第四十三話 問答大根

「なるほど。災難でしたね」


 そう言って、俺の目の前の人物は同情するような視線を向けてよこす。その視線を受け止めて、俺も小さくうなずいた。


「ええ、東雲さんがいなかったらどうなっていたか。ありがたいことです」

「ご謙遜を。あなたご自身も活躍されたと、東雲さんから伺っていますよ?」

「いやいや、そんな事はありません。私はまだダンジョンに入るようになったばかりの新人ですよ?」


 そう言って、しっかりと否定する。一般人がそんな手柄立てられるはずないだろう。それが普通だ。たとえ事実じゃなかったとしても。

 目の前の人物も別に不審に思った様子はない。ふんふんとうなずいて目の前の書類に視線を落とした。


「…潜り始めて、およそ一ヶ月ですか。ダンジョンには、なれましたか?」

「ええ、東雲さんのおかげですよ」

「…大変だったりしませんか?」

「いえ、おかげで、随分助かっていますよ」


 そうにこやかいえば、目の前の人物、大渕真帆調査官は、書類から顔を上げ、俺をまじまじと見つめてきた。


 なにか妙なことでも言っただろうか?

 

 俺は内心で首を傾げて相手を見返した。

 対面のパイプ椅子に座った大渕調査官は、見たところかなり若い子だった。もちろん、正式な国の身分証を出してきたので(ダンジョン帳調査課と印字されたやたらごてごてした刑事手帳のような代物だった。肩書は調査係第二班長らしい)、できるだけ営業対応でやり通したが、それにしても若い。多分、二十代後半くらいだろうか? たいていこういう形式張った役所仕事はもう少し年重の人間がやるイメージだった。見たところかなり美人だし、中年オヤジのイメージが強いお役所のそれとは大違いだ。

 ただ、到底その若さは感じられないのが玉に瑕だろうか。その点は実にお役所的だ。

 俺はいつものように営業スマイルの下で、時折、無意識なのだろうがため息をつく彼女の様子が気になって仕方ない。まるでブラックで有名な取引先の飯島さんのようだ。飯島さんはいい年の中年男だが、正直雰囲気がそれと同じだ。

 長い髪を後ろでひっつめているのは髪型を考える余裕がないからだろうし、目の下にはやけに厚めにファンデーションを塗っている。その下には分厚いクマがあるはずだ。

 おそらく処理しなければいけない仕事が多すぎるのだろう。よく飯島さんがオールバックに分厚い縁取りの眼鏡で来るからよく分かる。

 パッと見は身だしなみを整えているように見えるが、要は疲れているのをうまいこと隠しているだけだ。スーツが上等なのもそのへんのうまい隠れ蓑なのだろう。このへんも飯島さんと同じだ。飯島さんはたまに見える首が骨と皮ばかりなので見ていて心配になる。流石に初対面の女性相手にそんなところを見る気にはならないが、彼女もどうなっているのやら。


「東雲さんとは、いつ頃からのお知り合いで?」

「会社の後輩ですよ。…もう数年の知り合いでしょうか? 彼女の新人研修のときでしたかね?」

「…懐かしいですね。うちでもありますよ」

「…ダンジョン庁の新人研修ですか。どういったことを?」


 なんでもないようなことを互いに言い合う。

 できるだけ当たりさわりのなさそうな事を口から放ちながら、俺は彼女に同情する。

 ここ数日のことはニュースになる程度には大事だったらしい。要するに役所でも会社でも、上の頭の固い連中が嫌がるような問題になった訳だ。

 こういう問題が起きれば、どこの組織もてんてこ舞いになるのが日本社会の常だ。起こることといえば広報が泣きそうになり、重役が何も思い浮かばない脳みそをフル回転させるだけなのだが、なぜか一般社員までいい子にしていろと言って聞かせてくるのだ。平社員にできることなんて、せいぜい忘れたころに回ってくる対策マニュアルを読むくらいしかないはずなのだが、なぜか下までてんやわんやしているふりをしないといけない。

