15.地下道を抜けて

 階段を下りると、支部からは先ほどの足音が嘘のように消えていた。そのまま素早く廊下を通り抜け、私たちは地下へ滑り込む。

「よし、巧くやってくれている……」

 アリデッドは小さくつぶさくと、左の手のひらの中央に右の指先を差し入れて、大きな鍵をひとつ取り出した。

 『ポーチ』の魔法だ。

 ランプの被いを外して明かりを掲げ、地下をしばらく歩き回ると、やがて小さな扉の前に出た。鍵穴の周りの埃を払い、そこに先ほど取り出した鍵を差し入れる。

「コイツでダメなら魔法だが……よし」

 ガチリとたしかな音を立て、扉のロックが外れる。アリデッドとキョウヤが力を合わせて押し開けると、扉は重く錆び付いた響きをあげながら、どこまでも続いていそうな闇を私たちに示した。

 私たちはまた隊列を組み、黙々と狭い通路を歩き続ける。ランプを手にしたアリデッドが先導し、次にキョウヤ、そして私が弱い方のランプで足下を照らしつつ、シセインの手を取りながら続く。

 忍ばせた靴音の間で、アリデッドの火のランプがチリチリと焼ける、小さな音が聞こえてくる。

 地下道のあちこちには、電灯の残骸が見えていた。そのどれもが沈黙しきり、通路はわずかな先も見通せない。

 私はふと、腰に下げた小袋のぬくもりに意識を向けた。

 発電遺跡が止まり、ここの明かりが消えたのは、この小箱を私が受け取ったせいなのだろうか。

 そのことを相談しようかとも思ったが、敵軍にも、条約機構の人にも見つかるわけにはいかない今、言葉を交わすのはためらわれる。

 それに、妙に黙りこくったまま目の前を歩くキョウヤに、どう声をかければ良いのか分からなかった。その背中との距離感が、なんだか気まずい。かといって、歩みを緩めて間を取ってしまうと、あの老人のように、背中が突然消えてしまいそうな錯覚を覚える。

 シセインを伴ったまま、孤立するようなことになってはいけない。

 私は少し早足ぎみに、でも近づきすぎないように気を払いながら、手元のランプでしっかり彼のマントを照らし続けた。

「まずいな……」

 言うなり、アリデッドが突然立ち止まって、脇の壁に背を付けた。

 分からないなりに、私たちもそれにならう。

 彼は慎重にランプを差し延べながら、すぐ目の前の曲がり角の先をじっと覗き込んでいる。

「どうしたの?」

 声を絞りながら、訊ねてみる。

「この先で壁が崩れ、空いた横穴が外に繋がってしまっている」

 それは、なにか危険を意味するのだろうか? 疑問に、キョウヤがいちはやく答えた。

「敵が、この先に入り込んでいる可能性が……?」

「ないとは、言い切れん。キョウヤは剣を抜いて。二人はそのまま。この先は慎重に行く」

 指示を下し、ランプにまた金属の覆いをかぶせる。キョウヤが腰の剣を抜き放ち、金属のこすれ合う音を響かせた。私も、魔導具のランプをそっと鎮めさせる。

 合図と共に角を曲がると、道の先に月の明かりが射しているのが見えた。その先は、外の世界に続いている。……最悪、敵陣の真ん中に。

 わずかな光によって、崩れた壁とともに土砂が通路に流れ込んで、床のほとんどをふさいでしまっているのがわかる。

 軽い身のこなしでアリデッドが土砂を乗り越え、周囲を警戒しながら、こちらに合図を送ってくる。

 危険は無い、だが、ここから外へ出るべきではない。彼のその判断を信じて、土砂を越えるために足をかける。

 先にいただきに登ったキョウヤが、私に片手を差し伸べてきたが……私の左右の手は、シセインの手とランプによってふさがれている。

「いいから、先に行って!」

 潜めた声で呼びかけた、その時。

 轟音が鳴り渡り、地面が揺れた。

 砲撃だ、それも連続して!

