コーヒー・アンド・ストッキング2

 姫宮纏ひめみやまといはベッドに横たわって涙を流していた。

 孤独が悲しい。誰かの体温が愛しい。

 アパートの暗い部屋の中にたった一人。脱ぎ捨てたシャツとタイトスカート。破れたストッキング。コンビニの弁当殻、ピザの箱、ビールの空き缶。現代の地獄と形容するに相応しい部屋だった。

 纏はOLである。

 大学時代の就職活動が実を結び、卒業するや否やしがない出版社に入社した。仕事は予想よりも忙しくなかったが、纏は入社二年目にしてオフィスワークのルーティンに辟易していた。

 仕事が楽なのはいいが、あまりにも退屈すぎる。とはいえ、一人暮らしをしているため、今さら仕事をやめるわけにはいかない。退屈を凌ぎたいのなら副業をするのがいいのではないかと同僚には言われたが、別にそこまでして働きたいわけではないし、生活費も間に合っている。

 会社の飲み会や合コンにはほとんど参加しない。付き合いのために仕方なく飲み会に行くことはあるが、同僚に誘われても合コンには絶対に行かない。

 纏には友達も恋人もいない。いるとしたら、結婚しようと血眼になっているオフィスの同僚くらいである。

 友達がいなかったわけではないが、纏の付き合いが悪いせいで愛想を尽かされた。高校時代の唯一の親友も、ある出来事のせいで失ってしまった。恋人もいないというよりは、彼女が作らないと決めていた。結婚なんてしたくもなかった。あの出来事以来、彼女は人間不信に陥っていた。

 纏には自ら孤独になりたがるような節があった。

 一人でいると自由だ。誰にも気を遣わなくていい。が、寂しくて肌寒い。誰かの体温を欲してしまう。

 孤独には二面性がある。コインの表と裏のように。

 纏は孤独の二面性の板挟みにされていた。その結果、彼女の行動と感情は矛盾してしまっていた。

 嗚咽が治まってくると、喉が渇いてきた。冷蔵庫に缶ビールが残っていたはずだ。こういう時は酔って何もかも忘れてしまうのが手っ取り早い解決方法だ。

 纏は手の甲で瞼を拭い、ふらふらと千鳥足でキッチンに入っていった。冷蔵庫を開けると、明日の朝食のサンドイッチ、ミネラルウォーターのペットボトルが二本、食後のデザートに取っておいた杏仁豆腐しか入っていなかった。

 そういえば、最後の缶ビールは先ほど飲んでしまったのだった。酔っているせいですっかり忘れてしまっていた。

 嘆息して肩を落とし、纏はミネラルウォーターを呷った。ペットボトルの半分まで飲むと、アルコールが薄まって大分落ち着いてきた。杏仁豆腐のおかげで、少しは幸せな気分になることができた。

 リビングに戻り、ベッドに腰を下ろす。引き裂かれたストッキングが視界に映り、また溜め息が漏れる。

「新しいストッキング、買いに行かないと」

 部屋に散乱したごみの一部を大きめのビニール袋に詰める。シャツとタイトスカートに着替える。洗面台で顔を洗い、軽く化粧を直す。素足でハイヒールを履き、鍵をかけてアパートを出る。

 酔うと不安になってしまうのは悪い癖だ。何時間めそめそしていたことだろう。まさか深夜にストッキングを買いに行くことになるとは思いもしなかった。

 夜風が心地いい。もうすぐ夏が終わる。夏なんてどうでもいい。さっさと終わってしまえばいい。

 この夏、纏は一人で海に行った。一人で花火を見に行き、一人で祭りの屋台の間を歩いた。友達か恋人と一緒に夏を満喫したかったが、そんな人間は彼女の周囲には誰一人としていなかった。

 街はひどく閑静だった。暗闇という地獄の中に置いてけぼりにされてしまったかのようだった。

 そんな中、コンビニは夜闇に輝く希望の光だった。

 深夜だというのに、コンビニの中には店員と客がいる。当然のことだが、纏にとってそれは特別なことだ。

 纏はほっと安堵の溜め息を吐いた。それから、コンビニの前のごみ箱にぱんぱんのビニール袋を押し込んだ。

 自動ドアが開くと、店員はがらがらの低い声で「いらっしゃいませ」と言って力なくお辞儀した。

 いかにも眠たそうな店員だが、深夜のアルバイトだというのに欠伸を我慢しているのは称賛に値する。纏だったら立ったまま居眠りしてしまうかもしれない。

 纏は他の商品には目もくれずにストッキングが置いてある棚まで移動した。

 袋詰めにされた黒色のストッキングと肌色のストッキングを両手に取る。一足およそ三百円。もっと安いものでもよかったが、このコンビニにはこれしか種類がない。色を選べるだけまだましか。

 どうせ今日中には破れてしまうストッキングだが、オフィスにも履いていくものだ。一応、慎重に選ばなければならない。

 人間不信に陥っている纏だが、他人の視線には配慮していた。やはり女は少しでも美しくありたいと思う生き物だ。彼女はまだ若かった。異性に興味がなくても、女の本能は生き残っていた。

 ついに両手の天秤が傾いた。纏は黒色のストッキングを買うことにした。

 杏仁豆腐を食べたが、泣き疲れて小腹が空いていた。深夜にスイーツを食べると太りやすいことを今さらながら思い出した。

 どうして食後に取っておいた杏仁豆腐の存在を忘れていたのだろう。深夜に冷蔵庫を開けてスイーツがあったら、食べてしまうに決まっている。

 唇を噛んで欠伸を我慢している店員にストッキングを渡し、纏はレジの横にあるフライドチキンのショーケースに視線を奪われた。無性にジャンクフードを食べたいという衝動に駆られた。

 さくさくの油っぽい衣。ヘルシーさとジューシーさを兼ね備えた鶏肉。結局、鶏肉のヘルシーさは打ち消されてしまうが、フライドチキンは一度食べるとやみつきになる。纏も昼食として何度か食べたことがある。フライドチキンはダイエットの敵だ。

 しかし、背後に並んだ金髪の青年のおかげで葛藤に打ち勝つことができた。纏はストッキングの代金を支払い、さっさとコンビニから退散することにした。

 帰って寝ることにしよう。明日も早く起きなければならない。

 朝、目が覚めると一人。朝食はあらかじめコンビニで買っておいたもの。着替えて、化粧をして、通勤ラッシュで満員の電車に揺られてオフィスへと向かう。デスクでパソコンと睨み合い、昼食は一人で適当なものを食べる。

 睡魔と戦いながら仕事を終え、帰りはコンビニに立ち寄って夕食と缶ビールとストッキングを買う。出前のピザを注文することもあるが、纏は電話が嫌いなので面倒くさがって利用することは少ない。食後は熱いシャワーを浴び、風呂上がりには缶ビールを一気に飲み干す。酔いが回り、不安になって涙を流す。孤独を嘆いているうちに、いつの間にか眠りに落ちている。

 この日常にも慣れてきた。いつまで経っても孤独には慣れないが。

 自由な日常。孤独な日常。変わらない日常。

 纏は涙をかき消すように大きな欠伸をした。

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