第三十六話 殺意大根

 ゴブリンアーミーは、まっすぐこちらに向かってくると、通路を塞ぐように隊列を変える。どうやら臨戦態勢らしい。


「東雲?」


 後列にいたゴブリンは、すでに弓をつがえている。前列の槍ゴブリンは、弓を守るように隊列を組んだ。

 オレたちの後ろは、しばらくの間直線だ。多少動けるからと言って、矢に追われて逃げられるとは思ってない。

 フルフェイスの兜の奥から、ギラリとした光がオレたちをにらみつける。

 思わず怯んだオレの前に、東雲がぐいっと出てくる。


「先輩、私の後ろから出ないように」


 そういうのと、ゴブリンが弓を引き絞るのが同時だった。

 ひゅっと、空気を切る音がしたと同時に、東雲の手が横薙ぎに振られる。


「…おう」


 キンキン、と甲高い音が二つ聞こえたかと思うと、足元に矢の残骸が乾いた音とともに転がってきた。

 錆びたいかにも切れ味の悪そうな鏃が暗い中でもギラリと光る。


「…何でもありだな、お前」

「先輩が冷静でありがたいですよ。これでパニック起こされて、駆け出されたらかばうのも一苦労ですから」


 東雲は刀を構え直しながらつぶやくように言う。その顔は、しっかりとゴブリンたちを見据えていた。

 

「…なんだってゴブリンアーミーが?」

「前に言いましたがたまに出ますよ、ゴブリンがいるダンジョンは。今日は、運がなかったといいますか…。厄日といいますか」


 ゴブリンたちから目を離さずに見ていると、一射目を外したのが気に入らなかったのか、ゴブリンたちはなにかをげぎゃげぎゃ言い合って、今度は前衛の槍持ちがそれを構えた。鈍く光る槍の穂先がオレたちに向けられる。

 

「…ちなみにアレは?」

「槍衾ですね。生で見られるなんて、運がいいですね」

「ここは戦国時代か何かか?」


 ゴブリンたちはなにか雄叫びを上げたかと思うと、槍衾を構えて突っ込んできた。

 

「…逃げるか?」

「無理ですね。後ろがまだ狙ってます」


 6本の槍がオレたちの心臓のあたりを狙って突っ込んでくるその後ろ、弓兵たちがオレたちが動くのを狙っている。軍隊知識を入れたと聞いていたが、ここまで頭が回るとは思っていなかった。


「もしここで後ろを見せれば、アレにやられます。ですので、特に初心者は、常に冷静に対処してくださいね」

「冷静でいるだけなら簡単なんだがな…」


 今も東雲がいるからなんとかなっているが、正直オレだけじゃお手上げだ。東雲の安心感がすごい。脳筋には違いないが。

 そうこうしているうちにゴブリンたちの乾いた足音が迫ってくる。


「…先輩、さっきも言いましたが、私の後ろから動かないように」


 東雲は言い捨てるように言うと、スルスルと前に進んでいく。

 ゴブリンたちの槍衾が迫ってくる。それに躊躇なく、東雲は向かっていく。


「東雲…」


 この躊躇のなさは何なんだ。

 普通槍が迫ってきたらもう少しおっかなびっくりになりそうなものだが、やっぱりアレぐらい強いと違うんだろうか?

 唖然としているオレをおいて、東雲はそのままゴブリンに立ち向かう。

 ゴブリンたちは向かってくる東雲に興奮したらしい。雄叫びを上げ、その東雲に向かってゴブリンの槍が突き出された。

 

「…ふっ」


 東雲はすこしだけ体をずらし、最低限の動きで槍を躱す。

 六本の棒が突き出され、それぞれの先には鈍い刃。それを舞うような動作で華麗にかわす。

 槍が遅い、というわけではない。普通のゴブリンのひっかきよりはよほど鋭いだろう。だが東雲のほうが数倍早い。

 東雲はすべての槍が突き出された後、それをまとめて振り下ろした刀で薙ぎ払った。穂先が虚しい音とともに床に落ちる。

 振り降ろした刀の勢いをそのままに、今度は横薙ぎに一閃する。何かを弾く音がすると、今度は矢が床に転がった。

 オレにわかったのはそこまでだ。

 また東雲が消えたかと思うと、今度は後ろの弓隊の前に現れて横薙ぎに一閃すると、ゴブリンたちは悲鳴を上げて消えていく。そして今度は元槍だったものを持って呆然としていたゴブリンたちも、すぐのその後を追った。

