第31話 ただひとつの夢もない

 「それで、どういう策を考えているんだ?」


 雪降る中、ゲオハイドの錆びた声が響いた。積もりに積もった雪が足をすくい、ボスボスと深みへ誘おうとしてくる。機械の体であるため別にこのまま埋もれても死ぬことはないが、移動デバフがかかっているというのは気分のいいものではなかった。


 自分達が転移した街、ノウムスクを出て早一時間が経った。シドはその間何も言わず魔術学院のある都市、シスクを目指すとだけ言って雪中行軍に打って出た。移動中何度も通信アイテムを使い、連絡を取っているようだったが、その内容はどれも事務的なもので自分の不在時の指示が主だった。


 今のゲオハイドの問いも無視され、彼はひたすら西へ西へと歩を進めていた。

 まったく、と呆れながらゲオハイドは地図で現在地を確認する。ヤシュニナは起伏のあまりない国家だ。ほとんどが平地で、北西から北にかけて連なるディマヴァント大連山が太陽の光をすべて吸収し、ヤシュニナに年中雪を降らせる。


 しかし南部はその影響が少なく、肥沃な大地があり、ヤシュニナでは珍しい四季のある風土が広がっている。政治や経済の中心地がホクリンやホッケウラであるならば、南部が産業の中心と言われる所以だ。


 そして今自分達が歩いているのは首都圏へと至る街道の一つだ。秋の下旬から春の中旬まで使うことのできない積雪のひどい、しかし幅の広い道。およそ四十年前に放棄されているため整備などされてはいないが、ゲオハイドの自前で作った地図には一応記載はされていた。


 「それはそうと、なんでこの道を?もっと楽に行ける街道もあるだろ」

 「簡単だよ。連中もシスクに向かうからな。どの街道を使うにしろ、万が一ばったり鉢合わせは避けたい。今鉢合わせすれば俺らはバッサリだ。あとこの道の方が早い」


 応えると思っていなかっただけにゲオハイドは目を丸くして驚いてみせる。同時に答えが聞けたことに安堵した。このまま何も告げずにシスクまで行くのかとヒヤヒヤしていたからだ。


 そしてシドの言っていることも一理ある。

 すでに使われていない街道を他国のニンゲンが知っているというのは無理のある話だ。例え罠があるとわかっていても、街道を逸れてこの雪原を歩くくらいなら安全な街道を行くのは道理だ。


 そして鉢合わせすれば自分達では勝てない、というのも。


 「だがこの道を歩いて間に合うか?元軍属の立場から言わせてもらえば、雪中行軍には無理があるぞ?」

 「問題はないさ。俺らはどっちも冷気に対して耐性がある。スキルとか魔術で飛ぶのも考えたけど、無理だからな、俺もお前も」


 痛いところをつかれた、とゲオハイドは背中のあるべき場所をさすった。手はコートに触り、弾力を感じなかった。肉体を細かく分割した結果だ。おかげでステータスはかなり落ち込み、本来の性能の六割程度しか望めない。


 シドもシドでキツイだろう、とゲオハイドは思案する。シドレベルの魔術師の魔力が一時間程度で魔力が回復することはない。最低でも半日は全回復にかかる。シドの作戦が何かは知らないが、雪中行軍を強行して時間を稼がなければならないほど大規模なことをやるのは間違いない。


 「あーそうだ。なぁ、シド」

 「はいはい。なんでございましょーか」

 「は元気か?」


 さぁ、とシドは誰とも聞かず返した。ゲオハイドはそのそっけない態度に怒るとも眉をひそめるでもなく、そうか、とだけつぶやいた。

 リドルとシドが会う前、シドとゲオハイドだけでソレイユの攻略を進めていた頃の話だ。


 それ以後、二人の間で会話はなくなった。

 そして一日に及ぶ雪中行軍の末、ようやく彼らはシスクの玄関口に到着した。



 シスクはかつての都を改築し、造られた都市だ。

 そのすべてが旧都の中央に建てられた結晶城のため、引いては学生や教師、研究者のためであり、そして国のためだ。


 かつての都の面影を残しつつ、それでいて首都の優秀な建築家達による最新鋭の美を追求した美しい都市だ、とシドは考えている。人口も学院のニンゲンだけでも一万人、都市で職務に従事しているニンゲンも含めれば十五万人以上の人口を有する中都市でもある。


