第11話 鎖だった人生

 ヴィーゴル議員というニンゲンは聡明であり、胆力があり、臨機応変に状況に対応し得る理想的な政治家である。時として誰かにへりくだることすらいとわず、虎視眈々と寝首をかくことを決して忘れることのない、狡猾にして冷酷なヤシュニナの政界の重鎮だ。


 反政権派の急先鋒であるのと同時に政府の監視者を自称しており、政府の間違いを正さんとする立場を取ってもいる。これまで何度かシドから省庁の長官のポストを打診されたが、ことごとくをことわり、今のファウスト・クロイツェフのナンバー2の席にあまんじていた。


 そんな彼を一部のニンゲンは不審に思い、向上意欲のない才人、と評した。ヴィーゴル議員ほどのニンゲンがなぜ、と彼をよくしらないニンゲンが思うのは自明であり、またそれゆえに不躾とは思っても彼になぜ上を目指さないのか、と聞くニンゲンは議員だろうが記者だろうがとどまることを知らない。


 実際、先の国民議会でもヴィーゴルはゲインズバラ議員を操って、シドの議会内での魔術行使を咎めさせた。議会内での魔術行使など、反政権派にとっては政権を糾弾するための格好の標的ではある。しかし、長々と詰問ができる時間はなかった。


 それでも反政権派の議員にしてみれば糾弾せずにはいられない。誰かが口火を切る必要があり、またその口火を切ったニンゲンは黒山羊スケープゴートになる必要があった。


 議会内の空気から瞬時に各議員の思惑を理解した、ヴィーゴル議員はすぐに一手打った。それがゲインズバラ議員によるシドの糾弾。まだ若く、若気の至りでどうにかなる年齢の議員をうまく利用したわけだ。


 そのように瞬時に策を弄す彼ではあるが、決して国家権力に頼ろうだったり、政権を奪取しよう、などと思ったことはなかった。反政権派の急先鋒と評される彼ではあるが、ただ政権を叩きまくればいい、自分達が政権を取れば国家はさらに発展する、と自惚れてはいない。


 監視者を自称するとおり、自分はあくまでも舞台の脇役だと理解していた。今のヤシュニナの隆盛は現国務長官であるシドの手腕によるものであり、またシドなくしてヤシュニナがこの世界を生き残れる、など考えられなかった。


 自分はいわば彼の間違いを敵側から正す調律師だ。ひょっとしたら彼にはそんなものは必要ないのかもしれないし、おせっかいだとも思っていたが、彼の上司であるキュースリーや同士たるリヴァティ、キートンらもまた自分と同じ意志を以て政治家をやっている。


 自分にできることを理解し、なおかつその範囲内で国家に最大限の利益をもたらす、というまさに魔術師とも言える神業をなせる人物、それがエンドラ・ヴィーゴルという男だ。


 だが、その男をもってしても数歩の距離で突き立てられた偃月刀を回避することは不可能だ。ちょうど大窓から入ってきた明かりに照らされて偃月刀を持つ男が青白く肌を光らせ、また刀身は呼応するがごとく己を輝かせようとした。


 偃月刀を持つのは、プラチナブロンドの長髪に、実直そうな顔つきの男。状況が状況でなければどこかの国の英雄か、と思いたくなるほど端正な顔つくりをしており、またその容姿を崩さぬほど見事に鍛え抜かれた肉体が身につけている鋼色の防具の上からでもわかった。


 男、ハーヴェンはついさっきまでヴィーゴル議員の護衛をしていた。ギルド、チュートン騎士団のナンバー2であり、レベルは131。彼の全身を固める高価なアイテムはそのくぐってきた修羅場の数々を物語らせ、このものならば私を守ってくれよう、とヴィーゴル議員も少しだけ期待していた。


 だが、今ヴィーゴル議員の私室で目の前に立つ暗殺者は彼自身。その右手に構え偃月刀を一振りするだけで自分は真っ二つになり、この場に倒れ伏すと納得できるほど、強烈な殺気をヴィーゴル議員一人に向けていた。


