感染

 右手で着席を促す。しかし彼女は立ったそのままで口を開いた。


「……父とは5年ほど前まで母と一緒に住んでいました。

 5年前のあの日、忘れはしません。父は高熱を出し一週間生死をさまよいました――


 医者に診せても原因は不明。点滴を続けて熱を下げさせる、それしか処置が出来なかったという。それなのに、一週間たった朝に突然目を醒ました。それまでの症状はいっさい見られずに彼女も彼女の母も喜んだが、本人だけは違った。


 自分じゃない自分がいる。


 自分が2人いるなどと狂ったように言葉をまき散らし、その日の夕方に姿を消した。


 ――私は父の行方を捜そうとしてこの新宿に来た。ここならもしかしたら父がいるかもしれないと。そして双つ影と名乗る人々に出会い、その症状が消える間際の父によく似ていると気づいて、そして父に出会った。ずいぶんと変わってしまっていたので最初判らなかったが、閻魔と名乗っているあの男は確かに私の父。

 もっとも、父は私のことを憶えてはいなかったようだけど……」


 深呼吸して


「これはあくまで私の推論でしかありません。なにも確証はないわけですが、この双つ影の現象は一種の病原菌の干渉が原因ではないかと思うのです」


「その発症源がキミの父親、閻魔だというわけかい?」


 頷いて


「空気感染だとは思いますが、対象と近距離で出会った場合のみ干渉するようです」


「つまり対象の身体を離れて空気に触れると菌が短時間で死滅するということか。なるほど、その推論ならこの新宿が双つ影だらけにならないのが納得できる」


「――ちょっと待ってください!」


 勢いつけてイスから立ち上がる嶄。


「双つ影になる原因がその病原菌にあるとしたら、つまりこれは一種の病気、ということになる。病気ならば、それを治すことも可能」


「あぁ、理論上はね。しかしどんなものかも判らないものの治療薬を開発するにはかなり時間がかかるだろうが」


「だけど、いま現在実際に、彼女の双つ影と言う名の病気は治って無くなっている」


 嶄の言葉に飛鳥は彼女に起こった最近のことをも思い出す。先の闘いで突如力を失ったこと。いやもっと過去を。一時寝込んでいた。なぜ? 中身の判らない毒を打たれたから。毒? どんな毒を? その直後に双つ影としての力を失った彼女に、どんな毒を?それは本当に毒なのか? いや、双つ影には毒なのかもしれない。それを打たれて力を失ったから?


「……あの時オレをかばってあの女に打たれたのが毒ではなく、この力を奪う薬、だったっていうことか?」


 飛鳥が推論の域を出ていなかった考えを、それでも口にする笹良。


「それはわけわかんないよ。この力を悪用しようっていう連中が、なんでその力をうち消しちゃうような薬を作っちゃうわけ? それって矛盾しているでしょ?」


「でもよ、そんなの作れれば相手を無効化できるんだ。毒にも薬にもなるんじゃないか?」


「それが相手の手に渡れば自分たちも危なくなる。俺だったらそんな危険なものは創ったとしても使わないな。諸刃の剣すぎる――!」


 振り返り際に背後にあった戸を殴り飛ばすように強く明け、通路に出て左右に首を振り左側に固定させる。


「――お前かっ!」


 笹良に続いて通路に出てきた秋山を引き寄せて背後に隠す。さらに続いて出てきた風が通路に立っていた女性の姿を見て、即座に手のひらからムチを伸ばして女性を絡み取る。それにいっさい抵抗しない女性。


「確かあの時アイツらと一緒にいた双つ影だよね? つまりあたしたちの敵。なのに1人でのこのことどうやってきたわけ? そもそも、どうしてここが判ったの?」


 それほど広くない通路にさらに凛華や嶄、飛鳥たちが出ていく。女性は神楽の姿を見つけると震えた声を絞り出して


「え……江岸さんから……あなたへと渡すものを預かって……います……」


 腕を動かしてどこからかなにか取り出そうとするが、腕がムチで固められているのでそれも出来ない。それでも、力一杯に行動を遂行しようとする女性。


「風くん、一度ムチをゆるめてくれないか」


「……でもいいんですか? この人、敵ですよ?」


 そう言われてもゆるめようとしない風を手で制して


「なにか様子が妙だ。彼女の力なら気付かれずにもっと接近されることも可能なのに、それをしてこなかった。ゆるめてもらって構わない。なにかあったときの責任は私が取る」


 そこまで言われては風もゆるめないわけにはいかず、女性の身体に巻き付けていたムチを手元に戻す。戻ってきたムチを左手でつかみ、触感に違和感。それほど明るくはない通路でもよくわかる、それは朱色。多少ぬめりとして指にからみつく朱色。


「飛鳥さん!」


 その声を先ほどと同じように手で制す飛鳥。ムチがほどかれて弱々しく立ちつくしていた女性が倒れる前にその身体を抱きかかえ、静かに通路に寝かせる。


「なにが……あった」


「……これを……渡して欲しいと……頼まれました」


 小瓶に入った液体と紙が一枚。両方とも受け取り、四つ折りにされていた紙を開く。そこに書かれていた文字を読み尽くす。途中で強く開かれた瞳が、ゆっくりと細く閉じられる。


「受け取ったよ確かに。江岸は……弟はキミを逃すために残ったんだね?」


 荒く息を吐き続けるようになった女性が小さく頷く。


「判った。この意志は確かに引き継いだよ。キミたちの行動、けっして無駄にはしないとこの飛鳥剛志が命にかけて誓おう。だから、今は休むといい。あとは私たちがやる」


 荒く息を吐き続けて苦しそうな表情を浮かび続けていた女性が、苦しそうにしながらも笑顔を浮かべて、それまでの荒かった息が静かになる。


「ありがとう」


 そう呟いてての中の手紙を握り潰す。


「飛鳥さん……なにがどうなっているんです?」


「もう一度全員部屋の中に入ってくれ。改めて話したいことが出来た。とても、重要な問題だ」

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