第15話 コンタクトレンズ1/2


「そ、それでは、ご、ごごごごゆっくりぃ!」


 特にこれと言った特徴の無い、美味しい朝食を置いて、宿屋の看板娘、テルシアちゃんは慌てた様子で去っていった。

 あの茶器が壊れてから、テルシアは正気に戻ったのか、彼女はフータとの接触を極力避ける様になった。

 先ほどのように、どうしても近づかなければいけないと、顔を真っ赤にして、目も合わせてくれない。


 これでいい……これで良いんだ。


 フータは哀しみと、そして股間部の痛みを背負いながら、もそもそと朝食を取る。

 朝食を食べ終わるころに、コーヒーがことん、とテーブルに置かれる。

 その皿を持つ手は闇黒あんこく色。

 俺がその手の持ち主を見上げると、そこには頭部が天井付近にある、顔の無い闇黒巨人さんのエプロン姿があった。


「あ、ありがとう」

「…………」

「アンコクさーん。これをあっちのテーブルにお願いします」

「…………」


 無口な闇黒巨人さんは、テルシアちゃんに呼ばれると、足音も立てることなくスルスルと動いて給仕に勤しむ。

 お客も最初はビビるのだが、実害が無いと分かると、割と平気な様子だ。流石異世界人。ゴースト系を見慣れているのか、適応力が違います。

 しかし、同じ異世界人でも、うちのお仲間は慣れないようで、ビリアは闇黒巨人さんがやってくると顔を机に突っ伏し、彼を絶対に見ないようにする。

 触手ちゃんは俺の服の中へ潜りこんでくる。しっとり人肌でちょっとキモイ。

 

「だ、大丈夫だって。ほら、前の時みたいに、ヤバい気配はしないから」


 フータの言葉に、ビリアは机から顔を半分だけ上げて、唸る。

 

「馬鹿! アレは存在自体がヤバイのよ! なんでみんな平気なの!? 頭おかしくない? 私なら半径10kmには近づきたくないしぃ!」

「キューキュウー」


 ビリアも触手ちゃんも同意見のご様子。

 まぁ確かに、得体が知れないというのは、普通よりも怖く感じるものだ。


「でも、なんかこう、ラスボスがテルシアちゃんみたいな一般人に懐いているのを見ると、……面白くない?」

「あんたねぇ……テルシアちゃんが一般人に見えるの? あの存在がチートみたいな巨人を召喚して使役する人間が一般人? もしもーし、頭は大丈夫ですかー?」

「キュー」

「……触手ちゃんは良いとして、ビッチアに頭の心配されるほど耄碌してねぇよ」

「ビッチア言うな! ビリアだしぃ! それと、なんで触手様は良くて私はダメなのよ!」

「キュッ」

「あ、はい。ごめんなさい。触手さ……ちゃん」


 触手様と呼んで、触手ちゃんに怒られるビリアの図である。

 ビリアに「語られない触手ってナニ?」と聞いてみると「やばい」としか答えが返ってこないので、未だにこの触手ちゃんの実態は不明である。

 ただ、相当強い存在なので、戦闘時にはこれまで通り大活躍してくれることだろう。


 食後の一服も終え、フータは足取り軽く部屋に戻る。

 そして本日のガチャを回すべく、ミニチュアガチャを呼び出した。


「懲りないわよねぇ」

「ヤバい奴が出たら、魔界にくれてやるよ」

「キュー」

「おーけおーけ、触手ちゃんも欲しいんだってな。分かってる」

「ゴミはいらないから」


 フータがガチャを回す。

 トースターが焼き上がる様な音と共に、カードが飛び出し、フータはそれを確認した。


『SR コンタクトレンズ』

『目が良くなる』


「ゴミ。いらない」

「キュッ」

「お前ら酷いぞ!? この世界にコンタクトレンズなんて無いんだから、すごい貴重品だぞ! ……でも、SRアイテムでコンタクトはちょっとなぁ」


 実体化すると、右目用、左目用と二つのコンタクトレンズがセットで出てきた。本当に箱から取り出したコンタクトレンズそのままだ。

 

「仕方ない。捨てるのももったいないし。……しかもこれ、ワンデイのコンタクトだ。使い捨てじゃ売り様もないしなぁ。今日一日、俺が付けてみるか」

「フータって頭もだけど、目も悪いの?」

「頭も悪くて、口も悪い人には言われたくない」

「頭は悪くないわよ!」


 口が悪い自覚はあるのか。


 怒って椅子から立ち上がるビリア。

 ビリアが揺れると、おっぱいも揺れて目の毒だ。せっかく毎日の夜這いと、精の付く食事から解放され、心も股間も落ち着いて来たというのに、目の前でブルンブルンされるのは困るなぁ。


