第6話 黒神との別れ

 二人は、平成館の1階の考古展示なども一通り観て回り、博物館を後にした。

しばらく人ごみの中を散歩すると、上野の森さくらテラスが見えた。

「お腹も空いてきたから、ここでお昼ご飯にしようか?」

「そうですね。朝が早かったのでお腹が空きましたね。」

二人は、上野の森さくらテラスのイタリアンレストランで食事をすることにした。多くの客で混み合ってはいたが、少し並んで待つと、程なく入店することができた。さっそく、ランチコースのメニューを注文すると、少しずつ料理が運ばれ、ゆっくりとした時間が流れて行く。

「このずわい蟹のクリームスパ美味しいね。」黒神は、スパゲッティをフォークにうまく絡めながら、笑顔で美知のほうを見遣った。

「ほんとに美味しいですね。島根のほうでは、ずわい蟹って冬の味覚として有名なんですよね。」

「そうですね。松葉ガニが有名です。美知さんも冬の蟹をぜひ食べに来てくださいね。」

美知は、黒神の言葉に朝の憂いを思い出した。


 デザートとコーヒーで満たされると、すでに午後一時を回っていた。二人はおもむろにレストランを出て、不忍池の周りを散歩した。

「7月頃になると、この池には沢山の蓮の花が咲き乱れるんですよ。泥の中から真っ直ぐに伸びて、清らかな花を咲かせる蓮の花は、泥の中に喘ぐ衆生が修行を積んで悟りを開き仏になる尊い姿を象徴しています。そのため、胎蔵界曼荼羅の中心となる中台八葉院は、蓮の花の八つの花弁に見立てて八つの院に分けられているんです。」

「確かに仏教には蓮の花が付きものですよね。蓮の花を見ていると心が清らかになるような気がします。」

「美知さん、僕は明日島根に戻らなければなりませんが、これからも時々こうして会ってもらうことはできますか?」

「ありがとございます。でも、私たちはまだ会って間もないし、島根と東京は離れているので、もう会わないほうがいいんじゃないかと思うんです。」

「こんな太ったオヤジじゃいやですよね。」

「そんなことはないんですが、私たちは出会ってはいけない巡り合わせなのかも知れません。」

「僕たちの巡り合わせが悪いということですか?」

「父は、黒神さんの遠い前世が大国主命で、遠い昔に殺害したという因縁が災いしているんじゃないかって言うんです。」

「そんな非現実的なことを信じるんですか?もし、仮に僕の魂が遠い昔にあなたのお父さんから危害を加えられたのだとしても、今ここであなたと出会ったのは、復讐のためではなく、和解のためなんです。きっと、大国主命は出雲国を守るために自ら進んで犠牲になったのだと思います。その結果、国譲りにより日本は統一され、出雲は出雲大社を中心に栄えたんです。」

「国のため、皆のために、自ら犠牲になるなんて、おかしくないですか?その思想が日本を太平洋戦争に突き進ませたんじゃないでしょうか?」

「そうかも知れません。しかし、自分のためだけでなく、多かれ少なかれ誰かは誰かのために働くことで世の中が回っているんじゃないでしょうか?誰だって好き好んで自己犠牲にはなりません。そこには、残念ながらお金が絡んでいます。でも、それより尊いのは無償の愛です。仏教では、『慈悲』と言います。」

「黒神さんはキリスト教徒みたいですね。私も大学でキリスト教を学び、聖書を読み返しては、礼拝にも参加しましたが、無償の愛だけでは解決できない問題が多数あるように思います。愛がすべてを解決できるのなら、世界はもっと平和になっているでしょうに。」

「そうですね。でも、私の魂はあなたのお父さんに対して何の遺恨もないのは確かです。・・・もし、美知さんがまた僕と会いたいと思ってくれたら、ラインしてください。じゃあ、今日はここで。お元気で。」

黒神は、そう言って、人ごみの中に消えて行った。残された美知は、漠然とした空白感を感じながら、しばらく、不忍池の水面を眺めていた。

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