第12話 農福連携~福田禎一の街づくり


 福田は正直、長男隼人の世話が苦痛だった。


 赤ん坊の時はまだ良かった。腹が減ったといっては泣く、おしめが濡れたといっては喚く、夜泣きする。それは乳児ならば当たり前だ。福田もそう思えた。


 それが3歳になっても変わらず続いた。言葉も、言語らしい言語にならず、さすがに医者を頼った。自閉症と診断された。


 歩くことは普通にできたが、とにかく落ち着いていることができない。近所の犬が吠えると暴れる。車が脇を通り抜けると吠える。運動会の日の朝、近所の小学校で花火が上がっただけでも部屋で恐慌をきたした。


 知覚過敏、特に聴覚過敏という症状らしかった。人よりも感覚が研ぎ澄まされていると言ったらいいのか、光が増幅されて感じられたり、音が大音量で聞こえたりするという。犬は怪物に、車は恐ろしい兵器に、運動会の花火はとんでもない大爆発に思えるようだった。


 言葉が不明瞭なため、意思の疎通さえ難しい隼人が暴れだすと始末に負えなかったが、福田の母君代は隼人に飛びついて抱きしめ、落ち着くまで耳元で何事かささやいてなだめた。隼人が少し穏やかさを取り戻すと、抱きしめたまま体を揺すり、平静になるまでそのままでいた。


 君代は隼人と少しでも会話が成立するようにと、口を大きく開けて五十音の形を覚えこませ、「あ、い、う、え、お」と話して見せて指ささせ、「『お』ね。『お』って言いたいのね」などと言っては意思を通わせようとした。そして、それは実現した。


 隼人は、ご飯を食べて「おいしい」と伝えたいのだと、君代に教わる日々。福田も、妻の幸も頭が下がった。県南きっての建設会社に成長した福田建設の社長と、経理や総務をこなす社長夫人。家庭と長男を顧みる余裕のない状態に、君代の存在は何にもまして有難かった。


 とはいえ、隼人が義務教育の年限を終え、支援学校も出るころになると、そうも言っていられなくなった。就職だ。障害を抱える子を持つ親に共通する悩みと言っていい。自分たちは年老いていく。いつまでも子の面倒を見ていられる訳ではない。障害があっても我が子が自立して生きていける環境は、親たちのたっての願いだった。


 「福田さん、何とがなんねべが」


 福田の元には次第に、親たちからそうした相談が寄せられるようになっていった。I市随一の建設会社のトップで、自らも障害児を育てる父。何かしらの軽作業でいい、食べていけるだけの環境をー。親たちの切実な気持ちだった。


 福田は2005年、市内に障害者就労支援施設を立ち上げた。自らの出身地に近いI市沿岸部に700坪の土地を買い求め、施設の事務棟と農地、ビニールハウス群を整備。地元の農家を講師に招き、隼人ら知的障害を抱える子たちが農業などで工賃を得られる作業場をこしらえた。今でいう「農福連携」の先駆けだった。


 近在の子たち17人が登録し、葉物野菜などを栽培。不定期ながら理解のあるスーパーなどに卸すスキームは市内はもちろん、県内でも評判を呼んだ。「さすがは福田さんだ」。福田建設を一代で築いた手腕に、篤志家の顔が加わることになったが、実態は君代の手柄だった。


 今や従業員数500人、下請け企業も十数社に上る中堅ゼネコンを取り仕切る男が、障害者施設まで実質的に手掛けるのはどだい無理があった。福田は運営法人の理事長という肩書だったが、運営の実際は古希を迎えた君代が担っていた。自閉症の子を成人させた手腕が、いかんなく発揮されていたと言っていい。


 「まったく、母ちゃんには敵わねえわ」。福田は苦笑しながらも、やりがいを見出した隼人らを見るにつけ、母の後ろ姿に手を合わさずにいられなかった。


 順風満帆に見える福田の人生が暗転したのは、施設立ち上げの6年後だった。


 マグニチュード9.0の、あの大揺れ。I市の施設にも高さ7メートルもの大津波が押し寄せ、君代と隼人ら20人が行方不明となった。


(続)


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