第3章 日常 非 日常

日常

 すでに笹良が退院してから2週間が経った。

 新宿を包囲する壁の建設はすでに始まっていて、建設員と警察官が常時いることによって中に入る事はとてもできない。それは、その場所に何度も足を運んだ笹良もよくわかっていた。近づいただけで注意されるために遠くから新宿を眺め、ため息ついて引き返す。


「また来てたの? もぅ、ダメだって事は判っているのに良く飽きないわねぇ」


「……なんだ。またオレをつけてきたのか? まったく、よく飽きないものだな」


 かけられた言葉を似せて返し、新宿に背を向けて振り返ってみれば少女の姿。学校帰りなのだろうか、制服姿で後ろ手にカバンを持っている。


「こんな新宿に近づいて兄さんに叱られないのか?」


「うんとね、誰かが私が今日ここに来たって事を告げ口しなければ、叱られないと思うな」


「そりゃあなにか? オレに黙っていろと言うのか?」


「うん。慎二さんがお父さんに告げ口しない人だって信じてるから」


 はにかむ少女。


「それは大変だ。柚依ゆいがここに来たって事よりも、オレがそれを告げ口したって事に怒りそうだからな兄さんは。オレは黙っていないといけないってわけだな」


「うん、そうだね」


 今度は小悪魔のように大人っぽく笑う。いや、そこまで少女は子供ではなかった。笹良兄が結婚した相手の女性が再婚で、その時すでに中学生の娘がいると知らされたときには笹良自身もかなり驚いた。今では高校生の柚依は笹良兄が心配するほどに笹良が気に入ったらしく、なにがなくても今のように笹良を追いかけたりしている。


「じゃあ帰ろうっか? 慎二さんが折角黙ってくれても、誰か他の人にこんな所にいるのが見られちゃったら意味無いもんね。それともまだなにか用事あります?」


 見上げてくる視線に笹良は首を振って


「いや、もう無いな。まぁなんだ。ここに来るのは新宿に未練みたいなものがあるからってだけで、元から用らしい用もないんだけどな」


「了解。じゃあ帰りましょう」


 といって、笹良の腕に自分の腕を絡ませてくる少女。そのまま歩き出そうとするが、腕を組んでいる相手がまったく動く気配を見せない事に、立ち止まって顔だけ振り向いて


「どうしたの?」


 腕を組む事が当たり前のような顔して訊ねられたものだから笹良もため息をつかずにはいられない。


「いや、腕が……」


 するとさえ、恥ずかしそうに顔を赤く染めて


「もっとくっついた方がいいだなんて、慎二さんって結構大胆なんだね」


「誰もそんな事言っていないんだけど」


 がっくりと肩を落とす。いつもの事なのでそれ以上なにも言わずに、少女に引かれるがまま新宿をあとにする。

 笹良の住む家は東京タワーの見える場所にあり、職場となる事務所からかなり近い。というより事務所から徒歩1分もかからない。正確に言うのならば、3階建てのビルの1階が事務所であり、2階が笹良兄の一家が住んでいて、3階に笹良が住んでいる。兄が結婚したときに引っ越そうとはしていたが、話を切りだして柚依に阻止されて今に至っている。さすがに家に近くなると柚依の方から笹良の腕から離れて、ちょっとだけ距離を置いて歩く。


「あ~あ、もう家に着いちゃった。つまんないのー」


「親が待っているんだから文句言うなって」


「そうだけどさ……。あっ、慎二さんは今日も2階でご飯食べるの?」


 期待を込めた視線を送られて、苦笑い浮かべて


「あんまり叶依かなえさんに迷惑かけるのもなんだと思うけど、過保護な兄さんがそれをさせてくれないのは困ったものだ。仕事に関してはそんな事無いってのに、どうして家庭になるとあそこまで過保護になるのかな」


「しょうがないよ。だって結婚する前は父さんからしてみれば慎二さんはたった1人の家族だったんだもん。過保護にもなりますって。それに……」


 先ほど以上に期待の込められて視線を送る。


「慎二さんも同じ家族だよね?」


 意味ありげな微笑みに笹良自信胸の鼓動が早くなる。


「だって父さんの弟で、一緒に住んでいるし一緒にご飯食べている。だから慎二さんも私の家族」


 とりあえずはそんな感じ、そんな意味合いも含めた苦笑いに、笹良としては笑って返していいか判らず複雑に微笑を返した。


 夕食を兄の家族と取り、すでに時間は0時を回っていた。部屋の電気を消しデスクの灯りだけで、開いたパソコンに文字を入力していく。ページの先頭に書かれた文字は『崩壊都市新宿の真実 双つ影について』。今となっては新宿に侵入する事さえできないが、彼がそれ以前にそこに入り見てきた事は未だ彼の記憶の中に残っている。

 あそこで少女に告げたとおり、彼はそこであった事を詳細に書き残している。と、自分がそれを告げた少女の事をふと思い出す。2度も命を助けられ、しかし自分を同じようにあの炎に包まれて、今となっては生きているかも判らない。


 キーボードを打ち付けていた指が止まる。そこまで書いていた文章を保存して、イスの背もたれに体をあずける。静かな事務所内で体重をかけられたイスがキィキィと鳴り、腕を組んで暗闇が占める量の多い天井を見上げる。まだそれほど時間は経っていないというのに、あの新宿の中で起こった事の総てが遠い昔のように思えてしまい、身の上に起こった危険の総てが想い出に昇華されてしまう。もう一度得ようと思っても得られないことに手を伸ばして、そこで背後に人の気配がして、イスから転げ落ちそうになるがなんとか踏みとどまってイスごと体を回転させる。


「こんな時間まで記事の編集とは、いつの間にそんなに熱心になったんだ慎二?」


 言葉をかけられると同時に部屋内の電灯がつけられ、それまでの暗闇になれていた笹良の瞳はあまりの光量に瞬時に離れずに、目をしばしばさせて声から兄だと判るその人物を見上げている。


「兄さんこそ、まだ仕事が残っていたのか?」


 ようやく目が光の慣れてきて、事務所と2階3階とを繋ぐ階段のある戸を開けて立っているのが兄だと見て確認できた。笹良兄は目をしばしばさせていた弟の座っている席のパソコンのモニターを目にやり、そこに書かれている事を確認して、溜め息1つ突く。


「結局書いているのか? 書いたところでどこに発表する事もできないような代物を」


「いやいや、そうとは限らないだろ?いつかは需要が来るさ」

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