 「ただ唯一残念なのは壁もなければ堀もない都市だってことだ。首都圏の街はみぃんなそんな感じだけど、ここは顕著だ」

 「いや、造らせたのお前だろ。それに都市すべてが壁に囲まれてるとか、圧迫感が半端ないから景観を損なう。大都市ならいざしらず、こんな中都市で」


 その中央たるジニラーニ・セクレティア魔術学院の一室で街を見ながらシドはつぶやいた。彼のバカバカしいセリフにゲオハイドはぼやきを入れるが、シドはそれを流す。


 彼らが今使っている部屋は学院内にシドが持っている研究室だ。教壇に立つだけあり、シドもまた学院の教員の一人として数えられている。

 そんな彼の研究室は無数の本棚で埋め尽くされており、部屋の左右を天上まで届く本棚の圧迫感が迫ってきていた。


 東西南北のありとあらゆる魔術に関する著書の数々、一つ一つが売れば十万ルールは下らないまさに至宝だ。


 「とはいえ今は都市の構造に感謝しなくちゃな。おかげでが引きやすくなった」


 シドの机の前には凝った細工の入った分厚い本が開かれていた。開かれたページにはいくつかの魔法陣の図が載っており、その効果がこと細かく記されていた。

 規模は大きく、シスクの一部を覆ってしまうほどに絶大な効果のある儀式魔術だ。


 「魔法陣を使うことで本来だったら行使できない魔術を行使する、それが儀式魔術だ」

 「知ってる。今更講義か?」

 「ただ、俺が使うこれは儀式魔術とはちょっと違う」


 どういうことだ、とゲオハイドは首をかしげた。線を引く、とシドは言った。ならば魔法陣を描いて発動するのではないのか。魔法陣を伴って大を望む魔術が儀式魔術ではないのか。


 魔術についての知識はあまり持っていないゲオハイドでもこれくらいはわかる。大いに矛盾する話を今、旧友が話していることに戸惑いを覚えるばかりだ。


 「通常の儀式魔術なら魔法陣、魔力、触媒なりを使う。だけど、この魔術は別のエネルギーを必要とする」

 「魔力以外のエネルギーだと?龍脈か?」

 「近い、けど違う。ま、ある意味じゃうちとは一番縁遠いエネルギーだからな」


 振り返り、本を閉じながらシドはからからと笑った。都市一つをこれから飲み込むというのに随分と楽観的だ、とゲオハイドは思ったが、彼の言わんとするエネルギーを考えれば、確かに楽観的でいた方がいいかもしれない。


 ただ降り積もるばかりの雪を忌々しげに見ながらゲオハイドはあごをさすった。シドからすれば賞賛はあるのだろうが、彼自身はまだ測りかねていた。敵対するリリアとジャオは間違いなくここに到達する。


 道中シドから二人以外の盗人を全員クリメントの部下が捕らえたという報告はあったが、正直なところそれらはすべておとりだ。レベル100に到達していないニンゲンがほとんどのクリメントの部下でも捕らえられた、というのが何よりの証拠だ。


 中には魔術で反撃しようとしたニンゲンもいたらしいが、それらはすべて発動前に急所を刺され死亡したそうだ。その程度だ。その程度の存在を捕らえたところで一体何になる?国を救えるのか?大陸を救えるのか?


 否だ。断じて否だ。


 やはり根底にあるリリアとジャオを倒さなければどうにもならない。

 だが、自分にそれができるかと言われれば難しい。ホッケウラで万全の状態でジャオと戦った時は守りこそ硬かったが、攻撃自体はさほどのダメージは感じられなかった。


 大剣で防ぐまでもなく、オールドアクトロイドとしての装甲の厚みだけで十分防御し得る程度の威力しかない。


 だからだろう。

 ジャオ、もちろんリリアも、個としての強さで言えば今のシドよりも弱い、と思ってしまう。処刑武器を持っていたとしても、果たして自分達に追いつけるかどうかという疑問すら出てくる。


 実際、万全ではないシドとリリアが撃ち合って、シドの障壁をリリアの飛沫に似た鏃が貫くことはなかった。

 ならば、なのか?

 ひょっとしたらあの処刑武器すら、偽物なのかもしれない。


 「いや、ないな」


 自分でも感じた。アレは本物だ。異様にしておぞましいまでの密度の魔力を凝縮して成った至高の弓矢だ。


 あなどることはできない。


 「あーそうだ。ゲオ、ちょっといいか?」


 突然名を呼ばれて、ゲオハイドは思考の沼から起き上がった。ビクリと体を震わせ、慌てふためいてキョロキョロとあたりを見回した。自分でも似つかわしくない、と思う行動を取ったと気づいたときにはもう手遅れで、ゲラゲラと腹をかかえて笑うシドの姿が双眸に入ってきた。


 簡潔に言ってイラっときた。

 目の前の旧友の緊張感をまったく覚えない態度にもだが、自分の不祥事をここまで笑われるのはニンゲンとして我慢ならなかった。


 「シド。俺の剣がお前に届くのとお前が逃げるの、どっちが速いと思う?」


 ひぃ、とシドは机の影に隠れながら肩を震わせた。気がつけば自分の手には大剣があり、大きく振り上げていた。


 「すいませんすいません。殺さないでプリース!」

 「なら俺に言うことない?」

 「もー言ったじゃん!ごめんなさいってさー!」


 ちぃ。

 なんとも厳禁な旧友の姿だ。こいつのこの仲間にだけ見せる妙に子供っぽいところが昔から嫌いではなかった。垢抜けた夢追い人ののような、そんな天真爛漫な彼にとても憧れていた。


