二 防人(三)

 そのあと里でのことで覚えているのは、いよいよ防人として旅立つ前の日に、里びとみなが集まった送別の宴のときのことくらいかな。

 え? 十六歳は防人にはなれないはずではって?

 そのとおりだ。実を言うとわたし自身にもそのあたりの詳しいことは分かっていないんだ。すべて里長など里の大人の男たちが決めてしまったからね。

 とにかくわたしは逃げた男に成り済ますこととなった。わたしがいないあいだ、わたしの田んぼは逃げた男の家族が耕すことも決まった。

 宴では、わたしは相変わらず誰にも話しかけられなかったが、母はたくさんの里びとから良い息子を持ったと褒めそやされていた。母も「息子との別れはつらいが、みなのお役に立ててうれしい。立派に務めを果たして帰ってきてほしい」とときおり袖で涙をぬぐいながら答えていた。

 だが家に帰ってくると、母はいきなりわたしの頬を打って泣きわめいた。

「あたしはおまえを可愛がり、大事に大事に育ててきたのに、おまえはその恩を忘れたのか! おまえは母親をこんなに悲しませて何とも思わないのか!」

 だったら「やっぱり息子は防人にはやれない」とみなに訴えればいいのに。

 と思ったが、なんだかもう何もかも面倒くさくて口には出さなかった。

 すると母は何も言わないわたしから顔をそむけて呟いた。

「……こんな子、産まなければよかった」

 わたしは歯を食いしばって母を睨み続けた。いまの言葉がわたしに聞こえていることを、母だって分かっているはずだった。だからこそ母はその後もわたしの方を向かなかったのだ。

 伯父、伯母、従姉妹は母の背中に「泣かないで」と慰めの言葉をかけた。この三人もわたしの方を見ないようにしていた。

 わたしは唾を飲み込んだ。

 二度とこの里には帰らない。防人を務め終わっても。ここへ帰らずにどこかへ行こう。ここでなければどこだっていい。

 そう決めた途端、心がふっと軽くなった気がした。

 わたしは家の外に出た。夜空に無数の星がまたたいていた。

 ああ、そういえば宴の前に唐人塚へ行ったんだ。

 というのもね、密かに期待していたんだ。何をかというと、里の若い娘の誰でもいいから、この際あの意地悪な従姉妹でもいいから、わたしに別れを言いに来ないかなってね。

「無事に帰ってきて! ずっと待ってるから」。と、きれいな貝殻のひとつでも渡してくれることを願っていたんだ。こんなわたしと会っているところを里びとには見られたくないだろうから、誰も来ることのない唐人塚を選んだんだよ。

 でも日が傾いて、ようやくやってきたのは伯父だった。わたしの姿が見えないから逃げたんじゃないかと思って探しに来たのだった。

 伯父のあとについて帰るとき、わたしはそっと唐人塚の土を掴んだ。そして口に入れたのだがあまりの不味さにぶっと吹き出してしまった。伯父が振り返ったので咳き込む真似をしてごまかした。

 口の中にまだじゃりじゃりと残っていた土を唾と一緒に飲み込み、伯父に聞こえないように小さく小さく呟いた。

「唐人よ、おれをおまえの故郷の方へ導け」

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