番外編(9)

「嘘つけ、嘘を。顔にはそう書いてないぜ」

その様子を見て少しアレックスの表情が和らいだ。

剥き出しの感情をほんの少しのぞかせた弟にうれしくなった。

吹っかけた喧嘩を買った弟に。

こんな事は今までになかった。

「………」

ハッとしたようにバーンは視線をはずして、またうつむいた。

怒りの感情に支配されていたことを自覚した。

自分の中に生まれたその気持ちを怖れた。

感情の起伏で目の前にいる人物を傷つけたりしやしないかと。

(俺は…どうかしてる。兄さんになんてことを……)

「バーン、」

うつむき続ける彼に静かに声を掛けた。

「本当に彼女のことを好きなら、一緒にいてやれ。力いっぱい抱きしめてやれよ」

バーンは首を横に振った。

「ホントにそれで後悔しないのか?」

(後悔?

後悔するくらいなら、俺はきっと求めたりしないんだろうな。

このままの関係で……いい。

彼女を傷つけてしまうなら、・・・いっそ。

自分の気持ちを優先なんてできない。

きっと彼女が傷つく。

だったら、今までと同じように誰とも関わらずにいた方が、幾らか……)

首を横に振ることも、うなずくこともせずにバーンがアレックスの言葉を聞いていた。

「人に感情があるのは当たり前なんだぜ。それを抑える必要なんてない。そんなの生きてる証さ」

(だとしたら、俺は生きてない。

死んでいるも…同じなんだ。

何のために生きているかわからない・・・俺にとっては同じこと)

心の中で兄が言っていることを否定していた。

どうしても素直になれない自分いた。

素直になることが怖かった。

「感情に従って行動するから人間なんだろうが」

「人間?」

間髪を置かずに聞き返した。

その言葉に異様に激しい反応を示した。

「俺は本当に『人間』なの?」

(あんなものが見えるのに……それでも普通の人間だと?

こんな事ばかり起こしているのに・・・それでも普通の人間だと?)

「…兄さん……?」

バーンは一番疑問に思っていたことを兄にぶつけた。

自分は自分自身を信じていない。

自分は自分自身を信じられない。

この金色の右眼はきっとその証に違いないと思っていた。

人間ではない証。

人間らしく生きていくことに対する戒め。

感情が揺れ動くことに対する警告。

すがりつくような眼で見つめる弟にアレックスは静かな口調で言った。

「ああ、『人間』だ。もし仮に、お前を悪魔だとしても、お前以上のろくでなしの人間どもなんてごまんといるぜ。人の皮を被った悪魔なんてこの世の中には数えられないくらい」

ジャーナリストの端くれをしながらそんな人間の嫌な面を見てきたのだろう。

アレックスの言葉には妙に実感がこもっていた。

「…………」

そのままアレックスは窓の方に向かって歩みを進めた。

「バ~カ。そんなこと、考えなくていいんだよ」

バーンの横で立ち止まるとやさしい目で弟を見ていた。

そんな細かいことを気にするなとでも言うように。

「お前はお前らしく、彼女が好きなままでいれば」

バーンの肩に一瞬手を置くとまた歩きはじめ、離れていった。

「…………」

そんな兄の背中を見送った。

窓ぎわに立った兄はなんだかいつもより大きく見えた。

「恋愛は、」

中途半端に長くなった後ろ髪を右側で無造作に束ねているのが見えた。

口には煙草がくわえられたままで。

少し高い位置にある窓ガラス越しに外を見ながらアレックスはつぶやいた。

外は穏やかな一日のスタートを迎えていた。

「恋愛は理屈じゃないし、外見の問題でもない。資格がどうのこうのっていうんでもないんだぜ。人を好きになることはな。時には、綺麗事じゃ済まないこともあるけど」

アレックスはくわえていた煙草を手ではずした。

ため息とともに紫煙をはき出した。

煙は朝日を浴びながら、渦をなし、消えていった。

バーンの位置から見るとちょうど逆光でアレックスの姿がはっきり見えなくなっていた。

まばゆい光に包まれていた。

「でも、それでも人は人を好きになるんだよ。…素直になりゃいいじゃねーか。本気の思いには本気で」

静かにこう言った。

バーンは黙って兄の背中を見つめるしかなかった。

「な、バーン」

元気づけるように振り返り、笑って言った。

しなだれる煙草の灰を灰皿に落とすために向きを変えた。

トントンと小気味よくフィルター部分を叩いて灰を落とすと再び口元へ持っていき、深く吸い込んだ。

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