第22話 真なる願い

 ホクリン国務省、ヤシュニナの中枢たる場所で色鮮やかな閃光が瞬いていた。無数の崩落音と破砕音があたりへ響き、その激しさを物語るかのようにビルの外壁や床が崩れ去る。


 路上から見えるのは豪炎、竜巻、氷塊、水弾、巨岩、砂嵐、爆雷、光線、銀色の軌跡。無数の音が反響し、音はどんどん大きくなる。あふれんばかりの暴威は恐怖を与え、恐怖は正常な思考を放棄させる。


 「《零落するは帝、すなわち落日なり》」


 今、彼らが立っているのはそういう戦場だ。

 シドの詠唱に応じて巨大なほのおが黄金の杖より生成される。焔はまっすぐザウアーシュトッフに放たれ、その青白い表皮を焼きただれさせた。


 「《零落するは熱、すなわち零度なり》」


 続けてシドは無数の氷塊をヘルマンに向けて放った。ヘルマンはそれらをすべて切り伏せ、シドに接近しようと試みる。シドはすぐに対応して、風の突きを放った。不可視の一撃だが、何度もくらい慣れたヘルマンはシドの目線から軌道を予測し、剣で受け流す。


 驚いたシドに向かい、ザウアーシュトッフの拳が飛んだ。シドは岩壁を生成し、その攻撃を防御する。その防御のスキをつき、ヘルマンは反対側からスキル『神聖剣』で力を上乗せした一撃を加える。


 シドを守っていた障壁が砕け、彼の空っぽの左手がちぎれた。シドは絶叫をあげる。今ヘルマンが攻撃したのはシドの肉体ではない。ガワの中の本体だ。直接心臓を掴まれたかのような感覚にシドは名状しがたい吐き気を覚えた。


 「れ、零落するは……」

 「遅い!」


 続けてヘルマンはシドの左足を切り捨てる。再びシドの本体にヘルマンの攻撃が刻まれた。平時であれば『偶像化』の影響で肉体が代わりにダメージを受けるが、今のシドはガワだけの存在であり、魔術が少しでも付与された攻撃は大ダメージにつながってしまう。


 元素妖精であったこともあり、魔術耐性は高い方ではあるが、心臓に直接攻撃されるのは耐えられなかった。

 だが、デメリットばかりでもない。


 ガワ、肉体をほとんど捨て去ったことでシドの魔術耐性は急落したが、同時に魔力との親和性は急上昇していた。術士職にとって魔力は生命線、その親和性が高まる、ということは魔術の精度、火力、範囲が平時よりも上がることを意味していた。


 「クソ、《零落するは星、すなわち天運なり》」

 「芸がな……うぉ!」


 シドが窮地を脱するために起こした爆破の威力にヘルマンはやや驚いた。受けてみると、威力が上がっているではないか、と。生命力がただの一撃で一割も削れたことにヘルマンは冷や汗をかく。


 彼の生命力は残り三割。シドの不意打ちで腹部を貫かれたせいで流血のデバフが入ったことも相まって今も継続的に減っていた。


 だが、それはシドも同じ、いやシドの方がもっとひどいかもしれない。シドの生命力の残量は二割もない。しかもザウアーシュトッフのスキルで付与されたデバフがまだ残っており、こちらも目下生命力が減っていた。魔力も残り三割も残されていない。


 「《零落するは帝、すなわち落日なり》」


 シドが放った焔を回避し、ヘルマンはシドへの接近を試みる。シドはスキルで空中へと飛ぶが、ヘルマンは『天軀』でそれを追いかけた。さらに彼を援護する形でザウアーシュトッフの光線がシドを狙い撃った。


 「《零落するは幽世、すなわち海神なり》」


 その光線がうざったく思ったのか、シドは荒ぶる水流をザウアーシュトッフめがけて撃ちはなった。水流はザウアーシュトッフへ当たり、彼を階下へと突き落とす。しかしヘルマンがすでに迫っていた。


 「これで、どうだ!」

 「クソ、残り魔力もねーってのに!《零落するは王、すなわち廃滅なり》」


 障壁にまとわりつくヘルマンを引き離そうと、シドは炎の玉を放つ。だが、何度もシドの魔術を見たヘルマンにもうそんな小手先の攻撃は通用しない。ヘルマンは最小限の動きで回避すると、シドの障壁を『天軀』を使ったまま蹴りつけた。


 脚力だけで空中を歩行する蹴りをくらい、シドの障壁は砕け散った。蹴りの威力でシドは地面へと落下していった。落下時の衝撃は物理無効化のスキルでダメージにならなかったが、蹴られた時に同時に本体を攻撃されたのが痛かった。生命力も一割程度にまで減らされ、魔術を行使するにも魔力は二割あるかないか、といったところで、あまり長い間戦えそうになかった。


