第25話 小人の体

 他人に興味など無かった。

 今まで、いてもたってもいられなくなる程に、ゲンジを突き動かした者などいなかった。

 小人グノウは、黒鬼ゲンジを夢中にさせた。

 あの男に勝ちたい。

 生まれて初めてそう思った。

 負けた後すぐに、グノウについて調べまわった。

 勝てる方法など見つかりはしなかったが、それでも勝ちたいと思い焦がれた。

 宿敵ヘイジを好敵手と認めてはいたが、ああ成りたいと憧れはしなかった。

 自分より強い筈の魔人ダラクにも、何故か負ける気がしなかった。

 何故か、わかるのである。

 そして、グノウもまた、オレと同じだと確信していた。

 その直感が告げている。

 多分、勝てない。


「おいガギィ!」


 ゲンジは視線をグノウに向けたまま、どこかに潜む子供に向けて叫んだ。


「テメエのかーちゃん殺したのはオレだ!

 文句があんなら今のうちに言ってくれや!」


 あの時グノウが守っていた子供が、「殺してやる」と叫んでいた。

 やはり直観通り、この戦いを見ていたようだ。

 あの子供の親のことなど、ゲンジは知らない。

 だが、グノウについて調べる内に、鬼に親を殺され恨んでいることはわかった。

 ならいっそ、自分を恨めばいい。

 今からオレは、自分よりも強い奴と殺し合いをするのだ。

 オレが死ねばそれまでだし、死に損なったら好きにすればいい。

 その方が後腐れないと、ゲンジは罪を被る事にした。

 それは、曲がりなりにも鬼の王と担がれた風来坊なりの、ケジメの付け方だった。

 子供の恨み節が続く。

 だが――。


「シン! 俺と代わるか!?」


 小人が激を飛ばした。

 子供がビクつく。

 そして目に涙を浮かべてうずくまった。

 対する小人は、見透かした様な含みある顔でゲンジを見上げた。

 そういう所は、いけ好かない。


「……あんだよ?」

「いや」

「アア! そうかよ!!」


 ゲンジが先手を取った。

 黒い鉄塊から繰り出される黒き暴風の如き突撃、しかし小人は剣を携えたまま全ての衝撃波を往なし、躱した。

 両者が駆け抜け立ち止まった時、ゲンジの全身から無数の血飛沫が舞い上がった。

 対する小人は、いつもの様に剣の上に佇んでいた。

 やはり、グノウの方が圧倒的に強い。


「ハハ! そうこなくっちゃなアッ!!」


 だがしかし、ゲンジは怯まなかった。

 以前のゲンジならば、今ので倒れていた。

 しかし、今は違う。

 運が良かった。

 鬼を生み出したとされる伝説上の人物に手ほどきを受けた。

 意味不明な術の類は身に付かなかったが、ひたすら身体を鍛え直した。

 これ以上は無意味と悟った後、意地だけで大陸まで海を泳いで渡った。

 大陸の魔人に喧嘩を吹っ掛け、死にかける度に打たれ強くなった。

 自分より強い力を持った魔人の攻撃を、勘で避けられるようになった。

 その勘が魔人の急所を貫いた時、ゲンジの武者修行は終わった。

 その経験が告げている。


(まだ、イケる――!)


 雄叫びを上げた。

 狙ってやった訳では無いが、衝撃波で床の木目がバキバキと割れ飛ぶ。

 その破片がぶつかる直前、小人が剣と共に跳ぶ。

 負けじとゲンジも黒い旋光となって激突する。

 勘だけでぶつかる。

 剣が邪魔だ。

 オレにとっても、グノウにとっても。

 鉄塊を剣にぶつける。

 思った通り押し負けひん曲がった。

 それを見計らい、剣を鉄塊で止めてる隙に角で剣を弾き飛ばした。

 角が割れるが、麻痺しているのか痛みは無い。

 視界を遮る血がウザいだけだ。


「フ! 剣を弾かれたのはいつ以来か!」

「なァに! 邪魔そうだったからなアッ!

