第7話 蒼い影

 数日後。


 藤井あずさは端末の操作をしつつ室長の様子を伺っていた。朝から機嫌が悪いのだ。


 室長こと田上哲也(たのうえてつや)は五十二歳。少し早とちりの癖はあるが、海千山千の室員たちを良くまとめていると藤井は思っていた。


 元々、田上室長は公安警察の人間で、ノンキャリアながらも出世してきた人間だった。何よりも警備警察や自衛隊制服組などとの人脈も多く上層部しか知らない噂などにも精通していた。


「狙撃犯の情報は入って来ていないのか?」


 室長が藤井に聞いて来た。


「近所にある空き家内から狙撃されたらしいと言ってました」


 監視していた先島たちの証言と写真画像などから狙撃地点は簡単に割り出せた。


「物証や硝煙反応などは出ていないですが弾道計算ではここで在ろうと……」


 藤井が表示させた画面には自動車解体工場付近の地図が表示されている。焼失したガソリンスタンドと空き家と見られる家屋が赤い線で結ばれていた。


「距離は三百メートル。 移動しているトラックの人物にヒットさせてますから中々の腕前ですね」


 標的が静止している射撃競技と違って、動いている標的を当てるのは至難の業だ。少々訓練を受けた程度は無理だ。


「訓練を受けているプロの仕業か……」


 室長は退職した警察や自衛隊の狙撃手なのだろうかと考えていた。


「そうどうでしょうか? 自分としてはチョウを狙って外してしまったとも受け取れますが……」


 先島は一緒に同乗していたチョウの表情を思い出していた。普段、動じないチョウが驚愕の表情を浮かべていたからだ。


「トラックに積まれた荷物の隠滅をやりたかった可能性もあります」


 トラックの荷物は硝酸アンモニウムだった。しかし、チョウが扱う荷物してはショボイなと先島は考えた。


「ガソリンスタンドに突っ込ませたかったとか?」


 爆発を目の当たりにした青木が言い出した。


「うーん、あの車の運転手はごく普通の人だったけど……」


 藤井は運転手への取り調べ調書を表示させた。犯歴無しの普通の会社員だった。ガソリンスタンドの経営者にも従業員にも不審な点は無かった。


「付近の防犯カメラはダメなのか?」


 室長が画面を見ながら言って来た。


「田舎なので望みが薄いですね……」


 藤井は拡大した地図を表示させた。自動車工場付近には田畑が多く、防犯カメラの設置が期待できる建物が少なかったのだ。


「狙撃犯を知りたいんだがなあ……」


 室長は腕組みをしたまま考えこんでしまった。



 実りの無い捜査を終えて先島は自宅に帰って来た。自分の住むマンションに近い立体駐車場に車を向かわせ、車を駐車場に止めて車を降りた。


「ん?」


 先島は何か視線を感じた気がした。

 違和感を感じた先島が周りを見渡すと、車の影から誰かがこちらに向かって来るのに気が付いた。


「よおっ」


 黒い人影が動き灯りの中に出て来た。チョウだ。悪びれる様子も無くひょうひょうという感じで歩いて来る。


「……」


 その姿を見た時に自分の顔が引きつっているのが分かる。


「何の用ですか?」


 しかし、先島はチョウとは直接の面識は無い。そこで他人の振りをする事にした。もちろん、顔には社交用の笑顔を張り付けてだ。


「そんな他人行儀はよせよ。 お互い知らない仲じゃないだろ?」


 チョウは軽く手を振りながら話しかけて来る。まるで古い友人同士の会話のようだ。


「ふう…… 良く俺の事を知ってるな?」


 先島は営業用の笑顔を捨てて訊ねた。


「俺たちにだって色々と情報源は有るのさ。 お前さんが台無しにした情報源以外にもいるんだよ」


 そう言ってチョウは笑った。台無しにした情報源とは例の上層部に居た裏切り者の事だろう。


「で、なんの用だ?」


 トラックへの狙撃事件の後で、自分が参考人になっているのを解っているのに出て来た。

 先島はその目的が知りたかった。


「お前さんがまた勘違いしてるみたいだからな」


 チョウはせせら笑いを浮かべながら言った


「また?」


 先島は怪訝な表情を浮かべて訊ねた。


「ああ、トラックの事故だよ」


 くっくっくと引きつったような笑い声を出すチョウ。


「あの狙撃は俺が狙われたと思っただろう?」

「ああ……」

「あの狙撃は俺ではなく、トラックの運転手を狙ったのさ……」


 チョウは意外な事を言いだした。


「そう言えば南米系の運転手だったな……」


 先島は狙撃場面を思い出しながら言った。顎髭と濃い眉毛の運転手だった。


「アイツは南米系組織の人間だったのさ。 ここの所はアイツと組んで仕事してたからな」


 恐らくはチョウの武器先のひとつだろうと踏んでいた。

 南米は米ロ中からの武器が豊富に流れ込んで来ているからだ。米国は麻薬撲滅のために武器を流し、中露は覇権を握る為に武器を流す。

