第10話 虫眼鏡


 「来たれSSR!! 呪われてない奴をお願いします!」


 ガチョン、とミニチュアガチャを回し、チンッと音を立ててカードが出現する。

 毎朝恒例のガチャタイム。

 フータは出てきたカードをワクワクしながら手に取り、内容を確認する。


『SR 虫眼鏡』

『虫が良く見える』


 見た目はどこにでもある虫眼鏡。

 取っ手があり、その先端に丸いレンズがついている。しかし、覗いても拡大される事は無く、普通に部屋の光景が見えるだけであった。

 

「何だこれ。全然虫眼鏡じゃない」

「外れなんじゃないの?」

「しばらく覗いてみるか」


 フータは触手ちゃんを頭に乗せ、顔を洗おうと中庭へ向かう。後ろからビリアもついてきた。

 宿の一階に降りると、食堂の方から何やら騒がしい声が聞こえる。

 フータは食堂の入り口から中をひょい、と覗くと、宿屋の看板娘であるテルシアちゃんがハエ叩きのようなものを持って、殺気立っていた。


「……どうかした?」

「あ、フータさんおはようございます。いえ、ちょっと、虫が出たので退治を」


 テルシアちゃんは人でも殺しそうな目力で、食堂を隅から隅まで見て回っている。しかし、お目当ての虫は巧妙に隠れているのか、見つかることが無い。

 フータはその光景を虫眼鏡越しに見てみた。

 すると、なんの変哲もない食堂の机の裏側に、赤い虫の姿が映し出されたのだ。

 

「テルシアちゃん。その隣の机の裏側」

「え? この机の裏? ……ぎゃぁ!? この!!」


 バカーンッ! と机ごと粉砕するのではないかという勢いで、ハエ叩きが振るわれた。


「やりました! すごいですね! どうやって見つけたんですか!」


 ハエ叩きに虫だったものをベッタリ張り付けた状態で、テルシアちゃんが興奮気味に迫ってくる。


「おーけーテルシアちゃん。まずそのハエ叩きを床に置きなさい。やめて! それ持って近づいてこないで!! ノー! ノォォォー!?」

「ぎゃあああああゴキブリイィイィイ!」


 フータとビリアはテルシアちゃんから逃れる様に距離を取る。

 しかし、その様子が面白いのか、テルシアちゃんはハエ叩き(残骸付着中)を持ったまま、ニコニコとフータに近づいていく。


 客商売としてそれはどうなの!?


 フータはロビーの隅に追い詰められてしまった。


「フータさん。どうして虫の居所が分かったんですか?」

「言う! いうから! ストップ! ハエ叩きを近づけるのは無しでお願いします!」

「いやああああ私を盾にしないで! キャアアアアアア!!」


 フータはビリアを後ろから羽交い絞めにし、その分厚い胸部装甲でハエ叩き(残骸付着中)から己の身をガードする。

 揉み合う際に、フータは盛大にビリアのオッパイに触れていたが、ゴキブリ(残骸)によって恐慌状態の二人はそれどころではなかった。


 フータは手に持っていた虫眼鏡をテルシアちゃんに渡す。


「それ! それ持って覗くと、虫の場所が分かるっぽい! たぶんだからね。まだ調べてる途中だから!」

「へー! すごい便利な道具ですね! ちょっと私が使って調べておきますから、貸してくださいよぉ」


 テルシアちゃんが可愛らしく、上目づかいで迫ってくる。もちろん、ハエ叩き(液が垂れ始めた)を持って。


「お差し上げします! テルシア嬢にお差し上げしますので! 近づかないで!」

「ピィィイィイイィィイッ!?」


 ビリアが、目の前でプラプラ振られたハエ叩き(残骸液漏れ中)を見て、絶叫する。

 

「えぇぇー、頂けるんですかぁ~? 嬉しいですぅ! ありがとうございます!」

 