 不安定な足下が大きく揺らぎ、思わず前によろめいた途端に、握っていた手を強く引いてしまった。

「ひぅ!」

 情けない声をあげながら、シセインが前方へ転がり落ちる。

 手を離すまいとしていた私の足に、さらに震動。すぐ脇の横穴から、音が襲いかかってくる。ずっとつないでいた手が離れ、二人はともに土砂の上を滑り落ちた。

「だ、大丈夫?」

 軽くひねった足と、地面に打ち付けた全身に痛みを覚えるが、それらを必死に我慢しながら、シセインを気遣う声をかける。かすかな月明かりの下で、彼女が泥にまみれているのが見えた。

「走って!」

 アリデッドの声に、私はなんとか応えようと、上体を起こす。不安定な足場の上でつんのめり、よろめきながら、前になんとか一歩、足を踏む。足の痛みに、思わず身体がぐらりと傾いてしまう。

(ここに金属の大砲を撃ち込まれたら、死ぬのかな……)

 遠のきそうな意識の中で、シセインに向けて伸ばそうとした、その手を……キョウヤが、つかんだ。

「ちょっ……」

 シセインの方は、アリデッドが半ば抱えるようにしながら引っ張っていく。

 私も手を引かれるまま、がれきや小石を踏みながら走り出す。慣れないブーツの中で痛みを訴えている足をどうにか動かし、キョウヤの速度についていく。

 気が動転していると、あらぬ考えが脳に湧き出るものらしい。

(せめてこの世界に、部活で履き慣らしたテニスシューズでも、持ってきていれば)

 そんなことを願っても、シューズが降ってくるわけもない。

 背後で、なにかの音が聞こえた。遠い歓声……いや、違う。これが、ときの声、というヤツだろうか。

「街への総攻撃だ」

 もう片方の手につかんだ剣を頼りなく揺らしながら、キョウヤは冷静に分析してみせる。けど、あなた、いつもいつも考えるべきこと、気を配るべきトコロがずれてるの! まずはその手を離せ!

 握られた手に力を込めると、それを何かと勘違いしたのか、コイツは妙に芯の通った男の声で、顔を真っ直ぐに見つめ返して、告げてくる。

「こんな世界に喚んでしまって、すまない」

「今になって言うなぁ!」

 角を曲がり、外の明かりから身を隠したところで、キョウヤはようやくその手を離してくれた。アリデッドもシセインを座らせて、そこでようやく息をつく。

 冷たい空気が頬を撫でる。あれほど強く響き渡っていた爆発音も、ときの声も、今は聞こえない。でも、それらの残響がまだ耳の中にこだましているように感じられた。

「今ので気付かれたとは思わんが……手当てだけして、先を急ごう」

 今さらとはいえ、ここから街へ引き返すことなど、できない。あの砲火の音のした横穴の外へ向かうなんて選択肢は、もっとあり得ない。

 疲れと痛みで座り込んでしまったシセインが、私に寄り添ったまま、ずっと身体を震わせていた。アリデッドはそばにかがみこんで、ランプを丁寧に床に置く。そして、両手をそっと差し伸べて、彼女の足に触れさせた。

 その手のひらが、淡く清らかな光を放ちはじめる。

「サオリ。これが治癒魔法『手当て』の術だ」

 たしか、あの魔術の本にも書かれてあった。手で優しく触れることで、痛みを和らげ、止血と消毒を行うことができるのだとか。

 その優しい光を、異世界人の私とキョウヤが物珍しそうに見つめていると、ローブの裾をまくっていたシセインが、かすかな明かりの中、恥ずかしそうに顔をすくめた。その仕草に、泥を吸った白いローブと、その隙間からのぞく肌が、急にまぶしく感じられてしまう。

「ごめんなさい……やっぱり私が足を引っ張って。ダメだなぁ」

「ダメじゃないって!」

「でも……きっと見つかって、捕まっちゃう」

 せっかくの容貌も台無しにしてしまう弱気な言葉。悲観的になるのも無理はない、条約機構にたどり着く前からずっと大変な思いを続けてきて、心身が限界に近いのだろう。ついさっき戦場を垣間見ただけの私でさえ、疲労と不安と痛みで、すでに辛い。