 なんなら次は相棒と一緒で構わんぜ!」


 ゲンジは絶頂のあまり、自殺行為にしかならない挑発に出た。

 先程弾いた剣ですら、グノウの手から離させただけで傷一つ付いていない。

 対するゲンジの角は、その衝撃でボロボロに砕けていた。

 おそらく元には戻らないだろう。

 だが、どうでもいい。

 そんな事より、小人を剣から下せた事が堪らなく嬉しかった。

 ゲンジの極限にまで冴え渡った直観が告げている。

 グノウは、修行の為に剣を使っているだけだ。

 神の如き絶対者“リーヌブエル”と戦う為の、修行。

 グノウの戦闘技術は、正しく武神の領域だ。

 だが、“神”と戦うには、人間――小人の肉体では歯が立たない。

 だからこそ、原初の竜王をも己が武器とする事を見出した。

 竜王の力を備えた、小さき武神。

 勝てる気はしない。

 だが、戦いたい。

 その為なら、死んでもいい。

 ゲンジは本能のままに咆哮した。


「見くびるな」

「ガハッ…………!?」


 ゲンジが腹を抱え膝をついた。

 小人に腹を突かれた。

 動きは捉えていた。

 だが、何故か避けられなかった。

 何十発も、寸分違わず同じ所を打ち据えられた。

 残像に見えぬ残像の成せる技だと見抜いたにもかかわらず、受ける事もできなかった。


「拳で語らう相手に剣など無粋!

 俺もまた、拳で応えよう!」


 確信した。

 やはりグノウは、無手が一番強い。

 竜の剣は、あくまで“神”と戦う為の武器であり、グノウの強さの本質ではない。

 総合的な力量でいえば、竜と一体となったグノウが無敵の状態なのだろう。

 しかし、その戦闘技術を最大限に発揮できるのは、グノウが身一つの時だ。

 ならば僥倖。

 この世で一番強い武人と、手合わせできるのだ。

 これ以上の誉は無い。


「グヲオオオオオオオオオ!!」


 腹からの激痛で全身が痺れ、脚に力が入らない。

 その痛みを咆哮で吹き飛ばし、意地だけで奮い立つ。

 勝負はまだ、着いていない。


「行くぞ? 鬼の王よ!」

「来い! 小人ォオ!!」


 小人が消える。

 勘で頭部への攻撃を躱したが、両手足と胴に激痛が奔った。

 痙攣時の脊髄反射さえも利用して反撃するが、威力を殺され一瞬止まったゲンジの拳にグノウがかがみ、不敵に嗤う。

 苛立ち掴もうとするが、手の甲を踏み蹴られた拍子に体勢を崩され、顎を蹴り飛ばされて宙を舞った。

 ゲンジは気を失いかけるが、怒りで自我を保ち、踏み止まった。

 やはり、実力差は明白だった。

 しかしゲンジは、妙な違和感を感じていた。


(……こんなもんか? 奴の拳の威力は?

 確かに、強エ。

 が、初手に喰らった威力と、さっきと威力が違えんじゃねェか?

 さっきの技の精度で初手の威力なら、オレは間違いなく気ィ失ってたぜ?)


 ゲンジは改めてグノウを注視した。

 そこには、不敵な笑みで佇む最強の小人がいた。

 その覇気は初手の時と変わらない。

 むしろ戦いの中で昂っているのが、ビリビリと伝わってくる。

 その筈だが、ゲンジには何故か儚げな様にも見えた。


(……奴も消耗してんのか?

