でドキリとする艶のある声が聞こえた。胸が高鳴った瞬間。花霞の体はソファに倒れていた。

 柔らかな感触を背中で感じる。

 彼の顔で光を消して、椋の影が花霞に重なった。


 「………椋さん………。」

 「………出会いと結婚は、興味からだったかもしれない。正直、合わなかったら別れればいいと思ってた。けど、1ヶ月一緒に居て俺はとても楽しかったんだ。幸せで毎日が充実してて、花霞ちゃんのために何かしたいって思ってばかりだったよ。」

 「……………。」

 「俺は君が好きになった。本当の夫婦になれて、幸せなんだよ。………だから、欲しいものはただ1つだ。」



 花霞の頬に椋の手が触れる。

 その手は驚くほど熱くなっている。頬から唇、首元、そして胸元へとゆっくり指が降りていく。その感覚に、花霞はゾクッとし体が震えた。それは恐怖ではなく、体が彼を求めている感覚だとわかり、花霞はすぐに真っ赤になってしまう。



 「今すぐにとは言わない。でも、花霞ちゃんが好きで、本当の意味で自分のものにしたいと思っている。………近い未来、花霞ちゃんの全部を俺に見せて。」



 椋は、いつものように触れるだけのキスを落とし、ゆっくりと体を離した。

 「急にごめん。」と言って、腰を支えて起こしてくれる彼の体も、キスの唇も、全てが熱く、花霞の鼓動は早くなるばかりだった。




 彼の熱が離れてしまうと、「寂しい。」と思うはずなのに、花霞はそれを椋に伝えることは出来なかった。




 


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