 フータは「俺、コンタクトって初めてなんだよなぁ」と嬉しそうにしながら、中庭へ向かう。

 フータは魔剣から離れると、怖い罰が待っているらしいので、魔剣を持ち歩いて移動する。さらにいえば、魔剣から離れられないビリアも金魚のフンのように、フータに付いていく。


「言い方!!」

「……どうした、虚空に向かって咆えるなんて。ついに頭が」

「うっさい!!」


 機嫌の悪いビリアに首を傾げるフータ。

 フータは中庭で井戸から水を汲むと、入念に手を洗う。そして、まずは右目にコンタクトレンズを入れようと、右目用の封を開いた。


「おお。液に浸されてるのか。へー」

「付けられないに一票」

「キュッ」

「……お前ら。流石にそこまで不器用じゃねぇよ。コンタクトくらい、初見で付けれるに決まってんだろ」


 フータは液の中に埋もれたコンタクトレンズを指で掬い出し、一度手の平に乗せる。それから指の先端にコンタクトレンズを載せた。

 

「……これ、裏表あるのか?」

「くふふふ……ああ。ごめんねー、どうぞ続けて?」

「………」


 ビリアに笑われているフータは、腹を立てながら、とりあえずそのまま付けてみる事にする。

 左手の人差し指と中指で右目をグァッ、と開き、右手の人差し指の上に乗せたコンタクトレンズを瞳にピトリ、と押し当てた。

 思った以上に怖かったが、何とか瞳には入った、筈だ。


 よし。後はゆっくり瞬きして……。


「あー! いま落ちた」

「へぁっ!?」


 ぱちーん、とフータが瞬きすると同時に、コンタクトレンズがヘシャリ、と潰れてポロリ、と地面に落ちる。

 透明なコンタクトレンズ。中庭の芝生に落ちたソレを見つける事は、困難を極めるどころか、到底無理な話であった。


 フータは右目のコンタクトレンズを失った。

 それを見て、ビリアが声にならない程、爆笑している。その隣で、触手ちゃんも地面をゴロゴロしながら、多分笑っている。

 

 フータは顔を真っ赤にして、左目のコンタクトレンズの封を切った。

 そして再チャレンジ。次は絶対に入れてやる、と気合十分。

 そして右手の人差し指に載せたコンタクトレンズを、左目に挿入!


「ぐあっ!? 目がぁぁぁ!!」

「あはははははは! 強く入れすぎ。めっちゃ泣いてるしぃ! あははははは」


 慌てて顔の下に両手を広げ、何とかコンタクトレンズが地面に落下することは防げた。

 フータは焦る。

 これほどまでにコンタクトレンズの着用が難しいとは思わなかったからだ。


 コンタクトレンズ如きと、舐めてかかっていたフータは、いよいよもって本気を出す。


「よかろう。お前を好敵手と認めてやる」

「こ、コンタクトにwwww好敵手wwww」


 中庭が大草原になる勢いで、草を生やしまくるビリアと触手ちゃん。

 フータは三度、四度とチャレンジを繰り返す。だが、左目にコンタクトレンズが入るには入るのだが、瞬きをすると、ポロリ、と零れ落ちてしまうのだ。


「密着度が弱いのよ。いい? 入れたら、ちょっとこう、上にぐいって、ぐいってやるの」

「入れたら上に? 動かせば良いのか?」

「そうそう。大きく広げて、グッ、って入ったらぐいって上にあげるの」

「キュキュー」


 触手ちゃんが『ビリアが卑猥な事話してる』と言うや、ビリアは顔を真っ赤にして慌てだした。


「こ、コンタクトの話だから! この話の流れからどうして卑猥な話に!?」

「ああ。俺も思ったぞ。こいつ、コンタクトの話から、どうして挿入の話になるんだって思った。まったく。入れたら動かすとか。これだから脳内ピンク娘は困る」

「キュッキューゥ」

「二人して私になんか恨みでもあるの!?」


 そんな超くだらない話をしながらも、フータは必死である。

 彼の胸中では疑念が渦巻いていた。


 なぜだ。なぜ入らない。これではまるで……童貞のようではないか!!