 国民の前では力強い指導者の仮面、議員の前では老獪な政治家の仮面をかぶれど、かつての仲間の前でだけ見せるとても明るい、こどもっぽい言動が目立つ彼が好きだった。


 かつての追憶に入ると、毒気も抜かれる。殺意も失せる。思えばいつも似たような掛け合いをしていたな、とゲオハイドは腰をおろした。


 「それで何を俺に頼むつもりだ?」

 「ん?あーはいはい。実は少し設置してもらいたいもんがあってね」


 机の影から顔を出したシドは引き出しから十数本の杭を取り出した。シドのちいさな拳の中に収まるほど小さな杭だ。釘といってもいいかもしれない。それぞれになんらかの魔術語が掘られており、それは一つ一つ形が違った。


 「この杭をこれから言うところに刺してきてもらいたいんだ。ずっと研究してきた物品だけど……今が使い所かな」


 数にして20本。シドが何かをするために用意していたのだろうが、その産物は今ここで使うということは予め処刑職業の取得者か、処刑武器の保持者が来ることを予見していたのだろうか。


 いや今はそんなことはどうでもいいな、とゲオハイドは首を横に振った。この釘が自分達の生命線だ。シドがこれから発動しようとしている儀式魔術になくてはならないものだ。


 「言っておくけど、何本かは予備だ。もしアクシデントがあった場合のな」

 「わかっている。だが、どこに刺す?」

 「今教える」


 そう言って今度はシドは地図を取り出した。シスク、いや旧都の地図だ。そして次にシスクの地図を出し、旧都の一部に重ね合わせる。


 「シスクは旧都の西部に寄っている都市だ。で、俺達が魔法陣を敷くのはここだ」


 そう言ってシドが指し示したのは旧都西南部。かつては貴族屋敷が多く建っていた地区だ。取り壊すにも範囲が大きいため、現在も手付かずのまま残っている建物が多い。


 建物の大きさも相まってゲリラ戦には向いている。魔法陣をこの地域に敷く理由も入り組んで――無造作ともいう――建てられた大量の屋敷で全体像を隠せるからだろう。


 「ゲオにはこの魔方陣の……」

 「いや、ちょっと待て」


 なんだよ、と魔法陣を書きかけた手を止め、シドは怪訝そうにゲオハイドを睨んだ。


 「まずはどうやって相手をこの西南部に誘導するかを考えろ。連中はまっすぐ結晶城を襲うぞ?わざわざ西南部に来る道理、ないだろ」

 「あ……」

 「あ……じゃねぇよ。お前さー、クリメントみたいな情報のプロがいるんだから、うまく西南部に誘導、とか考えなかったのかよ!」


 この旧友はなんとも顔を覆いたくなるほど、画竜点睛を欠くニンゲンだ。肝心なところでおっちょこちょいなのだ。

 かつて共に協力して攻略したダンジョンでもシドがうっかりトラップを踏んで痛い目に遭ったことを思い出してしまう。


 「じゃぁ、アレだ。誘引してくれ。ゲオが頑張って引きつけてくれれば万々歳だ」

 「それは俺に死ねと言ってるのか?」

 「分割しピースでガワだけ作ればよくね?」


 できなくはないが、あまりしたくはない。

 万が一作ったガワが破壊されれば自分の力は著しく下がる。それにガワだけで作った分身とも言える存在は本体よりも弱い。ニンゲンが蟻の突撃を見て釣られるか、という話だ。


 つまり危険度が足りないのだ。


 「じゃぁ……そうだな。学院の教師を使う?ダメだな、力不足だ」

 「ララバイは……どうだ?」

 「あいつ、か」


 ゲオハイドの問いにシドは硬直する。そして自然と彼らの視線は下へと落ちていった。まるでガラス板の下で這いずり回る無数のムカデの群れを見ているかのような、妙に引き締まった表情になっていく。


 「あいつを……使う?」

 「ヤシュニナ随一の魔術師だろ、あいつは」

 「技量で言えばな。あとあいつの使う魔術で言えば。でも……」


 シドの言わんとすることはわかる。自分もあの赤黒い透明質な体のアレが持ちうる力のすべてを使えばどうなるか、と想像ができないわけではない。まず間違いなく結晶城含めシスクが陥没する。


 無限とも言える羽虫の群れが大地を飲み干してしまう。

 国土のことを考えればシドが消極的になるのもわかる気がする。いかに大魔術師と大陸中に名が轟いていようと、実態を知れば関わりたくはない、と思うのが人情だ。


 「魔法陣を敷くためにも俺はここにいなきゃいけないし、それに発動まで時間がかかる。その間の時間稼ぎをゲオにやってもらおうと思ったんだけど……誘引までやると、そうだよなぁ。生命力が先に切れるか」


 シドの瞳から光が消えた、ようにゲオハイドは感じた。かつて旅していた時何度かあった光景だ。ただでさえ暗い、深い深淵に似た錆銀の瞳から一層光がなくなり、虚空とすら錯覚するあるのかないのかわからない瞳の輝きだ。


 ――そしてその時は決まってよくないことが起こる。


 「ゲオハイド、オレの言うとおりに動いてくれ。そうすればうまく誘引できる」


 だから、自分は彼の元を離れた、とゲオハイドは自分の拳を強く握りしめた。


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