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 6月の第2土曜日、私は新幹線に乗った。その特徴的な頭の形とグリーンのカラーリングを、綺麗だとは思ったが、私はあくまで「電車の旅が好き」なのであって撮り鉄ではないので、写真は撮らなかった。久しぶりに乗った新幹線は静かだし揺れない。スピードだってすごく速い。やっぱり新幹線っていいな、と思った。

 東京駅を出発した時には満席だった車内は、途中駅で人の入れ替わりがありつつ、仙台を過ぎるとグッと乗客が減った。どうやら、東京から新函館北斗まで通して乗る客はあまりいないらしい。東京から新函館北斗まで、所要時間はゆうに4時間を超える。普通の感覚の持ち主であれば、時間が掛かることを嫌って、この区間の移動に新幹線はあまり使わないのかもしれない。

 実際、仙台から先はえらく長く感じられた。遠くに山が見えているだけの原野の中を進むから、車窓を眺めても面白いとは言い難いということも影響しているだろうか。私は好きで乗っているのだからよいのだが、この長さを「耐えられない」と思う人は多いかもしれない。


 新函館北斗駅に着き、新幹線を降りたが、実はここはまだ函館市ではない。新幹線1本で函館市にアクセスできないというのは、一部で不評を買ったり、残念がられたりしている点だが、いろいろと、そうすることができない事情があったのだと、私は理解している。確かに乗り換えが必須とはいえ、新函館北斗から函館駅まではさほど時間は掛からないし、まぁこれでよいのではないかと思う。


 函館駅に降り立ち、改札を出ると、そこには巨大なイカの像が建っていた。全長は7mほどもあるだろうか。私の目の高さでは、吸盤の付いた足部分しか見えない。もともとそういう色なのか、塗装したものか、詳しいことはわからないが、その像は光沢のある黒色をしていた。写実性より芸術性を重んじたものか、見上げてみたその姿は、三角頭に胴体が付いたような――頭に見える三角の部分は実は「頭」ではないのだが、それはこの際どうでもよいことだ――馴染み深いそれとは異なっていた。でも、イカが「市の魚」になっているくらいなのだから、これはイカの像で間違いないだろう。まさかタコの像を建てたりはしないだろうし。


 イカをやたらと推すこの町は、今度はこんなものまで建てたのか。

 本当にバカバカしい、と呆れて、私はその像をじっくり観察したりすることなく通り過ぎたが、明らかに観光客と思われる団体が記念写真を撮っていたりするところを見ると、これも一応は観光客を惹きつける役には立っているようだ。


 時刻は昼過ぎだが、今日は新幹線の中で朝から駅弁を食べたので、まだ空腹感はなかった。だから昼ご飯は食べなくてもいいことにしてしまって駅から外に出ると、強い磯臭さが鼻をついた。函館駅界隈からも海は近いが、それにしても、潮の香りなどという綺麗な言葉で言い表せるようなものではなく、単に臭い。それこそ、食欲も失われるほどに。数年前に、千葉で大規模な赤潮が発生した時、JR千葉駅辺りもものすごく磯臭くなり、「この臭いは一体何なんだ」とネットでも話題になったが、その時に嗅いだのと同じような臭いだ。ただ、今感じる臭いは、その時のものより遥かに強い。

 せっかくの爽やかな陽気なのに、こう臭くては、すっかり台無しだ。


なんだかなぁ、と思いながら1度立ち止まり、実家の父に電話を掛けた。今度も呼び出し音3回で父が出た。

 「もしもし。和美か」

 「うん。今さっき函館駅に着いて、お昼済ませた。今からそっち行くけど大丈夫?その、兄さんとか」

 「あぁ、大丈夫だ。――アイツのことは気にしなくていい」

 そんなこと言われても私は気になるんだよ、と言いたいのを堪えて「うん」と答えた。そして話題を変える。

 「ところで、なんか駅前がすごく磯臭い気がするんだけど、この辺りって昔っからこんなだっけ」

 「そうかなぁ。俺は気にしたことがなかったな」

 「そう。じゃ、多分あと30分くらいで着くからよろしく」

 私は通話を終え、2日間泊まる予定のホテルに立ち寄って嵩張る荷物をフロントに預けて身軽になってから、市電の停留所に向かった。実家までは別にこんなものに乗らなくても、たいした苦もなく歩いて行ける距離ではあるが、せっかくだから市電で移動したかった。私は、電車が好きだから。

 私にとって「電車」といえば函館の市電であって、上京してからあちらの「電車」を知った時は、随分と面食らったものだが、すっかり関東での暮らしに慣れてしまった今、それも懐かしい思い出となっている。


 函館駅前の停留所から、谷地頭方面行きの市電に乗った。函館駅からベイエリアにアクセスする観光客が多く乗る停留所だけあって、車内はそれなりに混んでいるが、つり革を確保することができた。東京の電車のような殺人的なラッシュがないというのも、市電のよいところだ。

 乗って整理券を取った時に気付いたが、市電は未だにSUICA非対応だった。プリペイドカードを持っていない私は、運賃を現金で支払わなければならない。財布を取り出し、小銭を数える。どうだろうか。両替しなければならないかもしれない。


 つい1時間ほど前まで乗っていた新幹線と打って変わって、市電はゆっくり、がたごと揺れながら動く。信号が赤になれば車と同じように止まらなければならないから、なおのこと、時間が掛かる。しかしこれが市電の持ち味だと思う。

 市電の窓からは、電車通りといわれる道が見える。速度がゆっくりなので建物などの様子がよく見えるのだが、明らかな空き店舗が多いように思われる。私が中学生の頃に通っていた塾も、今はもう、なくなっているようだった。やっぱりこの街はどんどん寂れて行っているのだな、と思う。寂しいことだ。

 しかし、私だって一生暮らすのは無理だからと出て行ったのだから、寂しがる資格も、ないのかもしれない。「だって仕方ない」なんて、言い訳にもならないだろう。


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