 初めてで焦ってしまい、上手く入れられない事は間々ある事だ。

 残念ながらフータは、そんな間々ある事すら無かったのだが、童貞にとって、初めてとはとっても緊張する事なのである。

 焦れば焦る程、上手く入らない。

 今のフータの状況は、まさにソレであった。

 

「……なぜだ。なぜ入らない」


 フータは再度、手の平に落ちたコンタクトを拾い、液に浸す。

 かなり乱暴に目をぐりぐりしたため、フータの左目は若干、純血し始めていた。


 フータの左目の純潔は、右手の人差し指にぐりぐりされて、赤くなってしまっていた!

 などと凄くくだらない事を考えた、コンタクト童貞フータ。


 十数回も失敗し、既に三十分は格闘しているフータを見て、最初は大笑いしていたビリアと触手ちゃんも、気の毒になり静かにしている。

 そして、再度チャレンジ。

 結果は失敗。

 やっぱり上手く挿入できない。


「……捨てるか」


 フータは手の平に落ちたコンタクトレンズを見つめ、小さく呟いた。

 そんな様子を見ていたビリアが、立ち上がる。


「……もぅ。仕方ないわねぇ」


 あまりにしょぼくれるフータを見かねて、ビリアはフータからコンタクトレンズを奪い取った。

 

「ほら、そこに正座。こっち向いて」

「え? え?」

「なんで付けられないのよ……ホント不器用なんだから」


 ビリアは液の中に浸したコンタクトを掬い取り、指先に乗せる。それから裏表が正しい事を確認し、フータの顔に左の手の平をべたり、と広げて乗せた。


「冷たい!」

「黙って」


 ビリアの柔らかく細い親指と人差し指が、フータの左目の上と下に添えられた。


「ほら。大人しくしなさい。私が入れてあげるから」

「いや、いやいや、いいって、別に良いって!」

「入れたいんでしょ? 見ててイライラしてくるのよ。こんなのツルンって入るでしょ!」

「入ったら苦労しねぇよ……」

「ほら、大人しくして。私が動かすから」


 触手ちゃんが内心『ビリアちゃん超エッチー』と思っていたが、それをこの場で口に出すことは無かった。

 流石に空気を読んだ触手ちゃんである。

 フータの左目がぐい、と開かれる。


 フータの視界の中に、自分をじっと見つめるビリアの可愛らしい顔があった。

 赤く燃え盛る炎のような瞳。少したれ目だが、ぱっちりしていて愛らしい。これで口調がおしとやかだったら、絵にかいたようなご令嬢だと見間違う事だろう。ちーとばかし身長が足りず、その分が全部胸部装甲へ充てられている所をも、愛嬌だと思えば良し。

 

「キョロキョロしないの。じーっと、遠くを見る感じ。そうそう。そのままねー」


 ビリアの人差し指がゆっくりと近づいて、フータの眼球にコンタクトレンズを優しくぴとり、とくっ付ける。そして、微調整をして、ゆっくりと離れていった。

 

「ゆっくりよ。ゆっくり瞬きして」

「お、おぅ」


 フータはゆっくーりと、瞬きをする。

 あれほど苦労したというのに、なんということでしょう。コンタクトレンズはぴったりと瞳に張り付き、取れてしまう事は無かった。


「ほら。でーきた。簡単っしょ?」

「いや、簡単では無かったが……」


 フータは何度かぱちぱちと目を瞬かせ、それから、そっぽを向く。


「……すまん。助かった」

「べっつにー。コンタクト程度で御礼を言われてもねー」


 ビリアは手を洗い、ぺっぺ、と水気を払うと、触手ちゃんを持ち上げてフータの頭に乗せる。


「それで、良く見えるようになった?」

「んー……あまり変わりがないというか」


 フータが右目を閉じ、コンタクトの入った左目で辺りを見渡すが、別段、視力が良くなった感じはない。

 

「おかしいな。説明には目が良くなるって書いてあるんだが」


 ガチャカードの裏面の説明文には確かに、目が良くなると記載があった。しかし、実際に着用してみても、視力が良くなる感じはしない。


「もしかして、右も無いとダメとか? セットでないと効果が出ないとかだったり?」

「うっ! それはあり得る……」


 フータは地面を見るが、この一面緑のじゅうたんの中から、透明なコンタクトレンズを探すのは、どう考えても無理だと悟った。


 これは無駄な時間だったかもな。

 

 フータはそうがっくりと肩を落とす。だが、せっかく初体験を経たのだから、今日一日はコンタクトレンズをしてみようと思った。


 フータ達は一度部屋に戻り、それから町に繰り出す準備をする。

 触手ちゃんを頭に乗せ、魔剣を腰に差し、ビリアにリュックを背負わせて街に出たフータは、とりあえずぶらぶらと市場に向かってみた。

 この町の市場は、店の入れ替わりが激しく、数日開けただけで様相が一変する。現在も数日前までは服飾類が多くあったのに、今日は革製品がかなりの割合を占めていた。

 

