『ホワイトエンドロール』

 絶望的な振られ方をして、家に帰るのも面倒で、公園のベンチに座って、でもスマホを見る元気もなくて、昔の人もこんな孤独に落ち込んだのかな、と思いながら夕焼けを眺めていた。公園には、全然人がいない。私も、子どもの頃に公園で遊んだ記憶ってない。イメージ的に、公園って子どもが暴れているような感じだったけれど、今は多分みんな、家で遊ぶんだろう。スマホで、タブレットで、動画見たり、ゲームしたりするんだろう。私だってそうだった。

 公園の時計は止まってしまっているみたいで、ずっと動かなかった。スマホを見ないと時間が分からないけど、見ると通知が来ていそうで、なかなか見る気になれなかった。このまま暗くなるまでここにいようかな、と思っていると、誰かが公園に入ってきた。制服を着ていた。うちの制服。目が合って、それが霧崎きりさき君だと分かった。クラスメイトで、あんまり話したことはなかった。霧崎君は、ちょっとだけ顔を上下に動かした。会釈えしゃくのつもりだろうか。

 彼は私から離れたベンチに座って、ポケットから出した文庫本を読み始めた。なんでこんなところで、なんでこんな時間に、しかも本。寂しかったのか、興味があったのか分からないけど、私は立ち上がって、声を掛けることにした。

「おっす」

「なに」

 本を開いたまま、面倒くさそうに霧崎君は顔を上げた。霧崎君はどちらかと言えばいんキャだし、男子と仲良くしている様子も見たことがない。でも、孤立しているわけでもない。多分、話し掛ければちゃんと応じるからだと思う。さっきの会釈みたいな動作も、ちゃんとしていると思う。

「なんでこんなとこで本読んでんの」

「家にいると面倒くさいから」

「なんで」

「どうでもいいだろ」

「気になるじゃん。ね」

「母親が男連れ込んでんだ」

 ウケる、と言おうとしたけれど、霧崎君の表情が真剣だったから、冗談じゃないと分かった。私は何も言えなかった。真剣だけど、怒っているような、悲しんでいるような表情だった。

「そう、なんだ」

「だからしばらくここで暇潰し。お前は?」

 お前呼ばわりされるのは気に触ったけど、霧崎君にはそういう言い方が似合っている気もしたので、何も言わなかった。

「彼氏に振られた」

「あっそう。誰?」

「なに?」

「同じクラスのやつ?」

「なに、気になるの?」

「いや、別に。会話しようとしただけ。答える気ないなら、終わり」

「うざいわあその言い方」

 霧崎君は本当に黙ってしまって、これ以上会話するつもりがなさそうに見えた。コミュしょうかよ、と思ったけれど、話を振っておいて茶化ちゃかす私も私かもしれない。

「大学生」

「年上かよ」

「付き合ってたっていうか、遊ばれてた感じかな。気付いたら振られてたっていうか、気付いたらその関係自体存在してなかったみたいな?」

「なんだそりゃ」

「付き合ってたと思ってたのは私だけだった、みたいな」

「遊ばれてすらいなかったわけだ」

「そんな感じ」

「そりゃあ、辛かったな」

 一瞬、泣きそうになった。なんでか分からなかったけど、自覚しちゃったんだろうか。私、辛かったのかな。そんなにダメージ受けてたつもりなかったけど、もしかしたら、辛かったのかも。泣きそうだったけど、ぐっとこらえた。泣く意味が分からない。

「で、ここで落ち込んでたわけ」

「そんな感じ」

「でもそろそろ帰った方がいいんじゃねえの。危ないし」

「そう思ってる所に、霧崎君が来たわけ」

「あっそう。別に俺は止めないから、帰ったらいいんじゃない」

「つめた」

「どうして欲しいんだよ」

 どうして欲しいんだろう。なぐさめて欲しいんだろうか。いや、慰めてはもらったか。一応。じゃあ、これ以上何を求めてるんだろう。分からない。ただ、喋ってたら落ち着くのかもしれない。