 あとに残ったのは、呆然とするオレと、刀を持って小さく息をつく東雲だけだった。

 東雲は少し周りを見回した後、オレに声をかけてきた。


「…先輩無事ですか?」

「…あー、おかげさまで? な」


 正直何が起こったのかよくわかっていないのだが、東雲のおかげで助かったのは間違いない。


「…なにか飲むか?」

「いえ、結構です。先に報告を済ませないといけません。たまにこういう見かけない魔物を見たら、報告するのも義務です」


 リュックに入れておいたペットボトルの存在を思い出して聞いてみても、そもそも息の一つも切らしていない。色々準備してきたんだがな…。

 東雲に促され、そのままオレたちは出口へと向かう。


「結構多いのか、こういう、なんつーんだ?」

「探索者用語では変異個体ですね。ダンジョンの変異の兆候だったりするので、見逃せないんですよ」

「…なるほど?」


 東雲いわく、別に妙な魔物がダンジョンをうろついている事自体は珍しいことではないらしい。だからこそ、用心が必要とのこと。

 よく足音を聞き、常に注意深く観察し、そしていつでも逃げ出せるようにしておくのが大事なんだとか。というか、妙な気配を感じ取ったら真っ先にダンジョンから出るのが何よりの対策らしい。


「…その割に全く逃げなかった気がするが?」

「いい経験だったでしょう?」


 足を早めながらも、東雲は顔色一つ変えずに言ってのけやがる。良い神経してるよ全く。


「お前なぁ…」

「一応、私の講習生ですからね。怪我なんかさせませんよ」

「そういうことじゃなくてだな。無茶がすぎるんじゃないかって言ってるんだ」


 強いのはわかったんだが、なんというか自分を顧みなさすぎる。あれも本人はらくらく? やってのけられることなんだろうが、見ている方の心臓に悪すぎる。


「もう少し、楽に行けないのか? なんていうか、危なくない方法で…」


 スキルの中には遠距離攻撃できるものもある。貴重なのはわかるが、東雲くらいならそういうのを持っていてもおかしくないと思うんだが。

 オレが言えば東雲は小さく首を振る。 


「先輩、実際のスキルドロップ率ってご存知じゃないでしょ? あれ、もはや貴重とかいうレベルじゃないですよ」

「そんなになのか?」


 出口までの道を速歩きで歩きながら、東雲はそれでも簡易に説明してくれた。

 なんでもスキル、(要はスクロールだ)というのは本当にたまにしか落ちないものらしい。物によるが、それこそ一つ数百万で取引されているらしい。一つ出れば一年ぶんの年収くらいにはなるらしく、深度2に潜る探索者が血眼になって探しているとのこと。ただし、出るのは一つのダンジョンにつき年に1度か2度。


「…そんなものなのか?」

「そうですよ。なんだと思ってたんです?」

「いや、オレは聞きかじった程度だったからな…」


 一般でも貴重なものと言う情報は知っているが、そこまでとは思わなかった。

 ドロップ比率としてはポーション5、素材が4、スキル0.5にその他が0.5くらいらしい。

 

「ですので、スキル持ちはかなり貴重なんですよ。飛び道具も禁止ですし、これくらいできないとやってられないんですよ」

「でもお前はスキル持ってるんだよな?」


 一つ数百万、それも危機感知スキルなんて、かなり有用なんじゃないか?

 もちろん手としては悪くない。あんな文字通りの切った張ったなんてやっていくなら、そんなスキルは喉から手が出るほどほしいだろう。

 しかし、と思う。

 

「…なんでお前そこまでして潜ってるの?」


 正直、普通の感覚なら、まずそこまでして潜るメリットはないだろう。多分大抵は一攫千金を求めてとかだろうが、東雲はそういうタイプじゃあない。着ている服は量販店だし、派手なブランド物を持っている気配もない。そう考えると、なんでそこまでして潜るよ。

 オレが疑問を口にすれば、東雲は少しだけ眉をひそめた。


「…先輩には関係ないことですよ」

「それはそうなんだがな…」


 それを言われればそうなんだ。

 そもそも会社で隣に座っている後輩がこんなことができるなんて、先週まで全く知らなかったわけだし。

 ただ、それだけでも尋常じゃないと思うのだ。たった数日しかダンジョン内で東雲と一緒にはいないが、明らかに普通の人なら怖くて踏み込めないような状況にも、表情一つ変えずに突っ込んでいく。それに勇ましさを感じるのは事実だが、なんとなく狂気染みているのも否定できない。

 東雲の大体の経歴は、会社の先輩が把握できる程度には聞いている。

 普通の高校を出て、普通に大学を出て、あまり地元を離れられないというのでうちの会社に来た普通のOLのはずだ。

 すくなくとも、オレはそう聞いていた。

 だが、今回蓋を開けてみればその素行は明らかに普通の会社員とはかけ離れている。

 語られることのない物語もあるのは嫌と言うほど知っているが、それにしても今回のこれはふつうのOLの人生の一コマとしてはあまりにも異質だろう。普通のOLのは自分の命の危険を顧みずに、修羅場に飛び込んだりはしない。

 なにがあったらこうなってしまうのか…。

 興味といえば下世話だが、聞いてみたいと思うのも人情だろう。

 ここまで先輩らしいこともできていないことだし、なにか困っていることがあるなら聞いておきたいとも思う。

 そんな言い訳を頭の中でしながら、オレは再度口を開こうとした。

 閃光が視界を覆った。

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