第22話 リードはたどたどしく
昼前過ぎまでのバイト終わり。俺は貸し出された制服のまま厨房の片隅で賄いを食べて腹ごしらえをする。今日のは余りの食材を使った簡素なポロネーズだった。カツカツとフォークでかき込んで水を張った流しに滑り込ませる。
「お先、上がります」
厨房とフロアそれぞれの同僚に暇を告げて、俺は制服のまま裏手の階段を上がった。自分の部屋に入ってからエプロンを解きそれぞれ洗濯カゴに放る。着替えを用意したら簡単にシャワーで食物の匂いを落とし、ドライヤーで野暮ったい髪をさっさと乾かす。
「……固めにしとくか」
服装は基本的に時・場所・相手に合わせるものだと俺は冬木に教わっている。
なんとなくお嬢様感がある桐ヶ谷の私服姿を想像して、それに沿う服を選ぶ。薄いジャケットに無地のTシャツ、黒スキニーに差し色の蛍光水色の靴下。柔らかめのワックスで散らすように髪を整えて、今回はワンデイのコンタクトを目に入れる。
靴下に合わせるように、カジュアルなボディバッグと片耳にピアスを一つ。
ま、最低限見れる格好だろう。
俺はそう総評し靴を引っ掛けた。
待ち合わせに指定された時間の二十分ほど前に桐ヶ谷の最寄り駅に着いた俺は、改札内の柱の一つにもたれて桐ヶ谷が来るのを待っていた。住宅街の駅であることもあってか昼ちょっとのこの時間帯の構内は閑散として静かだ。
『今どこ?』
ラインにそんな通知が届く。
『駅の中にいる』
と短く返すと通知が付いた。
『今着いたわ』
俺はそれを確認し、ポケットにスマホをしまう。カツカツと硬質な音が近づき改札に姿を見せる。ピッと音を立てて桐ヶ谷が通り抜け、俺は柱から体を離した。
「田崎くん、なのよね……?」
「そうだが」
「ず、随分と印象が変わるわね……」
遠慮なく桐ヶ谷が俺の格好を上から下まで眺める。他人のことを言えないのはお互い様だろう。俺は桐ヶ谷の予想に違わない服装に苦笑を漏らした。
「それは桐ヶ谷もな」
「そうかしら」
首を傾げた桐ヶ谷の動きに合わせてまとめられた髪が揺れる。シックなブラウスに濃紺のハイウエストから膝丈までのスカート。その境目に細い胴回りを強調する太めのベルトが回され、金属製のバックルがアクセントを添える。五センチほどのヒールのあるショートブーツとスカートの裾との間は眩しいくらいの生足が晒されていた。
化粧品もいくらも入らないだろう、スカートと同色の小ぶりなバッグを肩にかけ直した桐ヶ谷は、メイクにも一段と磨きがかかっているようだった。
薄々気づいてはいたが、やっぱりなと思う。
「良いとこ出のお嬢様って感じだな」
「褒めてるつもりなの?」
端的な事実を言っただけだ。
「よく似合ってる。綺麗だ」
なので思ったままのことを追加で足す。それは虚飾でも世辞でもない。これが本来の桐ヶ谷なんだと言われれば「なるほどそうか」と納得してしまえるほど、今の桐ヶ谷は完璧に自分の魅力を発揮している。それを表すのに多くの言葉は要らない。
「……そ、そう! 田崎くんも、似合っているわよ」
「そりゃどうも」
たじろいたような桐ヶ谷の褒め言葉に肩をすくめた。
当たり外れなく、が去年を丸々かけて学んだことだ。俺は俺への評価を額面だけ受け取って電車が来るホームに降りていく。釣り下がった電光掲示板を見上げると、目的の方面に行く電車はあと十分少々でやってくるようだ。
喉乾いたな、と気づいてミルクティーのミニペットボトルを購入してホームのベンチに座る。一つ空けて座ったから桐ヶ谷が端っこだ。喉を潤し、隣の桐ヶ谷を見やる。
「いる?」
「一口もらおうかしら」
ごくごく自然に桐ヶ谷は一口含んでペットボトルを俺に返却した。普通じゃないとは思うけど、それが俺と桐ヶ谷の普通。何日も弁当の中身を分け合って食べていれば間接キスのハードルは下がっていた。
もちろん、桐ヶ谷は最初こそ気にしていたが。
俺はボディバッグにペットボトルをしまって、今日の予定を確認しようとスマホを取り出す。その指紋認証をすり抜ける前に桐ヶ谷の手が覆い被さった。
「ねえ、デート相手の前でそれってどうなのかしら」
「……俺はただ水族館のことをだな」
「それは私が考えてるからいいのよ」
目を弓なりに細め口角を上げてはいるものの、桐ヶ谷の表情は笑っているとはとても言えない。謎の圧に押され俺は渋々とスマホを諦める。それはたちまち電源をオフにされたのちに返却された。
「桐ヶ谷……」
「それと呼び方なんだけれど」
なにか話を振ろうとした俺に対し、桐ヶ谷の声が被される。俺は言葉を継ぐのをやめて言いかけの桐ヶ谷を待った。その空隙をホームのアナウンスが流れていく。
「今日は、下の名前で呼び合うのは……どう?」
髪を後ろでまとめているから、晒されたその形の良い耳の先が朱に染まっていたのが分かった。けれども桐ヶ谷は物怖じすることなく真っ直ぐに俺を見据える。
「春人くん、ダメ……かしら」
すこし不安げに切れ長の眉が下がった。二人の距離が近づき、いつもと違う甘い香りが鼻腔をくすぐる。俺はその違いに心臓を跳ねさせながら努めて冷静に振る舞う。
「いいけど、そっちの方が大変だぞ。あかり」
「〜〜っ!?」
案の定、名前を呼ばれた桐ヶ谷は盛大に身悶えた。
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