「お、ビリア。お前の花嫁衣裳みたいな服があるぞ」

「っ! あれエッチ用のじゃん! 私のと全然違うしぃ!」

「エッチ用の方がベルト面積が大きいんですが、それは……」

「趣旨が違うの!」

「種子? もー、この娘ったら、こんな公衆の面前で子種の話なんてあいたっ!? 痛い! 暴力反対!」


 武力行使に出たビリアとくだらない話で乳繰り合いつつ、露店を見て回るフータ達。

 その中で、革製のブーツを並べた露店が、妙に目に留まった。

 フータはその露店の前にフラフラと歩いていく。


「いらっしゃい! お客さん、その腰の、良い武器だね! でも足元が武器に釣り合っていないんじゃないかい?」

「あー、そうだな。靴は一番最初に適当に買って、そのままだからな」

「そりゃいけない! 冒険者は足が命! 良いのが取り揃えてあるから、見てくれ! これなんかどうだい? 魔牛革のブーツだ。耐久性も履き心地も抜群!」


 腹周りが、人二人分くらいある恰幅の良い露天商は、並べられたブーツを一つ一つ手に取り、詳しく説明をしてくる。

 隣にいるビリアも「へー」とか「なるほどー」と相槌をうつ。本当に分かっているのかは別問題だが、美人に話を聞いて貰えて、露天商は嬉しそうだ。

 そして、俺は無数に並べられたブーツの中で、露天商の後ろに、隠すように置かれたブーツが気になっていた。

 どういう訳か、他のブーツには目が留まらないのに、そのブーツにだけ、左目が無理やり焦点を合わせようとするのだ。

 

「店長。その後ろのブーツ、見せてくれないか?」


 ビリアのおっぱいに鼻の下を伸ばしていた露天商は、フータの言葉にぴくり、と反応をする。


「……これかい?」


 露天商は自分の後ろにある靴の中で、フータが示した靴の、その隣の靴を手に取った。


「違う。今の奴の隣だ」

「……どうしてこれを選んだ?」

「目が留まった」


 露天商の雰囲気が変わった。

 露天商はフータの選んだ靴を手に取ると、フータとビリアの両方を交互に見比べる。


「こいつは呪われた品でな。男が履くと、足を食いちぎられる」

「すまん。邪魔したな。ビリア、他所に行くぞー」

「ちょっ!? 待ってお客さん! 今から説明するから! 話はこれからなんだ!」

「呪いの品はもう沢山なんだ! 放してくれ!」


 露天商にがっちりとズボンを掴まれるフータ。

 フータは露店所の頭を手で押しのけるが、絶対に離すもんか! という露天商の強い意志を感じ、フータは諦めて、呪われたブーツの話を聞くことにした。


「今まで、誰一人としてこのブーツに興味を示した客が居なくて……つい嬉しくなって」

「買わないからな。うちには呪いの品がいっぱいあるんだ」

「足を食べちゃうブーツなんて、誰が買うのよ」

「いやいや、嬢ちゃん。実はな、こいつは若い女の足は食わねえんだよ。実はな、こいつとの出会いは――」


 露天商はブーツとの馴れ初めを語りだす。

 それはとてもとても……長い話だった。

 ワンクールに納めたら、端折り過ぎて原作厨から苦情が殺到するレベルの長さだった。


「そして俺はそいつらに言ってやったんだ。俺のマグナムが熱いうちは」

「そろそろ昼だ。長居したな、おっさん。さよならお元気で」


 露天商の長話に付き合う気力は、フータに残されていなかった。

 

「待って! お客さん待って! 分かった。もう核心部分だけ話す! 頼む! 聞いてくれ!」

「お前の冒険譚を聞きに来てるわけじゃないんだ」

「えー。面白かったのにーオジサン続き話してー」

「キュー」


 ビリアと触手ちゃんには好評の、ブーツ売りのおっさんと愉快な仲間たちによる冒険譚。

 まだまだ続きそうな状況に、フータはため息を付く。だが、ビリアも触手ちゃんも露天商の嘘か真か分からない話に引き込まれ、ここを離れる気は無さそうだった。

 仕方なく、屋台で軽食を購入し、食いながら露天商の話に耳を傾ける。

 フータは地面に胡坐をかき、その胡坐の中に触手ちゃんが入る。

 ビリアは露天商から小さめのゴザを貰い、それを敷いてその上に座った。

 完全にお話を聞く体勢に入ったフータ達に、露天商は朗々と語る。


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