 「よぉ、魔術師。立てるか?」

 ガワをスキルで再生し、弱々しく立ち上がろうとするシドにヘルマンの蹴りが炸裂する。シドの身体が吹き飛び、壁に叩きつけられた。


 「ぐ……。使えて一回か?」

 「なんだ?切り札でも出すのか?じゃぁ、もっと早く出しとけって話だな。もう残り生命力も……二割もないな。俺の剣をあと二回直撃させれば全損って感じだな」

 「言うねー。お、もう這い出てきたか……」


 シドの言葉にヘルマンが振り向くと、その長い手を使い、ザウアーシュトッフが穴から這い出てきた。見ると、その生命力はもう残り四割しかない。シドの魔力残量無視の連撃を食らった影響だろう。それに、肉体の破損も大きい。顔はグズグズに崩れ、両手も傷だらけ。生命力の多さとは反比例して満身創痍、といったところか。


 「はは。こりゃ、まずいね。これが主人公とかだったら、かっこよく勝っちゃうんだろうねぇ」

 「お前は国家の主人公じゃないのか?」

 「どうだろ?俺はフィクサーにはなれても主人公にはなれないと思うよ?だって、創作物の魔術師って言ったら格闘もできるって感じなのに、俺格闘できないし」


 シドの声は弱々しく、今にも消え入りそうだ。しかし、その言葉とは裏腹に彼の周囲の魔術礼装は回転し続ける。ヘルマンものんきに会話しているように見えて、決して油断しているわけではない。シドが何かアクションを起こしたら即座に斬りかかる準備をしていた。


 「でもさ、誰だってあるよね。主人公願望。一生に一度くらいは思ったことあるんじゃないかな?」


 「知らんよ。俺は自分が主人公だ、なんて思ったことは一度もない。お前だってそうだろ。その目は主人公なんて下らないものを望んじゃいない」

 「リドルみたいなことを言うな。ま、当たらずとも遠からずってとこ何だけど。――さて、サードラウンドと行こうか」


 「延長戦って感じだがな。まぁ、俺としてはすでに勝利が確定……いや、良くないな。自己の勝利を決めつけるなど、足が救われる温床になりかねない」


 真面目だな、とシドはつぶやいた。もうシドに残された手などほとんどないというのにまだ警戒してくれるヘルマンには頭が下がる思いだ。戦っていてここまで苦々しい相手というのも久しぶりだ。


 別に戦闘狂というわけではないが、できるならずっと戦っていたい、彼と。願いと言えば願いらしい、純粋な望み。しかし、それは叶えられない。なんともどかしい。自分の魔術体系を呪うばかりだ。セナのような魔術体系だったら、とシドは心中で嘆いた。


 「では、――さらばだ!」


 ヘルマンがシドへ向かって駆け出す。彼を援護する形でザウアーシュトッフの光線と光弾が一斉にシドに襲いかかった。


 「《零落するは絆、すなわち契なり》」


 対して、シドはランダムに転移を十回繰り返す魔術を使い、応戦する。範囲は狭く、平行移動しかできない、という使い勝手の悪い魔術だが、緊急回避という意味ではこれ以上は望めない。


 「ちょこまかと動くな。魔力を無駄に消費しやがって」

 「そうかな?俺が無駄に魔力を使うわけないだろ?」


 転移を繰り返しながら、シドはヘルマンを挑発する。その間もシドは時折魔術攻撃を行っていた。土の質量弾、水流、風の突き、そして炎の玉の順にシドの攻撃はヘルマンとザウアーシュトッフの双方に飛んだ。その威力は弱く、彼が魔力の消耗を抑制していることが伺える。『魔力測定』で見ても、残量魔力は一割もない。8パーセントくらいだろう。


 「捉えたぞ!」

 「やば……!」


 やがて十回の転移を使い切りシドがひと息つこうとすると、ヘルマンの凶刃がシドの身体を吹き飛ばした。障壁が発動することもなく、ヘルマンの凶刃が直接シドに叩き込まれた。

 

 「そろそろ死ぬぞ?生命力も残り一割もないだろ」

 「お優しいね。ま、確かにそこのクソ天使のデバフのせいであと……一分かな、で俺の生命力ゼロになるけどさ」


 「そうか。じゃぁ俺はここで回復させてもらうとしよう。もう立ち上がれないだろうしな」


 ヘルマンは哀れみの目で、今のシドを見下ろしていた。ヘルマンの斬撃を食らい、ついにガワが砕けたのか、シドの左半分が光子となって空気中に溶けていた。砕けたガワの中身は真っ暗で、敗れた服の隙間からブルーとピンクの真珠に似た何かが見える。


 それはシドの本体。本来のシドの姿。核とも言えるかもしれない。むき出しにされた核が黒い海を泳いでいた。本来なら潰すべきだが、ヘルマンは潰そうとはしなかった。放っておいても死ぬ命、死期を早める必要などない。むしろ、自分の生命力が削られていくのに恐怖を感じながら死ぬことこそ、こいつにはお似合いだ、と思った。