「霧崎君は好きな子いないの」

「小学生かよ」

「ただの質問じゃん」

「いない」

「嘘じゃん」

「いや、本当にいねえ。そういうの、興味ない」

「硬派かよ」

「親があんなだからさ」

 私はまたしても何も言えなくなった。霧崎君が、さっきと同じ表情をしたからだ。この子は傷を負ってるんだ、って思ってしまうような表情だった。私ももしかしたら、同じような表情をしているんだろうか。それとも、私の傷なんて、かすり傷みたいなものだろうか。

「それ、辛いね」

 私は霧崎君の真似をして言ってみた。でも、霧崎君みたいに上手には言えなかったように思う。同じ言葉のはずなのに、なんでさっきはあんなにすんなり聞こえたんだろう。不思議だった。私には、辛いね、って共感する気がないからだろうか。

「慣れたよ、もう」

「お父さんは?」

「親父はいない。母子家庭」

「あるんだあ、そういうの」

「まあ、世の中には何世帯なんせたいかあるだろ」

「大変なんだね」

「慣れた」

 霧崎君はまだ文庫本を手に持っていて、開いたままだった。でも、さっきから一ページも進んでいない。

 タイミングを逃したまま、進めないでいるみたいだった。

「霧崎君さあ、童貞?」

「はあ?」

「なんか今、急に聞きたくなっちゃった」

「唐突だな」

「なんでだろ。普段こういうこと男子と話さないんだけど、なんか急に。変なこと聞いちゃった」

情緒じょうちょが不安定すぎるだろ」

「で、どっち?」

「続くの? この話題」

「気になるー」

「ないよ、そういう経験は」

 霧崎君はちょっと恥ずかしそうだった。でも、聞いたことにちゃんと答えてくれるのが、彼の良い所な気がする。あんまり喋らないし、盛り上がるタイプじゃないけど、嘘とか付かないし、黙ったりしない。

「そっかぁ」

「なんか、馬鹿にされてんの? 俺は」

「いやあ、いいなあと思って」

「なんだよ、いいなあって」

「私もう処女じゃないからさあ」

 なんでこんな話をしているのか自分でも分からなかった。マウントを取ろうとしているのだろうか。そんなわけないか。ろくに話したこともない相手に、ろくに興味がないであろう話をしているのは、変な感じだった。霧崎君の家庭事情を聞いちゃったからだろうか。バランス取ろうとしたのかもしれない。

「さっき振られた大学生?」

「そう。やられちゃった」

「ありがちだな」

「霧崎君はきよい体なんだなあって」

「清いも何もないだろ、男には」

「そんなことないと思うよ、私は」

「さっきからなんなの。俺のこと好きなの?」

「いやあ全然。霧崎君こそ私のこと好きなんじゃない?」

「ないなあ」

 そりゃあないよな、と思う。もし好きだったとしても、大学生と付き合って遊ばれて捨てられてなんて話を聞いたら、好きじゃなくなるだろうし。私はどうだろう。好きな人がもう経験済みだったら、どう思うんだろう。男と女じゃ、違うのかな。

「マジで暗くなるぞ、そろそろ」

「送ってよお」

「嫌だよ。俺んち近所なんだから」

「どうせ暗くなると本読めなくない?」

「街灯つくから」

「まあ私んちもそんなに遠くないけど」

「こういうのってさ、女子同士で通話して話したりするもんじゃねえの。家帰ってからやれよ」

「いやあなんか、違うんだよね。色々あってさ、女同士も」

「はあ。わかんねえけど」

「男子は気楽でいいよねえ」

「まあ、気楽だわな」

 霧崎君はやっと本を閉じて、ベンチの上に置いた。だけど別に私との会話に本腰を入れたっていう感じでもなかった。ぼーっとした表情で、夕焼けを見ていた。時計は止まったままで、今が何時か分からない。でも、進んではいるみたいだった。