 こんな時に、戦い続ける勇気を手にするためには……。

「ミラ様……」

「ああ」

 無意識に呼びかけた私の声に、キョウヤが応えた。

「きっと大丈夫だ、見守っている。だから、前に進もう」

「それ、私のセリフ」

 口を尖らせると、なんだか周囲の空気がほぐされた気がした。

 これも、ミラ様の御加護に違いない。

「あと、どれぐらい?」

「さほど長くはないはずだ」

 そうは言うけど、外出実習の体験からすると、この世界の人間が口にする距離感はアテにならない。

「行き止まりに部屋があって、その右手から川辺に出られる。皇国軍はそこまで布陣していないはず……あと少し、頑張れるな?」

 力強くも優しい声に、私はうなずいて、シセインを助け起こす。私の足の痛みはどうにか引いていた。彼女の足どりも、やはり頼りなくはあったが、まだ希望を捨てきってはいないと感じられた。


 それから私たちは、さらに長い通路を歩き続けた。

(街の人たちは、今、どうなっているのかな)

 私たちを逃がしてくれた女性職員に、赤ちゃんとその母親。イヤな人もたくさんいたけれど、私は誰にだって死んでほしくない。

 その全てを救ってくれるほど、ミラ様は万能ではない。だけど。

 ランプを握る手を、じっと見つめる。

 どうか、私のこの手と、ミラ様の手が届くなら……誰も傷を負ったりすることのないようにしたい……。

「部屋が見えた」

 アリデッドの声に、私は祈りを途切らせて、顔を上げた。

 通路の奥の方に見えてきたのは、重そうな両開きの金属の扉。その右半分は朽ちて崩れ落ち、穴の先に深い闇をのぞかせていた。

「行こう」

 アリデッドは扉に手をかけようとしたが、音を立てるべきではないと判断したのだろう。空いた隙間に身体をねじ込んで、奥にその姿を消した。目の前を照らすランプの明かりが私のひとつだけになって、途端に辺りが寂しくなる。

 キョウヤが続き、私とシセインも順に潜り込む。

 部屋の中は、思っていたよりも広い。あの老人がいた空間ほどではないが、ランプの光が奥まで行き届かない。

 それにしても、なんだろう、ひどく生臭い空気に満たされている。生肉、発酵食品、あとは傷口の臭いも混ざっているような……?

 中の様子を照らそうと、ランプを掲げようとしたその時……私の身体が、ぐいと脇に引き込まれた。

 温かな手は、アリデッドだ。しかし、その肌が汗に濡れているのが分かった。彼は私たち二人を部屋の隅に押し込めると、キョウヤと共にその前に立って、背中で視界を塞いだ。

「想定しておくべきだった……」

 張り詰めた、声。その手のランプに、とっさに被いをかぶせたのだろう、正面への光が絞られる。

 なぜそんなことをするのか、すぐには理解出来なかった。

 しかし、部屋の奥……大きな柱が立ち、その間に棚がいくつか積まれている……その陰で、何者かがうごめいていた。

 人影のような、でも、それにしては妙に小さくてすばしっこい。

「合図で中を照らす。シセインもそれに合わせて光源の魔法を投げて。僕とキョウヤで足を止める。サオリは右手にある出口を探して、開けて」

 早口に飛ばされる指示に、私は反射でうなずく。シセインも、うわずった声でなんとか応える。

 アリデッドの合図が始まった。三、二、一……。

「走れ……っ」

「走れ……!」

 カッと部屋の中に光があふれる。

 同時に、まばゆい光の球が宙に現れ、いくつもの小さな人影が照らし出された。子どものように背が低く、ボロをまとう肌の色は緑色、耳の先が鋭くとがり、頭は完全に禿げ上がっている。

 これは小人こびと、と呼ぶべきなのだろうか。しかし、その奥に一体だけ、妙に大きな身体がそびえ立っていた。

 全身を覆う、長い灰色の体毛。突き出たとがり耳、そして縦長の大きな鼻。

「ケイブ・トロール……!」

 一匹の小人が間に躍り出て、手にしたナイフを引き抜いた。

 刃に反射した光が、私の視界に飛び込んで、意識を貫く……。

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