 テルシアちゃんは満面の笑みを浮かべ、ささー、と二人から離れていく。そして食堂へ入っていった。

 フータは壁にもたれかかったまま、ズルズルと力なく地面に尻もちをつく。

 羽交い絞めにして、肉壁にされていたビリアも、硬直させていた全身から力を抜いた。

 フータの股の間には、ビリアの小さな体がすっぽり収まり、彼女は後ろからフータに抱きかかえられたような恰好で大きく息をつく。


「あー、怖かった」

「くちゅって、汁が、汁が……」

「ビリア。思い出すな。忘れるんだ。口にするな」


 ビリアの手が、自分の体の前に回されているフータの手をキュッと握る。余程怖かったらしい。

 フータもビリアの頭頂部に鼻先を埋め、漂う甘い香りに、過敏になった神経を癒される。


『キュー』


 そんな中、今の今まで、大人しくフータの頭上で佇んでいた触手ちゃんが鳴いた。

 それは二人に対して、こう言っているようであった。


『いつの間にそんなに親密になったの?』


 その言葉(思念)にフータとビリアはお互い我に返る。

 ビリアを抱きしめるフータの手は、ちょうどビリアのおっぱいを支えるような感じで回されていた。

 そして、その手をきゅっ、と可愛らしく握っているビリアの小さな手。

 それはまるで、恋人同士がお互いを思いあっているかのような様であった。

 しかも、朝の時間帯。

 ロビーには部屋から朝食を取りに降りてきた人が、大勢階段からやってきて、ロビーの隅でイチャこいている(ように見える)フータとビリアに様々な感情の視線を向けていた。


「ぎゃああああっ!? 変態! えっち! フータの勃起魔!」

「まだ立ってねぇよ!?」

「っ!? 変態しね!」


 二人は騒がしくしながら、中庭の井戸で手と顔を入念に洗い、それから食堂へ向かう。そして、ゴキブリがクチュッとなった机から最も離れた席に着いた。

 テキパキと給仕をするテルシアちゃんは、ニッコニコの超ご機嫌モード。

 テルシアちゃんはフータの席へ朝食を持ってくると、ニッコリ微笑み、フータの耳元で囁く。


「あの道具。とても役に立ちます。御礼に、ビリアさんのお洋服代はチャラにしちゃいます。それと、今日から朝ごはんに、一品追加しちゃいますよ」


 でも、他のお客さんには内緒です♡


 耳元で囁かれる甘い声。

 ふわ、と柑橘系の爽やかな香りを漂わせ、体を離したテルシアちゃんは、唇に人差し指を当てて、フータに向けてウィンクする。

 ズキューン♡ とフータの胸が高鳴った。と同時に、体が脊髄反射で首を縦に動かす。


 目の前に並べられた朝食は、いつも通りパンとスープとサラダだった。しかし、良く見れば、サラダに隠れるようにして、デザートの果物が存在する。他の客には分からないように、という配慮だろう。


「やったぜ。これで借金が無くなった!」


 役に立ちそうもない、虫が見えるだけのSR装備が、借金帳消しと、朝食に一品追加に化けたのだ。

 ゴキブリが透視で見えた所で、俺には何の役にも立たない。

 害虫駆除業に転向する気も無い。

 そもそも虫が見えるとか、マジ勘弁だ。俺は虫が嫌いなんだから……。


 フータは要らない装備を手放せたことで大層満足し、能天気に朝食を食べ始める。

 そのころ、厨房の方ではテルシアちゃんと、宿屋の主人、女将がお話合いをしていた。


「売れば金貨数百枚はするだろ、これ」

「でも、これは売らずに使った方が良いよ。壁とか関係なしに虫を透視出来る凄い魔法具なんだもん! これを使って虫を殲滅できれば、虫の居ない宿屋ってことで、清潔感も売りに出来る! そうすれば、女性客もいっぱい来てくれるようになる!」

「このような魔法具は見たことが無いですから、売ろうと思えば、いつでも買い手は付きます。あのお客様がいらっしゃるうちに手放すと、どこかで情報が耳に入ってしまうかも」

「ならば、暫くは家で大切に使おう。あの客が旅立った後に売ればいい」

「うん!」


 テルシアは自分の両親から「よくやった」と頭をナデナデされ、「うぇへへへ」と頬を緩ませて喜んだ。

 自分の見た目や仕草を駆使し、上客からたっぷりと甘い汁を吸う術を身に着けているテルシアに、フータはまんまと引っかかったのだった。


 でも、フータさん達、あまりお金持ちには見えないし、こんな良い物をポンッと渡せるとは思えないんだけど……。ダンジョンの品なのかな?


 テルシアはエプロンのポケットにタオルで包んで入れてある虫眼鏡を触りながら、そんなことを思うのだった。




『SR 虫眼鏡』

『虫が良く見える』



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