 「ん?」

 「どうした?」

 「お前……どこに行った?」


 その言葉を待っていた、とばかりにシドはほくそ笑む。

 シドの回りにさっきまで回っていた礼装はガラス玉がはめ込まれた杖を除いて、どこにもない。ヘルマンは慌てて周囲を見回す。だが、その時にはもう遅い。


 「お前、魔術式って知っているか?」

 「魔術の秘奥のことか……?クソ、そりゃ知っているさ。だから今焦ってるんだろうが!」


 周囲に視線を送るヘルマンが見つけたのは、等間隔で自分達を囲むように配置された4つの魔術礼装。黄金の杖、常に自壊と再生を繰り返す盃、いくつもの孔が空いた剣、逆さの盤、そしてシドの杖が直線状に結ぶと五角形になるように配置されていた。

 すぐさまヘルマンはシドを斬ろうと、一歩足を踏み出した。


 「《零落するは根源、すなわち世界なり》」


 しかし、彼の足は決して前には進まない。五角形の頂点を接点とした魔法陣が形成され、各頂点は互いに結び合い円の中に五芒星が浮かび上がらせる。急速に溢れ出すその膨大なまでのエネルギーは一気にヘルマンとザウアーシュトッフの身体を飲み込んでいった。


 五色の閃光が走り、それは天高く絡まり合いながら登っていく。それはシドが放つ最大火力の魔術の光。彼の残り魔力と大事な魔術礼装を犠牲にして放たれた正真正銘最後の魔術だった。


 晴れ渡る空を暗く染め上げ、ただ一柱の光だけがホクリンの光源となった。神の光などという優しいものではない、それは神に放逐された存在が放つ邪悪な灯火の色を示し、容赦のない威光となって中の存在を焼き尽くした。


 魔術式「真実の祈誓サッカ・キリヤ」。シドの「高次を堕落させる」魔術の終着点であり、最高峰の業だ。万象の源される五大元素を一度にすべて、純度を保ったまま召喚し、術者の願いを魔法陣の範囲と生成した元素の量に応じて具現化する。


 下準備に時間がかかり、なおかつ一度の使用で礼装が壊れてしまうため、そう安々と使える代物ではない。加えて術者がつぎ込む魔力が術者の願いに見合わなければどのような反動があるかわかったものではない。魔術が不発ならまだ良い方で、最悪自分の生命力すら奪いかねない。


 「はぁ……はぁ……。つら……い……なー」


 魔力との親和性が高まったシドにとって魔力を使い切るのは脱水症状に近く、魔術式を行使し終えた後のシドは勢い良く地面に倒れ込んだ。精神がひどく摩耗し、デバフ状態でもないのに意識が朦朧としていた。


 それでも重たい頭を動かして、シドは魔法陣の中を覗き見る。万が一中の二体が残っていても自分には対処できないが、それはないだろうと確信を持っていた。


 魔法陣の中にはヘルマンとザウアーシュトッフが半分溶けた状態で転がっていた。ザウアーシュトッフの方はすでに息絶えていると確認できる。彼がシドに与えたデバフが消失していたからだ。


 だが、問題はヘルマンだ。おそらくはもう立ち上がれないだろうが、あの一撃を食らってもまだ生命力を残していた。


 「g……。なんたる……不覚……!」


 しかも意識あるのかよ、とシドは驚いた。さっきの一撃は確実に二人を殺すことができる一撃だった。その運命をはねのけてまだ生きている、というのは脅威だった。


 「ああ、これで……終わりか?」

 「ああ、そうだな」


 ガワをスキルで再生し、シドはゆっくりと起き上がる。魔力のない魔術師は非力で弱々しい子鹿を連想させる足取りでゆっくりとヘルマンへと近づいた。手にはアイテムボックスから引き抜いた小さめのダガーを持ち、その目に慈悲の色はない。


 何か言い残すことは、とシドは聞かずにうつぶせに倒れたヘルマンのうなじにシドは刃を突き刺した。一切の抵抗なく、刃は深々とヘルマンのうなじを犯していき、溜め込まれた血が噴水のように吹き出した。


 「gh……。ああ、これでりすt……うsも終わり……か」

 「そうだ。俺が全力で叩き潰すからな」


 リストグラキウス最後の兵士は死んだ。彼の死は一切に意味がなく、何が変わるわけでもない。神に道を汚され、挙句に使い捨てられた哀れな男の遺骸を前にして、シドはそれを自身の未来と連想させた。


 いつか、自分もこうなるのだろうか。

 自身の抱く願いの代価はどれほどのものだろう、と壊れた礼装を回収しながらシドは考える。

 嫌だな、ああなるのは。


 魔術師は暗雲立ち込める自分の道を想像して、悪寒を感じた。

 仲間を作り、国を作り、戦力を整え、それでもまだ足りない。一体いくらの代償になるのだろう。自分のささやかな願いを叶えるための代償は。


 これから山積みになる死骸の山の上に立つ自分が想像できてしまう。その時の表情はどんなものかな?


 ――きっと、笑っているだろう。


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