 まあ、目の前の彼女はそれなりの地位の人らしいので、そういうわけにも行かないのだろう。こうやって実際なにかしているのだし、それに何より有能だ。


「そういえば、ダンジョンで使ったあのポーションはどこで?」


 備品の仕入先のことで盛り上がっていたとき、ふと大渕調査官が小首をかしげる。


「あれは渋谷の出店で買ったんですよ。いや、高い買い物をした甲斐がありました」


 俺は何でもないことを言うように、できる限り自然な口調でそれに答える。返事を聞いた大渕調査官はそうですかなんてうなずきながら、手元のタブレットの上で忙しく指を動かしていく。

 大渕調査官は俺と当たり障りのないことで会話しながら、会話の節々で実際にあのときの、東雲との逃走劇のことを聞いてくるのだ。それもいかにもこちらが気を抜くだろうときを狙いすまし、会話の横道にそれないようにさらりと自然にそれを差し込んでくる。営業担当なら実に優秀なヒアリングスキルだろう。だからこそなのだろうが。


「いやー、まさかあんな高価だったとは思わなくて、なかなか財布に痛い買い物でした。そういえば、控除の内に含んでもいいとか?」

「…ええ、探索者免許の持ち主なら確定申告の際にそれを提示していただければ、領収書さえあれば経費申請することが可能です」

「…つまり、領収書がないと?」

「…残念ながら」


 俺がまじかーというように頭を抱える仕草をしてみせると、大渕調査官は困ったような表情で俺を見ている。いつ俺がモンスタークレーマーになるか気が気でない様子だ。その表情に不自然な様子はない。気まずくならない程度に頭を抱え続けていた俺は、ため息をついて、気分を変えるかのように別の話題を(ダンジョンから挙げられる利益について)切り出す。

 大渕調査官は、同情するようにうなずきながらそれに追随してくれた。俺はそれを見て内心ほっと息を吐く。なんとかごまかせた、か?

 ポーションの経費云々は、とっくの昔に税金関係を調べていたから知っていた。そして、それが問題になっているのも知っていた。だからこそ、出所不明のポーションの言い訳にも、ちゃんと使えたらしい。

 なんでも、素人相手にポーションを売る売人の存在が最近問題になっているそうだ。実際中身はほぼ夢の薬なのだから、そんなことを考えつくやつがいてもおかしくはない。ただ結局素人が商売の真似事をやっているだけなので、色々細々としたトラブルになっているらしいのだ。特に多いのが、俺が言ったような出店のトラブルだ。

 東京なら渋谷や、新宿、埼玉なら川口など、繁華街にはいまダンジョン関係の品を売る出店が跋扈している。出せば間違いなく売れるのだ。軒先を貸す店舗も多く、場合によっては正式に店を構えていたりするらしい。実際これのおかげで、日本のGDPの恰好な数字を押し上げたとかなんとか。ある種のバブルのようになっているそうだ。そのおかげか、取締もゆるい。だからこそトラブルもしょっちゅう、らしい。

 買ったものがまがい物だったなんてのはそのトップ。値段が高すぎるなんてのは当たり前だし、ダンジョンショップでもないのに銃刀法違反上等というような銃火器まで売っているところもあるのだとか。

 なんとも世紀末な様相だが、これを取り締まるとなるとあっちこっちの妙な連中が噛み付いてきてそれどころではなくなる、らしい。

 今も昔も、金の匂いがするものは厄介事と一緒に湧くようだ。

 そんなものを扱わなければならないダンジョン庁は毎日胃を雑巾絞りされている気分だろう。目の前の大渕さんも、まさにそんな具合だ。そんな顔をさせているのも自分なのだが。

 そんな具合に俺と大渕さんの面談は、表面的には、平和裏に終わったのだ。

 

 

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