『縮図』

 寒い日はヒーターの前に陣取じんどって暖まるのが一番だ。そこで本を読むなり、ゲームをするなり、何もせずぼーっとするなり、過ごし方は何でもいい。目的は暖を取ることにある。

 そこで暖を取っていれば、今日一日の失敗や後悔などどうでもよくなる。炬燵こたつなんかより直接的な熱風が、失態しったいを全て吹き飛ばしてくれる。

 今日も帰宅してから、冷え切った手をこすりあわせながらヒーターのスイッチを押し、起動するまでの数十秒を今か今かと待つ。点火の音と同時に吹き出す灯油の匂いに刺激されて、凍ってしまった手を溶かすように、ヒーターの前にかざした。このまま体ごと溶けてなくなってしまえば、どれほど心地が良いのだろう。風呂に入るよりも、よほど溶けやすいはずだと、何ともなしに思考をめぐらせる。

 そうしてしばらく夢心地でいると、鬱陶うっとうしい電子音によって現実に引き戻された。三時間の延長にはまだ早いと目を開けると、ヒーターが灯油を欲している様子だった。

 ああ、地獄の始まりだ。

 未練がましく、灯油が底をつくまでこの場所にいようかとも思ったが、早いうちに済ませておくことが重要だと経験で知っていたので、ティッシュを数枚つかんで、灯油タンクを持ち上げ、玄関へと向かう。

 凍えるような玄関の寒さに耐えながら、赤いポリタンクから、灯油ポンプで灯油を移す。この短時間の作業を惜しむことで失う幸福な時間の重要さに気づいたのはいつだっただろう。子どもの頃は、よく灯油切れのまま放置させて、毛布にくるまっていたものだ。あの頃はまだ、寒さに耐えられたのだろう。

 灯油タンクを満たして、再び部屋に戻り、ヒーターにおさめた。うるさく鳴いていたヒーターも大人しくなり、これで数日間はこの地獄と向き合わずに済みそうだ。

 一時の仕事と引き替えにしばらくの幸福を手にするなんて、まるで人生の縮図のようだ。

 そう思いながら、着替えも済ませぬまま、ゆっくりまどろんでいった。

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