008 遠足にはぼっちの憂鬱が埋まっている。

 春――それは暑くもなく、寒くもなく、一年でもっとも過ごしやすい穏やかな季節である。澄み渡った青空、優しい陽光、爽やかな風。特に用もなくふらふらと外に出たくなる季節だが、いくらいい天気であろうと文芸部員たちは室内で小説を書いていた。


「はぁ~もう死にたい。雨でも槍でもいいんで降ってくれませんかね~。」


 思わず外に跳び出したくなるような快晴だが、先ほどから太宰は雨雲のような暗い表情で辛気臭い言葉を口にしていた。


「今朝みた天気予報によれば、今週はずっと快晴だぞ。」


 芥川の言葉に、太宰はまた大きなため息をついた。その大きなため息で、正面に座っていた川端副部長のノートがペラペラと捲れたほどだ。見ている方も気が滅入る太宰の様子に、川端副部長は「いい加減にしなさい。」と注意をした。


「太宰さん、あなたは先ほどから何をそんなにいじけてるんですか?」


 川端副部長のぎょろっとした目で睨まれても、太宰はだらしなく机に突っ伏して、うな垂れたままである。


「だって……。遠足……行きたくないんですもん……。」


「遠足……?」


 太宰の深刻そうな表情と裏腹に、彼女の口からは「遠足」という楽し気な言葉が跳びだした。


「あぁ~、そういえばあったね~。一年生の仲良し遠足~!」


 谷崎の言葉に、芥川は「あぁ、なるほど。」と一人納得した。太宰はクラスに、というか同学年に友達と呼べる人間がいない。ぼっちにとって、遠足というイベントは、ただただ辛いイベントである。


「いきたくない~。一人でお昼食べるのも、可哀そうな奴だって気遣われて、一緒に食べるのもいやだー。何が仲良し遠足ですかっ! 小学生の行事ですかっ!」


 子供のように駄々をこねる太宰に、川端は顔をしかめる。


「仲良し遠足は、そもそも親睦を深めるための行事でしょう。ちゃんと行って友達の一人でも作ってきなさい。」


「もうなんなんですかっ! 副部長は私のお母さんですか!? 私の本当のお母さんは、娘の交友関係になんて全く無関心ですけどねっ! ありがとうございますっ!」


     (※太宰治は子供の頃、ネグレクトを受けていたらしい。)


 太宰は親に小言を言われて拗ねる子供のように、頬をぷくっと膨らましながら、しかし怒った表情とは裏腹に感謝の言葉を川端に口にした。


「怒ってるのか喜んでるのかわからんな。」と、芥川は頭を掻く。


「まぁまぁ、太宰ちゃんなら大丈夫だよ~、きっと楽しいことがあるよ~」


 谷崎は太宰の頭を、そっと包み込むように優しく撫でた。まるで少し年上の姉が、拗ねている幼い妹をあやすような光景だ。


「むぅっ! なんですかもうっ! 谷崎先輩は、妹を宥める優しいお姉ちゃんですかっ!? まったくもうっ、ありがとうございます!」


「だから怒ってるのか喜んでるかどっちだよ。」


 そんなやりとりを見かねた森部長は、「本当に嫌なら、別に行かなくてもいいと思うが……」と言い、「なんですかっ! 部長は娘の肩を持つ父親ですかっ! ありがとうございますっ!」と同じようなやりとりが続いた。