 いや、そういうのとも違う)


 小人ゆえにその圧倒的体格差を埋める為、その運動量は常人の非ではないだろう。

 突きも蹴りも、その全てが己の身長の何倍もの飛距離が必要な跳躍による全身運動である。

 しかし、グノウは一切の無駄な動きをせずにそれを実現している。

 よって疲労により疲れが出ている訳ではないと、ゲンジは見抜いていた。

 疑問を抱えたまま、ゲンジが仕掛ける。

 全て躱されると同時に強烈な返し技を受け、最早痛みさえ無く全身が麻痺した。

 ゲンジは思考する余裕も失せ、白目を剥いてもがく。

 そんな極限状態の最中、何故か勝てる光景が思い浮かんだ。


「ガアアアアアア!!!」


 叫びと共に跳ね起き、ゲンジは我武者羅に突っ走る。

 技も何も無い。

 悪あがきにしか見えない無様な特攻だ。

 当然躱され、背を踏み蹴られて這いつくばる。

 今までと同じだ。

 傍から見れば、そう見えるに違いない。


「ヘッ! ヘヘハハハッ!!

 ハハハハハハハハハハハハハッ!!!

 テメエ、余裕ねエのな!

 殺気立ってんぜ!?」

「…………」


 小人は無言のまま、平静を装う。

 だが、ゲンジは気付いた。

 図星であると。

 そう思えばこそ余裕が生まれ、冷静に小人を観る事ができた。

 明らかに顔色が違う。


(……酒か)


 戦いの前に、小人は全身に酒を浴びていた。

 たった一杯の酒だが、小人にとっては大量の酒を全身に浴びたのと同じだった。

 ならば、酒に酔ってしまったというのか?

 いや、よく見れば、酔ったというには尋常ではない汗と赤みを帯びている。

 毒なのだ。

 たった一杯の酒ですら、小人の体にとっては。

 あの時、ヘイジが酒を差し出した時に嫌な予感がしたのは、ある意味正しかったのだ。

 そして、皮肉にも結果は裏目に出た。

 ゲンジは歯噛みした。


(何だよ? そりゃ。

そんなもんに左右されちまうのかよ……?

それ程の強さが、技が、そんなもんで消えちまうのかよ!?)


 ゲンジは堪らず吠えていた。

 悔しかったのだ。

 今もまだ、小人の猛攻は続いている。

 だが、その威力は弱まり、技の精度だけで未だゲンジを圧倒しているのだ。

 全身を毒に侵されても尚、想像を絶する意志と技で戦うグノウ。

 そんなグノウに勝てない自分自身。

 だが、このまま耐えしのげば、勝てる。

 勝ってしまう。

 遥か高みにいる武神の如き男に、偶然と生まれ持った体格差だけで勝ててしまう。

 これ程の男が、そんな事で消えてしまうのか。

 それはゲンジにとって、あまりにも不本意な結末だった。


「そこの竜! 相棒を治してやれ!」


 気付けば、そう叫んでいた。

 ゲンジの言葉に竜は動揺し、グノウに首を向けた。

 おそらく、たかが酒で小人が変調をきたすなどとは思いもよらなかったのだろう。

 すぐに何らかの魔術を発動させていた。


「アビィ!! 手を出すな!」


 しかしそれは、他ならぬグノウによって遮られた。

 「男の喧嘩だ」と、小さな背が語っていた。


「無理すんなよ? 弱りきったテメエに勝てても嬉しくねんだ、オレは!」

「は! 誰が弱っていると!?」

「グヲオオオ!!」


 小人の体が幾つもぶれ、ゲンジの巨体を何度も宙に突き上げ続け、とどめに床を何層も突き抜け最下層まで激突させた。

 声にならぬ激痛に、ゲンジは白目をむき、泡をふいていた。


「はは! ははははははは!

 はははははははははははははは!

 はははははははははははははははははは!

 ははははははははははははははははははは――!」


 倒れる黒鬼を尻目に、小人が笑っていた。

 抑揚の無い呵々大笑が、静寂の中を不気味に支配する。

 そこにはこれまでの武人然とした快活さは無い。

 それは、己よりも大きくも弱い者全てを嘲笑うかの様な、重くドス黒い哄笑だった。


「ふざけるな!」


 鬼との戦いにおいて、初めて小人が激怒した。

 

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