015 安否確認には恐怖が埋まっている。

 芥川の兄弟子である内田に遭遇した太宰は、芥川が無茶していないか気に掛けてくれと頼まれた。


 別に誰に頼まれなくとも芥川を心配していたし、部活が休止している今、太宰は寂しい気持ちが日々募っていた。内田の依頼を断る理由は太宰にはない。


 ともあれ心配だからといって、いきなり家に押しかけるのは迷惑だろうし、そもそも芥川家の住所を知らない。そこで一先ずは、芥川にメッセージを送ることにした。


「さて――、何と連絡を入れようかな……」


 最後にメッセージをやりとりしたのは、確かゴールデンウィーク明けの、アイデアノートの一件があった日だ。芥川とのチャット画面を開くと、これまでの二人のやりとりの文面が表示された。



太宰 ”谷崎先輩に私のノート奪われかけた時、この人悪いなって思いました……”


芥川 ”あぁ、確かにあれは谷崎が悪いな。”


太宰 ”谷崎先輩って、けっこう悪いですよね――特に胸のあたり。”


芥川 ”そっちか。あいつのいいところなんて、むしろ胸のでかさぐらいだろ。”


太宰 ”私への当てつけですか? ちょっと死んできていいですか?”


芥川 ”どっかの偉い人が貧乳はステータスだと言ってた。それにまだお前には、未来の発展へ希望があるから死ぬな。”


太宰 ” ○┼< 死亡 ”


芥川 ” Ω\ζ°)チーン ”


 ほんとくだらないと自分でも思う内容を、やや一方的に芥川へと送り付けていたが、人の良い芥川はそんな後輩からのメッセ―ジに逐一反応を返してくれていた。


 しかし、文豪新人賞の締め切りが近い今――、つまらない内容で連絡を取るのは迷惑だろうと考えるくらいの常識を太宰は持っている。この日以降は、芥川への連絡は控えるようにしていた。


「うーん、こんな感じでいいかな。」



太宰 ”芥川先輩、生きてますか? 死ぬときは一緒ですからね。”



「ちょっと味気ない気もするけど……」と思いつつ、太宰はそのままの文面でメールを送った。


「いや、やっぱりこれは素っ気ないかな?」


 十分すぎるほどに重い文面だったが、部活が休止となり、芥川に会えない寂しさでおかしくなっていた太宰は、感覚が狂っていて気づかない。


「……やっぱり打ち直そう。」


 太宰は先ほど送ったメッセージを削除し、再度文面を考えて送信した。


「うーん、こうやって見たら……今度は長いし、重いって思われそうかも……。」


 人は文面を考えてる間には気づかないが、実際に送った後にチャット画面で眺めると、どうも書き直したくなる衝動に駆られることがある。ゲシュタルト崩壊を起こした太宰は、その後も何度も試行錯誤的に文面の送信&取り消しを繰り返した。


 しばらくしていると、芥川から突然メッセージが来た。


芥川 ”めっちゃ怖いんだけど……”


 突然のメッセージに、太宰は驚きながらも返信を試みた。


太宰 ”えっ、怖いって……何があったんですか?”


芥川 ”いや、お前だよ。”


「……先輩? 一体何を言ってるんだろ?」と太宰は首を傾げた。


 これまで友達と全くメッセージのやりとりをしたことがなかった太宰は、メッセージを取り消した際に、”○○がメッセージを取り消しました”という通知が相手に送られることをしらなかった。


 芥川のチャット画面には、以下のように表示されていた。


 以下――芥川のチャット画面

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


太宰 ”人間失格がメッセージを取り消しました。”

太宰 ”人間失格がメッセージを取り消しました。”

太宰 ”人間失格がメッセージを取り消しました。”

太宰 ”人間失格がメッセージを取り消しました。”

太宰 ”人間失格がメッセージを取り消しました。”

太宰 ”人間失格がメッセージを取り消しました。”

太宰 ”人間失格がメッセージを取り消しました。”

太宰 ”人間失格がメッセージを取り消しました。”


芥川 ”めっちゃ怖いんだけど……”


太宰 ”えっ、怖いって……何があったんですか?”


芥川 ”いや、お前だよ。”


太宰 ”はい……?”


芥川 ”太宰の仕業じゃないとしたらもっと怖いけど……”

   

   ”怪奇現象的なあれか?”


太宰 ”意味がわかりません。小説の書きすぎで頭おかしくなりました?”

   

   ”頭大丈夫ですか?(笑)”


芥川 ”それはこっちの台詞だよ(怒)”


太宰 ”まぁとりあえず、安否確認ができたのでいいです。”

   

   ”今日、先輩の兄弟子を名乗る内田って人に会いましたよ。”


芥川 ”えっ、まじで?”


太宰 ”はい。『まぁあんまり無茶するな』という伝言を預かってます。”


芥川 ”もう子供じゃないってのに、相変わらず心配性だな。”


太宰 ”またまた~、兄弟子からのメッセージ、本当は嬉しいんじゃないですか?”


芥川 ”うるさいな”


太宰 ”むぅ……素直じゃないですね。”


   ”ところで、私も心配してますよ? 無理しないでくださいね。”


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「……。」


 先ほどまで軽快に返信を送っていた芥川の手が、ぴたりと止まった。スマホを握る自身の真っ黒になった手を眺め、それから太宰からの最後のメッセージにもう一度目をやる。そしてかすかな微笑を口もとに浮かべた。


「全く――可愛い後輩を持ったものだ。」


 やや思考した末に、”999”と今時の若者には通じないくだらないメッセージを送り、芥川はスマホのチャット画面を閉じた。スマホを擦り減った座布団の上にそっと寝かすように置く。


 後輩とのやりとりで和んだ心を、芥川は小説と向かい合うために再びきりきりと張りつめさせた。ギターの弦を切れる寸前まで張りつめるように、精神力を限界まで研ぎ澄ませていく。


 芥川の部屋には、長い年月を経てアンティーク家具となった本棚、ペンキがところどころ剥げた机、軋む音がうるさいベッド以外にはこれといった物は存在していない。


 窓際に置かれた芥川の机上には、ピラミッドを彷彿とさせるエナジードリンクの空き缶の山が築き上げられている。その手前には、かろうじてオフィス機能を持つ型落ちノートPCが置いてあり、いつもこれで小説を執筆している。いくつかのキーは爪が壊れているため、強く打つと外れてしまうのが難点であった。


 部屋の壁には小説のアイデアを書きなぐったメモが至る所に張られ、床には修正済みの原稿と、未修正の原稿の山が積まれている。


 ここ数日の間、芥川は家から一歩も外には出ていなかった。理由はやはり、文豪新人賞の締め切りが近づいてきていることにある。とても健康的ではない生活を営んでいたが、叔父・叔母夫婦はそれを承諾している。


 彼らは芥川が小説家を志していることを昔から知っており、夢を応援してやろうという立場を貫いていた。


 芥川が高校に入ってからは、食事はきっちりとリビングで取ることだけを条件として提示し、時折学校をサボって小説を書いていることにもうるさく言うことはない。唯一と言っていい食事のルールも、毎年文豪新人賞の締め切りが近づくこの時期は免除され、何も言わずに部屋の前に食事を用意して置いてくれる。


 去年までに書き上げた原稿の手直しは、前もって修正して応募まで完了していた。一度駄目だった作品でも、自らの手で生み出した愛着のある作品たちだ。より良くしようと思えばいくらでも書き直せるし、評価される可能性がある以上はもう一度チャンスを与えてやりたい。


 そして新しく生み出した作品たちの中で、どうしても続きが書ききれずに中断してしまった小説も数多くある。何とか完結させようと思えばできなくないが、納得のいく結末となると一定の時間を寝かせるべきと判断したものだ。


 その中から、今なら綺麗に完結させられる可能性がある作品を、いくつかピックアップした。今回の機会を逃せば、次に応募できるのは来年の文豪新人賞だ。できれば今年度の締め切りに間に合わせたい。


「……できた。」


 納得のいく結末をもって締めくくれた時の多幸感と充足感は、おそらく小説を書いたことのある人間にしかわからないだろう。小説の結末を導き出すことは、答えのない問題の答えを見つけ出すような矛盾を含んだ作業だ。


 ゴールへの道はいくつにも分岐しており、どのルートが正しいか全く先が見えないことも往々にしてある。ひょっとすると、既に道を間違えて進んでいるかもしれない。そうなると、せっかく作ってきた道が全て無駄になり、再度来た道を戻って新しいルートを開拓する必要がある。


 大変の労力と気力がいる作業だが、これしかないという結末を導き出した時は、世界の真理を少しだけ垣間見たような不思議な気分になる。


 新たに完結させた小説の応募を終え、睡魔の限界を迎えて気絶したように眠る。一切の夢を見ることなく、ただただ静かな闇の中に沈んでいく。慢性的な運動不足で身体は重く、椅子に座りっぱなしによる腰痛と肩こり、目の疲労は寝てもしぶとく残っている。


 小説を書くという作業は、存外肉体的にも精神的にもハードな作業である。社会を構築し、その中で生活する動物の人間は、一人で部屋に閉じこもって延々と思考の海に潜り続けるようにはできていない。クジラが浮上して息継ぎするように、本来は適度な外出と他者とのコミュニケーションが必要だ。


 そういった人間らしい生活を、しばらくの間だが芥川は一切放棄していた。身体と精神には間違いなく異常が起こっている。それでもそうやって書かずにはいられない。そんな状況に身を置かなければ書けない類の小説もある。


 そしてもう一つの理由は、自分の書いた小説をこの世界に残すには、そういった自分の血肉を刻み込んだような文章が適切だと考えていたからだ。


 芥川は努力至上主義ではなかったが、自らの血肉を刻みこんだような、努力し時間をかけ、想いの全てをこめた文章こそ、この世に深く刻まれるべき文章であるべきだと――そうあってほしいものだと願っていた。

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