「ふむ、そうなると――この俺様はさしずめ、太宰の兄上様といったところか――」


 このよくわからない家族ごっこに参加したいのか、中原は自分から兄ポジションを名乗り出た。


「えっ……あ~、うーん。中原先輩より、芥川先輩がお兄ちゃんがいいです。」


 太宰が少し申し訳なさげに言うと、中原は遊びに寄せてもらえない子供が浮かべる寂しそうな表情で「そうか……」と呟いた。


「というわけで、芥川先輩がお兄ちゃんですね。」と太宰は芥川へと向き直る。


「誰がお兄ちゃんだ。どういうわけか誰か教えてくれ。」


 怪訝な表情の芥川に、太宰は妹が兄に甘えるような様子で、「私……、一人じゃ遠足なんていけません……。」と呟いた。


「……おいこら、一人じゃってどういうことだ。それじゃまるで、誰かが付き添ったらいくみたいに聞こえるじゃないか。」


「えっ~! 一緒に来てくれないんですか!」


「あほか。なんで二年の俺が、一年の遠足に付いて行かなきゃいけないんだ。」


 兄と妹の口げんかのように、二人はやいやいと言い争いを始めた。


「いいじゃないですかっ! 先輩よく、小説書きたいからって、授業さぼってるでしょっ!」


「おい、何で知ってんだお前!」


「一日くらいいいでしょ? 交通費や昼食代なら私が出しますよ! 何なら日当も出しますから!」


「いや、そういう問題じゃないんだってば。」


「だったら、どういう問題ですかっ!?」


 結局のところ、太宰の懸命な説得むなしく、芥川は首を縦に振ることはなかった。


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 遠足当日――太宰はしょぼんと肩を落としながら、ぽつんと一人離れて行動していた。昼食休憩の時間もまた、人目のつきにくい木陰で一人用のレジャーシートを敷き、コンビニで買った三八〇円の唐揚げ弁当とお茶を広げる。


「あれ……? うわ、さいあくだ……。コンビニのおばちゃん……割りばし付け忘れてる……。」


 人目のつかない場所といえど、さすがに素手で掴んで食べるという気にはなれない。どうしたものかと辺りを見回すと、ちょうど箸として使えそうなサイズの木の枝が二本落ちていた。一瞬手を伸ばしかけて、太宰はふと手を止めた。


「……はぁ。何してんだろ……わたし……。」


 あまりの自分の惨めさに、太宰はがっくりとうな垂れた。小さくうずくまる彼女の耳に、遠くから昼食をとるクラスメイトたちの楽し気な笑い声が降り注ぐ。


 そこまで空腹でもないし、お昼はもういいかと思ったその時――、彼女の頭上からぽとっと何かが降ってきた。


 一瞬、大きな虫か何かと思ってぎょっとした太宰だったが、落ちてきたものをよく見ると、それはまだ封の切られていない新品の割りばしであった。


「……え?」


 太宰は目を丸くしながら、割りばしが降ってきた頭上へと視線を移した。しかし頭上には、これから来る夏に向けて、緑の葉をうっそうと生い茂る大木があるだけだ。


「うーん……、まぁいっか。」


 太宰は不思議に思いつつも、謎の大木から降ってきた、新品の割りばしの封を切って昼食を食べることにした。


 無事に昼食を食べ終えた太宰だったが、まだ集合時間まではかなりの時間が残されていた。時間を持て余し、カバンの中身をガサゴソと探ってみたが、中には暇を潰せそうなものは一切入っていなかった。


「暇だなぁ……。なんか本でも持って来たらよかった……。」


 太宰がそう呟いた瞬間、頭上の大木から再び何かが降ってきた。驚いてみてみると、それは夏目漱石の『草枕』という小説であった。


「うわっ……びっくりした……。」


 太宰はおそるおそる頭上から降ってきた小説を拾った。そして訝し気な表情で、頭上の大木をじっと見つめる。


「……変だなぁ。」


 太宰は立ち上がり、大木の周りを一周しながら凝視していたが、ふと納得したように腰を下ろした。


「でもまぁ……割りばしも、本も……元は木から作られるし……まぁいっか。」

 

 集合時間までの間、太宰はその大木にもたれかけながら空から降ってきた小説を読んで時間を潰した。読み終えたあと、太宰は「ありがとうございます。」と小声で告げ、大木の根元に小説をそっと置いた。


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 翌日――放課後の部活にて、太宰は昨日の遠足で起こった不思議な出来事をみなに言いふらしていた。


「――っていうことがあったんですよ! あれは多分、魔法の樹だと思います。今度調査しにいきましょう!」


 太宰が熱く語る摩訶不思議な話を、「ふーん、不思議なこともあるもんだなぁ」と芥川はどこかつれない感じで流していた。


 そんな二人の様子を、「そうだね~。不思議なことがあるもんだねぇ~。」と谷崎はにやにやしながら眺めている。


「ところでさ~、昨日は龍介、学校さぼってたみたいだけど~。やっぱり小説書いてたの~?」


 意地悪気な表情で尋ねてくる谷崎に、芥川は「……あぁ、そうだけど。」と面倒くさそうに答える。


「えぇっー! 学校さぼるなら、遠足についてきてくださいよっ!」と太宰は不服そうに口を尖らせる。


「うるさいっての。」


 芥川は煙たがるように太宰から離れ、手元の小説に集中した。彼の呼んでいる小説のタイトルが、夏目漱石の『草枕』であることに目を止め、太宰は少しだけ頬を赤く染めた。

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