 だが、不思議と彼に対して恐怖を抱いたのは最初だけで時間が立つに連れ、その恐怖は和らいでいった。冷や汗こそかき、足の力が抜けそうになったが、今でもちゃんと二本の足でじゅうたんを踏みしめている自分を実感し、ヴィーゴル議員の頬がゆるんだ。


 「なぁ、ハーヴェン。どうして私を殺そうとする?」


 答えは返ってこない。元より殺されるであろうことはわかっていたから、今の問いはただの余興。死ぬ前に味わう余興の一つにすぎない。


 ハーヴェンはただ沈黙しているばかりで、あちらから何かするということはない。おそらくは死ぬ前の最後の一時を味合わせてやろう、という彼なり配慮だろう、と捉えたヴィーゴル議員は小机から大事そうに小箱に入れられたパイプを取り出した。


 取り出されたパイプを見てハーヴェンはかまえるが、ヴィーゴル議員は空いている方の手でそれを制する。


 たばこをパイプに詰めていき、その後火皿に着火する。ゆったりと吸ったり吐いたりを繰り返し、黒化していったたばこをまんべんなく広がるようにしていった。そしてその後また火をつける。


 吸った紫煙が舌を、口内を伝っていく。香り立つこのさわやかな味わいはいつになっても飽きることはない。エルフリリーというタバコであり、いつかの誕生日にセナがヴィーゴル議員に送ったものだ。また使っているパイプはシドからのプレゼントだ。


 敵対しているニンゲンとはいえ、こういう贈り物をしてくるあたり、自分を買っていたのだろうな、と感じてしまう。特にシドなんかはいきなり会食に誘ってきたりするほど、フレンドリーに接してくるものだから対応に困ってしまう。


 一吸いするごとにこれまでの自分の思い出が呼び起こされ、吹き出すごとにその記憶は片隅へと追いやられる。楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、どうでもいいこと、そのすべてが区別なく記憶の深海うみから溢れ出してきた。


 走馬灯とはまた違う、心穏やかであるとき感じる感覚だ。人の世界を俯瞰し、物事狭く深く認識することができる、そういう感覚の中、ヴィーゴル議員の思考はクリアになっていき、これまでのことが濁流のごとく押し寄せてきた。


 そんな中、ふとヴィーゴル議員はパイプから口を離し、天井を見上げた。出迎えたのはなんの変哲もない白色の天井。ただある一点にシミがついている。そういえば、先日コウモリを潰した、とハーヴェンが言っていたことを思い出し、その時のシミだろう、と特に考えもなく天井を見たヴィーゴル議員は感慨深げにそのシミを見つめた。


 紫色の煙がただよう天井で、小さいにもかかわらずくっきりと存在を明らかにしているシミはどこか、自分達に似ているな、と思った。シドという絶対肯定の存在に対し、反意をもつ自分達。まさしく国家にとってのシミそのものだ。


 「いや、本当のシミはこれを仕組んだ奴か」


 再びパイプをくわえ、ヴィーゴル議員は舌打ちをした。改めて思考をめぐらせる。消えかけていた種火に息をふきかけ、思考の炎が加速していくのを感じた。


 そして一つの結論にたどりつく。いや、元から考えていた仮説、ハーヴェンが自分に偃月刀を向けたときに誰が下手人の元締めか、と考えた際に真っ先に浮かんだ仮説だ。


 「なぁ、ハーヴェンよ。お前は……キートンのやつに雇われたのか?」


 あえてハーヴェンへ視線を向けず、ヴィーゴル議員は聞いた。息をひそめる音も、殺気が強まることもない、動揺すら感じさせない空気がその場に流れ、ヴィーゴル議員は確信めいたものを感じた。


