第十六話 収穫大根
「あれ? 実ちゃんどうしたの?」
「ああ、石田さん、すみません、こんな時間に」
夕方、オレは安中近くの農家の引き戸を叩いていた。
出てきたのは石田さん。
オレにさつまいもについて、色々教えてくれた知り合いだ。
「またこっち戻ってきてたんだ。さつまいも、まだやってるの?あんなのよくやるね」
「まあ、買ってくれる人がいますからね。やめるにわけにもいきませんよ」
オレがそう言うと、石田さんは疲れたように笑った。オレが教わったのが5年前、会社に入ってすぐの頃だ。5年の歳月で、随分老けた。
石田さんは典型的な兼業農家だ。地元の会社に行き、土日や手の空いたときに畑に出る。この辺りではかなり古い家で、広い畑をやっている。確か今年で定年だったか。仕事辞めたら、畑だけだとか言っていたっけ。
ただ、ここ数年はそうもいかなくなってしまった。
適当に世間話をしながら、気になっていたことを聞く。
「…奥さん、どうです?」
「やっぱりだめだ。今日も病院だよ。永くないかもしれん」
ぶっきらぼうにそういう石田さんの顔には影がさす。
石田さんの奥さんは病気がちだ。何度か手術もしている。ぼかされてはいるが、ガンだというのをばあちゃんから聞いていた。もう五十後半なのだから珍しくもないが、辛いのは間違いない。
週に何度も病院に通う奥さんを石田さんは献身的に支えているが、もちろんそんな状態で会社に行っていて、畑まで手が回るわけがない。石田さん自身年も年だ。
それでオレが手が空いたときに、こっちに戻ってきたときに適当に手伝っている。
聞いた感じだと、いよいよマズそうだ。
そのまま会社やら、定年後どうしようという愚痴に付き合う。
いつもなら、教えてもらった恩だけで手伝っていたが、ちょっとばかり下心がある今は若干罪悪感がある。
一通り愚痴を聞いて、オレはできるだけ、いつもどおりに切り出した。
「…それで、そろそろ農薬撒きの時期でしょ? どうします?」
「あー、そうだね。いつなら都合がいい?」
なんとなく投げ槍な感じで石田さんは言う。もう畑なんかどうでも良いという感じだが、それが今は都合がいい。
「今日はこっちに泊まってくんで、なんなら明日でも大丈夫ですよ?」
「あー、そうか…。でも、明日は病院行くんだよな…」
「いつもみたく、オレがやっときます?」
「…そうか。…そうだな。頼むか」
農家は、大抵のことは自分でやりたがる。
特に古い農家ほどそんな気が強い。支度を手伝おうとしても自分でやるし、気になったことは自分で調べる。
畑で野菜を相手にしているせいかもしれないが、自分の世界に人が入るのを嫌う人は多い。
石田さんも世話になっていたことはそうだったんだが、一昨年に奥さんが病気になってからは、すっかりこんな調子だ。
オレはいつものようにうなずく。
「じゃあ、明日辺りやっときますよ。いつもの倉庫に?」
「うん。一応、農協から薬はもらってるから、頼んじゃっていいかい?」
「わかりました。じゃあ、明日、やっときますね」
「…バカ息子も東京行っちゃって戻ってこないし、実ちゃんいっそのことうちの畑、継ぐ?」
「いやいや、タケちゃんに悪いですって。それじゃ明日、またきます」
「終わったら置いといてくれ、洗うのはこっちでやっとくから」
そんな会話もそこそこに、オレは石田さんと別れた。
すっかり暗くなった道を、急いで車に戻る。
運転席に戻ったオレは、小さく息を吐いた。
「…ひとまず安心か」
「大丈夫ですか、マスター」
一息ついていると、助手席のキーファが声をかけてくる。見れば人形に抱えられたキーファが画面越しにオレを見ていた。ついでに言えば、人形もオレを暗闇から覗いている。怖い。
「…ああ、明日、またやるぞ」
「今度はどれくらいマナが貯まるでしょうか?」
「少なくはないだろうな」
オレは車のエンジンを掛けて、いつも泊まっているホテルに向かす。明日もまた早い。
オレがマナ収集のために次に目をつけたのは農薬撒きだ。
この時期の葉っぱには、様々な虫や病気が襲いかかる。人にもよるだろうが、一月に何度かは農薬をまいてそれから守ってやる必要があるのだ。
農薬というのは、基本的に殺菌剤と殺虫剤を混ぜたものだ。
この時期であれば、まだ蝶の幼虫はじめ、様々な虫がいる。
おそらく結構な効果が見込める、と、オレは目算していた。
「ダンジョンの領域設定と解除は、簡単にできるんだな?」
「できますけど、なんか違いません?」
「ひとまず、収集できればそれでいい。流石に人様の家を勝手にダンジョンにするわけにもいかないだろう?」
こんな荒業ができるのは、キーファが優秀だからだ。
カメラで写した範囲を指定してやれば、そこをダンジョンにしてくれる。もちろんコストは掛かるが、今ならある程度の範囲を覆っても問題ない。解除もワンタッチだ。
「あとはコスパか」
「例の、虫? ですか。流石に平均がわかりませんので、一度調べてみないといけません」
「そうだな」
アリ1、2匹で1ポイント。マナが何かわからないが、少なくとも虫からも収穫できるものなのはわかった。
あとは明日の標的たちが、どの程度持っているのかカウントすれば、それでまた当面のマナは確保できるだろう。
あとは。
「キーファ、
オレが声をかけると、相変わらず人形に抱えられたキーファが、画面の中で手元のテロップを向けてくれる。
「収穫は問題ないみたいです。御覧ください」
「見るのはあとだ。運転中は怖い」
最近は、ながらスマホは一発免停だ。
おまけに今は見つかるわけに行かない。
自分がダンジョンマスターなんて、見つかったらなにをされるかわかったものじゃない。
「一応、結果だけお伝えしますと、この距離でも問題なくマナは私に集まっています。最後に設置した部分ですね」
「そうか」
キーファはダンジョンの、どの部分からマナが収集されているのかも分析できる。
オレは最後に畑を出るとき、近場でもう一箇所蟻の巣を探してそこに『アリコロス』をかけておいた。
アリの殺虫剤は効くまで少し時間がかかる。
地中深くの巣に浸透するまで時間がかかるからだ。それを利用して、どの程度離れても効果があるのか調べていたのだが、今のところ問題はないらしい。
「…どの程度の距離まで有効なんだろうな?」
「一応、私のマナアンテナは高性能ですから、そのへんは問題ないかと。それこそどこでもマナ次第でダンジョン化できます。ですから、どこかにダンジョンを…」
「本当に君は優秀だよ」
また余計なことを言い出しそうな大根を、褒めて黙らせる。
実際にキーファは優秀だ。そこは文句のつけようがない。
だが、ダンジョンに関しては一種の執念があるから怖い。そのうち勝手にダンジョンを作りかねない。
唯一、褒めれば身悶えするくらいちょろいのが幸いだが。
そんなふうにキーファを身悶えさせながら、オレはなんとか無事にホテルに着いた。
途中、人形がオレの裾を引っ張って自分も褒めろと主張してくるトラブルとも言えない事件はあったが、これでようやく休める。
チェックインのとき、かばんからはみ出た大根の葉っぱを、フロント係から変な目で見られたのは、完全な余談だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます