花盗人と金木犀

深夜みく

 世界では、少女だけが発症する奇病、「花痣病」が問題視されていた。

 花痣病に罹った者は、身体の何処かに花の痣が現れる。その痣は次第に大きくなり、やがて芽が出て、それから育った植物は病気を発症した者を養分にして美しい花を咲かせるのだ。誰もが魅了される美しい花を咲かせた代償に、それを体に宿した者は、死に至る。それを治すことができるのは、名医や良薬などではなく、お伽噺に出てくるような「運命の人」であった。

 また、病気を発症した者は清浄な空気の中でしか生きていくことができない。

 政府は対策として、花痣病患者専用のサナトリウム、「リトルガーデン」を設置することにした。

 体に花を宿した少女達は、世界から隔離されたリトルガーデンの中で、運命の人を待っている。

 その様子から、人々はリトルガーデンのことを、俗に「少女植物園」と呼称するようになった。

 これは、その少女植物園で起きた愛憎渦巻く物語。

 花盗人と金木犀の話である。



◆ ◆ ◆



 意識が浮上するのと同時に、背中に硬いマットレスの感触を感じる。起床を促すように美しいピアノの音色がサナトリウム内全域に流れだし、それに身体を引かれるように、アカネは上半身を起こした。

 どれだけ美しく爽やかな音楽でも、安眠を妨げる音はどうにも憎らしくなる。いつにも増して鋭くなった目付きで、アカネは部屋の壁に備わっているスピーカーを睨み付けた。スピーカーは、小鳥の囀りのようなピアノの音を無感情に垂れ流すだけである。

 リトルガーデンに朝が来た。それをわざわざ理解するまでもなく、アカネは大きく口を開けて欠伸をする。肺を満たす空気は平生通り穢れがなく、息苦しさを微塵も感じない。逐一確認することでもないが、リトルガーデンに備わった空気清浄機などの設備は、今日も万全のようだった。

 周囲を見渡せば、眠そうに目元を擦る二人の少女、ミチルとイチカが向かい側の二段ベッドから這いずり出る光景が視界に留まる。

 ここ、リトルガーデンでは一部屋に四人の患者が集められることとなる。一部屋に二段ベッドが一つずつ。その他は簡素な机と椅子があるのみで、壁も天井も、清潔を謳う純白に包まれている。一欠けらだって面白みのない部屋では、少女間でのコミュニケーションでしか、娯楽への欲求を満たすことはできなかった。


「ミチル、イチカ、おはよう」

「ああ、アカネ……おはよう」

「ふわぁ、おはよう。よくもそんなにキッチリ起きれるよねぇ。毎日不思議で不思議で仕方ないよ。どうして目覚ましにピアノの音を使うんだろう。余計に眠くなって……ふわぁ……」


 目をしょぼつかせたミチルと、喋っている間に二度も欠伸を零すイチカ。その二人との挨拶を終えて、アカネもベッドから床へと移動する。昨日履いたままにしていた白いスリッパの向きを整えていると、今日もそこに自分の分しか並んでいないことに気が付いた。

 スリッパを履きながら、何気なく自分の上のベッドを確認する。自分を含めた三人とは違い、白い掛布団がマットレスの上で丁寧に畳まれていた。既に人影はなく、スリッパもないことから、ピアノの目覚ましが鳴る前に起床してこの部屋を出ていったのだ、と言うことが分かる。

 私はそれを確認して、酷く顔を顰めた。彼女がいないことを悟った瞬間、私の鼻孔を金木犀の香りが掠める。それは、既に空になった二段ベッドの上段から漂っていた。私はそれを嗅ぐ度、いつも嘲笑された気分になるのだ。私の眉間の皺は、余計に深くなる。


「あら、カオルさんは今日も早起きなさったのね」


 流石だわ、と言いたげなミチルの声を、アカネは無視した。

 カオル。その名を聞くことさえ厭わしい。

 胸の内に沸き立った感情のまま、アカネの手は己の寝間着を乱雑に身から剥がす。控えめに膨らんだ白い胸元に浮かぶアネモネの痣は、先週見た時よりも、僅かに大きくなっていた。