「ねえ、LINE教えて」

「唐突だな」

「教えてー」

「やってない」

「嘘じゃん」

「ていうかスマホ持ってない」

「あり得ないでしょ」

「必要ないし」

「文学少年じゃん」

「本も別に好きで読んでるわけじゃない。家にあるから読んでるだけ」

「え、家で何してんの?」

「何って……別に、何も。宿題したり、ゲームしたり、そんなじゃね」

「あ、ゲームはするんだ」

「あんましやんねえけど。あとは漫画読んだりとか」

 昔の人みたいだ、と思った。言うほど昔の人のことなんて知らないけど、多分そうだ。ネットがない時代の人たちって、一体何をして過ごしてたんだろう。多分私は、そんな孤独には耐えられないと思う。だから誰かと一緒にいたんだろうか。それかテレビでも見てたのかな。

「お前んちって、向こう?」

「え、うん、そう。大塚おおつかの方」

「地名分からんけど、送ってくわ」

「え、どうしたん急に。優しいし」

「コンビニ行こうかなって」

「ついでかよー」

「夜遅くに二人でいるの、誰かに見られても、なんか気まずくない?」

「確かに」

 私と霧崎君は立ち上がって、公園を出る。そして、コンビニを目指した。私の家は、霧崎君が行こうとしているコンビニより手前にあった。だから、一緒にコンビニにも行けないし、多分、二人一緒には、どこにも行けない。

「元気出せよ」

「あれ、慰めてくれんの」

「わかんないけど、そういうことじゃないの。自分で思ってるより、悲しんだりさ」

「どうだろ」

 どうだろうも何も、自分で思ってるより悲しんでるかなんて、自分じゃやっぱり分からない。自分のことなんて、自分が一番分からない。ただなんとなくで生きてて、ただなんとなくで恰好良い人を好きになって、彼氏出来たーって喜んで、実はそうじゃなくて、それに対して落ち込んでるかどうかも分からない。

「まあ、ありがとう的なこと言っとく」

「そうな」

 ポケットに両手を突っ込んで、後ろのポケットに文庫本を差し込んで歩く霧崎君は、現代人じゃないみたいだった。その文庫本の入る場所には、本来スマホが入っていて、イヤホンが耳まで伸びているのが普通なのに。

「あ、私んちそこ」

「ん、そっか。じゃ」

「ありがとね」

「別にいいよ。お疲れ」

「また明日ね」

 私は自動的に笑顔で手を振っていた。また明日って言って、多分明日、私は霧崎君と仲良く話さないし、笑顔で挨拶もしないし、今日はどこにも続かずに終わるんだろうと思った。

 霧崎君は、また明日とは言わずに、軽く手を上げて、そのまま背中を向けてしまった。文庫本が半分くらい顔を出している。カバーのない、クリーム色の本。いつの間にか街灯が付いていたし、夕暮れは夜に切り替わろうとしていた。

「また明日ね!」

 私はもう一度、少し大きな声で言った。構って欲しかったのか、反応が欲しかったのか分からない。ああそうか、霧崎君が無視するのって、あんまりないことだ。だからだろうか。置いて行かれたような気がした。

 霧崎君は何も言わずに、またちょっとポケットから手を出して、背中を向けたまま振った。分かったから、みたいな感じだった。

 私は明日、霧崎君と話さない。

 今後、仲良くなんてならないと思う。

 好きにもならないし、好かれもしない。

 一瞬だけの出来事で、お互いの人生に何の影響も与えない。誰の人生も変えたりしない。どうでもいい青春の一ページ。だけど確かに、霧崎君と公園のベンチに座って話したという記憶が、ここにった。

 そしていつか、ふっと思い出す気がする。

 あれ、良かったな、って。

 大切でもない、特別でもない、なんだか居心地の良い時間を、私はずっと、忘れないんだろう。

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