 犯罪組織は武器を手に入れる為に、それらの国に麻薬を流しているのだ。

 よく因果関係が分からない国々だった。


「そん時分にだが結果的に取引に失敗した事があるのさ。 まあ、俺がドジを踏んだんだよ」


 チョウが薄ら笑いを浮かべがら喋った。


「俺の始末を付ける為に、ある人物に依頼が行われた噂を仲間から聞いたのさ」


 チョウは周りを見渡した。運転手が狙撃された瞬間にチョウが驚愕してた理由が分かった気がした。

 噂では無く本当だと確信したからであろう。


「なんで日本に来たんだ?」


 そんなチョウに先島が質問した。敵から逃げて潜伏するのなら、銃器の入手が容易な国の方が有利だと思えるからだ。


「アジア人が潜伏するのには具合が良い国なんだよ。 日本は……」


 確かに共和国の仲間もいるし、チョウ自身の知り合いも居そうな感じだ。流ちょうな日本語を喋る事が出来るチョウにはうってつけだった。日本人は外国人に妙に親切だからだ。



「ある人物っていうのは誰なんだ?」


 先島が聞いた。恐らく狙撃犯の事だろうと思ったからだ。


「ああ、お前さんはクーカと言う殺し屋を聞いた事はあるか?」


 チョウが聞いて来た。先島は首を横に振った。まず、殺し屋と言う職種がなじめないのだ。時代錯誤も甚だしい。


「そうか、なら忘れる事が出来無くなるのは保証するよ」


 チョウは再び意地悪そうな笑みを浮かべる。先島が困るのが楽しくてしょうがないようだ。


「世界中の国の治安機関が血眼で追い回してる殺し屋だ」


 チョウは両手を広げて力説し始めた。


「なんで、そんな殺し屋があんたを狙うんだ? 組織の配下にいくらでもいるだろう?」


 チョウの所属する組織には暗殺を専門とする部署があると聞いている。先島が疑問に思うのも当然であった。


「一山いくらの連中に、俺が易々と殺<<や>>られるもんか」


 チョウは再び笑った。クックックと押し殺したような下卑た笑いだ。


「まあ、確かにな……」


 先島はチョウの逃げ足の速さはピカイチだったのを覚えている。


「あの殺し屋は、バックに余計な組織が付いていないから使い勝手が良いらしいんだよ」


 チョウは俯き加減に言っている。どうやら逢った事があるらしい。


「それで…… 何故、そんな殺し屋の事を俺に教えるんだ?」


 先島は眉間に皺を寄せている。自首するから保護しろとでもいうのだろうかとさえ考えていた。


「ふふふ、決まってるじゃないか……」


 チョウが笑いながら言った。それから、目線を先島では無く隣のビルに向けた。


「仇を取ってくれよな」


 チョウが満面に不敵な笑みを浮かべた。


 次の瞬間、チョウの頭は激しく揺さぶられた。そして頭から血を撒き散らしながら、チョウはそのまま仰向けに倒れて行った。


「!」


 先島は瞬間的にしゃがみ込んだ。そして手短にあった車の影に滑り込むように逃げ込んだのだ。


「……」


 先島が車の陰からそっと顔を出したが、駐車場の中に人の気配が無い。


「狙撃か……」


 先島の顔にはチョウの血の飛沫がかかり、鮮血が顎先から滴り落ちている。


「クソ…… また狙撃者か……」


 いきなりの展開で先島は考えがまとまらなかった。


(狙撃されたという事は俺の事も見られているよな……)


 先島は背中がざわざわするのを感じていた。狙撃手はこちらを見ているのだ。


(暗殺者と言うのは目撃者を消すのが鉄則だと普通は思うんだが……)


 しかし、今のところ撃たれてはいない。手慣れた狙撃手なら一秒も掛からずに次弾を装填できる。先島が撃たれない意味が分からなかった。


(それなら俺も狙撃されているはずだ……)


 先島はゆっくりと弾が飛んで来た方向に顔を向けた。射撃音が無いという事は、遠距離か消音器をライフルに付けているかだ。先島は後者の方だと考えた。

 見た先に有るのは雑居ビル。その屋上付近を動く影が一瞬見えた気がした。


(クーカとか言う殺し屋は余計な仕事をしない主義なのか……)


 目撃出来たのは蒼い影だけだった。それがチョウの言う所のクーカである確信は無い。

 先島は立ち上がってチョウの傍まで行った。


「ふんっ! チョウはこれを見せつける為に携帯電話を使っていたのか……」


 先島は笑ったまま死んでいるリョウを見下ろしながら毒づいた。長年追いかけて来た相手が死んでしまったのだ。


「……」


 チョウはクーカに狙われるのを承知で出て来た。逃げきれないと思ったのか、或は先島にクーカを追わせようと考えたのかのどちらかであろう。


 単純な密輸事件だと思っていたが問題は深そうだと先島は考えた。


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