「カオルさん、いつも早起きだけど、何をしてるのかなぁ」

「決まってるでしょ、植物のお手入れよ。カオルさんはもうそろそろ頑張り時なんだから」

「あぁ……金木犀だもんねぇ。でも、そんなにキッチリしなくても、きっとカオルさんならすぐ良い人見つかると思うの。どうして今まで見つからなかったのかが不思議なくらい、素敵な人だもん。優しくていい匂いするし」

「金木犀は咲いてから一週間しか持たないもの。お花も本人も、あんなに素敵なのにね」


 ミチルはそう言って、自分のことのように残念がって溜息を吐いた。寝間着のままカオルについての会話を弾ませる二人に、アカネの苛立ちはさらに沸々と沸き立ち、脳内を支配していくようだった。

 花痣病を患った少女達は、このリトルガーデンの中で運命の人を待ち続ける。運命の人と出会い、そこで生まれた愛こそが、花痣病を治す特効薬と成り得るのだ。

しかし、少女達はリトルガーデンの中でしか生きることができない。外を出歩けない彼女達は、自分の運命の人を探すために、自分の痣と同じ花を育て、その花を外に展示するのである。

 不思議なことに、花痣病の患者が痣と同じ花を育てると、花独自の香りだけではなく、運命の人だけが感じ取れる特別な香りを放つようになるのだ。その特別な香りに惹き寄せられた運命の人は、リトルガーデンでその花を育てた少女と面会することを赦される。そうして、少女たちは自分の運命の人にその命を救われ、ここを去っていく。それがこのリトルガーデンの仕組みだった。

 少女たちは皆、自分の痣と同じ花を育てている。それこそが自分の病気を治す唯一の手段だからだ。手間と時間、そして愛情を掛けるほど、香りの強い、美しい花が咲く。


「早くカオルさんが報われるといいんだけど。今度こそ、運命の人に金木犀の香りが届くかしら」

「本当に。カオルさんには、幸せになってほしいなぁ」

「……二人共、随分余裕なんだね。自分のことは良いの? 自分だって、その人を見つけないと死んじゃうのに」


 それ以上聞いていられなくなって、アカネは二人から顔を逸らしたまま刺々しい声でそう言い放った。苛々によって頭に集中した熱が、自ずとそうさせた。二人の驚愕した気配を無視して、アカネは言葉を継ぐ。


「あれだけ匂いが強ければ、心配しなくてもすぐに男達に匂いが届くでしょ。匂いの主張強いから、他の子の邪魔にならないか、私はそっちの方が心配」

「アカネ、まだカオルさんのこと悪く言って」

「本当のことだもん。ミチルこそ、カオルさんカオルさんって。同い年なのに一人だけ敬うの、馬鹿らしくない? いつも皆にお姫様扱いされて、本人はそれが当たり前みたいな澄まし顔で。私、カオルのそういうところが本当に好きじゃないの」


 それぞれに支給された白いワンピースに袖を通しながら、アカネはそう断言した。不満を前面に押し出しながらミチルを睨み付ければ、彼女は困ったように肩を竦める。

 アカネは、カオルのことが大嫌いだった。否、大嫌いなどという生易しい言葉では到底収まらない。その感情は、最早憎悪と呼べる領域にまで達していた。


「どうしてそんなにカオルさんのこと嫌いなの? 優しくて、綺麗で、本当にお姫様みたいなんだもん。皆お姫様扱いしたくもなると思うんだけどなぁ」

「お姫様扱いして意味があるのはアレの運命の人だけでしょ。馬鹿馬鹿しい。私、先朝食行くからね」


 怒り任せに踏み出せば、スリッパが床に擦れて、何処か間抜けな音を立てた。それにも構わず、アカネは部屋のスライド式の扉を大きな音を出して開ける。扉の先は、部屋と同じ味気のない真白い壁と薄い黄色の床で形成された廊下が広がっている。アカネはその先に歩みを進めながら、扉が閉まる前に、二人を振り向いて呟く。


「あんまりお喋りしてると朝食に遅刻して、また婦長に怒られるんだから。早くおいで」


 アカネの一言で、二人は何処か強張らせていた表情を柔らかくする。それぞれから感謝の言葉を受け取ってから、アカネは別室の少女達がちらほらと移動している廊下の中を一人で歩きだした。

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