 ヨセフ・キスロロド・キートン。


 そもそも、この男の発した言葉を皮切りに自分達はハーヴェンらチュートン騎士団を雇ったのではなかろうか?あのいかにも窮してそうで、神経質と臆病を一気に痰壺に吐き捨てたような男のなんのことはない一言、自分はそれを良案だと思って提案として頭の中でまとめ、キュースリー議員らにすすめた。


 もしあの男が発しなければ、自分達がハーヴェンらを雇うことはなかった。いや、違う。前提条件がまず違うのだ。


 仮にチュートン騎士団がキートンの部下であったとしても、自分が事前にチュートン騎士団と面識がなくてはならないし、またその力を認めていなくてはならない。


 二年前、チュートン騎士団を始めて雇ったとき、その時からすでに今回のヤシュニナ侵攻は始まっていたのか?


 あまりにも素っ頓狂な想像にヴィーゴル議員の瞳孔が大きく開かれる。ありえないことではない、しかしあまりにも杜撰。そしてこの計画は気の遠くなるような話だ。


 否、彼らにとっては自分がチュートン騎士団を雇うことは必然だった。すべては二年前、あるいはさらに前から計画されていたこと、自分が暴漢に襲われる、それをチュートン騎士団が助け親交が生まれる、そのまま関係を二年間続かせ、今刈り取りの時になった。だが、何を?


 マッチポンプも甚だしい、彼らの計画の意図はなんだ?言ってしまえば、ここで自分や他の議員を殺してなんの利益がある?


 リストグラキウスの侵攻のタイミングに合わせた?だが、それならば去年でもよかった。なぜ今なのかがヴィーゴル議員には理解できなかった。


 「もう……よろしいでしょうか?」


 もっと考えれば、と思った矢先テノールの声が響く。もうこれ以上は待てない、といった形相でハーヴェンの偃月刀を握る手に力がこもっていった。はっと意識を現実に戻したヴィーゴル議員は咳払いをし、再びハーヴェンへと視線を向ける。


 すでにパイプは机の上に置かれ、かすかに残った火種から出る紫色の煙がほそぼそと天井へ登ろうとしていた。


 「最後に聞きたい、他の議員もまた私同様に殺されたのか?」


 ハーヴェンは何も答えない。ただその冷たい瞳を揺れ動かすばかりだ。


 「――ああ、そうか。わかったよ。じゃぁ、もうやっtk……」


 言い終わる前にハーヴェンの神速の一刀がヴィーゴル議員の意識を刈り取った。首は切られたことを認識せず、その断面をあらわにすることはなかった。刀身に血すら残さず、まさしく神業と称すべき技巧。ヴィーゴル議員が崩れ落ちてもその首が地面に落ちることはないだろう。


 『ハーヴェン、終わったか?』


 ちょうどその時、彼の目の前にメッセージウィンドウが開く。文面は簡素だったが、情報の伝達にはこれくらい簡素な方がわかりやすい。すぐにハーヴェンはリプライする。


 『明後日昼、予定地にして状況開始』


 リプライした直後に送られてきた文面を見てハーヴェンはほくそ笑む。鉄仮面が割れた瞬間だった。それは彼が常にひた隠しにしていた本性の表れであり、またひとりのニンゲンとして当然の愉悦を覚えた瞬間だった。


 やっと、待ちに待った悲願成就の時だ。このために五年前からヤシュニナに潜伏し、協力者を得て日々を冒険者家業に費やしてきた。その苦労が明後日報われる。

 ハーヴェンは満面の笑みを浮かべ、窓をぶち破って路上へと姿を消した。


 そして翌日、すなわち太陽暦451年4月23日。


 エンドア・ヴィーゴル以下五名の反政権派議員が亡骸となって発見された。

 ――凶刃は振り下ろされ、ヤシュニナはブレーキを失った。すなわち彼らは奈落タルタロスから第一の巨人クロノスを解き放ったのだ。

 もう、止まれない……。


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