第34話 霧中のシルエット

 週末、俺はバスのロータリーで手持無沙汰に人を待っていた。

 ジップアップパーカーのポケットから取り出したスマホが指し示す時刻は指定した時間を優に過ぎている。遅れるならそう言ってくれればいいものを、とラインの一つもないことにため息をつく。

 待ち合わせの相手は高坂だ。この間勝手に登録された連絡先を通じて強引に遊ぶ約束を取り付けられたおかげで、こうして待たされている。

 まあ俺も俺だけどな、と自嘲しながら振り返った。そこそこ立派な県立の体育館が駐車場を挟んで建っている。平日はガラガラな駐車場は送迎のバスや乗用車で埋まり、反響した熱のある声援がここまで漏れ聞こえてくる。

 バスケットボールの春季総体県大会が開催されているのだ。

 本当は紺野の要求などお構いなしにして、来る気はさらさらなかった。去年幾度と遊んだ間柄であっても重たい気持ちが俺の中にわだかまっている。それでもこうして足を運んでしまったのは、心のどこかに後ろ髪を引かれる何かがあったから。


「……」


 それは紺野のことか、バスケへの未練か。

 そのどちらなのか、あるいは両方なのかを確かめたかった。

 ロータリーを回って循環のバスがまたやってくる。こんな時間だからか、降りたのは一人だけだった。


「遅い」

「短気な男は嫌われるぞー」

「遅刻しておいて随分な言いようだな?」


 パタパタと上げ底のサンダルを鳴らした高坂は肩をすくめる。


「それを言うなら、田崎のチョイスもどーかと思うけど?」

「知るか」


 高坂はおまけだ。それ以上でもそれ以下でもない。行く場所だって先に教えておいたし、嫌なら断ればいいだけだ。遅れたとはいえ来たんだからチョイスに難色を示すのはどうかと思う。

 連れ立って体育館に向かう道すがら、高坂は眉尻を上げた。


「ま、田崎のこと知るにはちょうどいーかもね。元バスケ部さん」

「うるせ」

「ぎゃー、暴力反対!」


 ぐいっと腕同士を絡めて来ようとした高坂の頭を空いてる手で押しのけたら文句で返される。去年はパリピってそういうもんかと思ってたけど普通に近いわこれ。


「もー、髪崩れたらどうしてくれるのよ!」

「崩れてないからいいだろ」

「そーいう問題じゃない!」

「はいはい」


 高坂は手のひらサイズの鏡を取り出して派手な髪を確認しながら悪態をついた。相変わらずこの手の思考はまったく理解が及ばない。不用心な距離感のくせに扱いに注意が必要とかどんな地雷だよ。

 俺はややうんざりしながらスタンドに続く階段を上る。明新の応援席の位置は分かっているから、とりあえずはそこ以外ならいい。

 入り口に貼り出されていたトーナメント表からするに今やっている試合はどこかの山の準々決勝だ。明新の応援席で片づけがまだなことから勝ち進んだんだろう。適当な試合を観戦して帰ろうという目論見はちょっと破産した。


「千尋のとこに行かないの?」


 あー喉乾いた、なんて呟きながらプラスチック製の席に腰を落とした高坂が顎をしゃくりながら流し目を差し向ける。その先にいるのは試合待ちをしている選手、そしてマネージャーとして動き回る紺野の姿があった。


「部外者が行ったって、迷惑だろ」

「本音は?」

「……準決勝で戦ってる写真撮れば、最低限来たって証拠にはなるだろ」

「せこいなー」


 けたけたと高坂は笑う。

 俺は見るともなしにバスケの試合を眺めた。飲み物は? という高坂の気遣いに否定気味の言葉を返しながら、つかの間頭から離れていた問題を引っ張り出す。

 俺は……なにを迷っているんだろう?


『彼氏が全国大会に出場するために、全国大会出場者の力を借りたい』


 落ち着いた頭で考えてみれば紺野の要求はこんな風に要約できると思う。関東大会まで駒を進めたことはあっても、全国大会に出場したとは聞かない。紺野の今の彼氏、近藤は一つ上の三年生。今年の夏が最後の大会になるだろう。

 どうやってでも、例えば丸一年のブランクのある俺を無理やり入部させてでも、紺野は彼氏の全国出場を願っているのか。

 そのためになら、元カレがどうだとかは一切考えないのだろうか。


「……」


 自ら導き出した推測に俺はあまりいい気分を抱けなかった。

 まるで俺をフった瞬間にそれまで積み上げてきたものが全てなくなってしまったような、彼氏彼女以前に紺野グループでバカ騒ぎしたことさえ消されてしまったような、そんな虚しさだけが残る。

 モヤモヤとはっきりしない考えにまとわりつかれながら、どこかでこの推測に見落としがあると直感が告げていた。けどそれが何なのかが判らない。

 俺は床に向かって大きく息を吐き出した。

 その無防備になってしまったうなじに冷たい何かが押し付けられる。


「いっ!?」

「なに辛気臭い声だしてんのよ」


 そう言ってペットボトルを呷る高坂は、しかし何を尋ねるわけでもなく片肘を突いて「知らない学校の試合観ても面白くないね」とこぼした。

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