老人と親子

高田れとろ

老人

 暑い夏が終わり、朝夕ひんやりと気持ち良い気候になってきた。だが、年寄りの体には厳しくつらい季節である。

 春夏秋冬、必要なものを出したりしまったり。おばあさんとの共同作業。年を経るごとにお互いの体は弱り大変な作業になってきていた。何十年と繰り返してきた恒例行事。それをやらなければ、暑い夏も寒い冬も越せない。それが今年の春の終わりにプッツリと途絶えた。老人は一人で夏、秋と準備をしてきた。次は、冬。


 老人は、おばあさんの着ていた服を、ごみ収集日の前日に整理をしては少しずつ捨てていた。一ヶ月もしないうちに、服は全て無くなった。服が終わると、今度は靴を捨てた。履き古したサンダルや、散歩に使っていた運動靴、葬式の時くらいにしか履かない革靴。空気に触れない靴たちにはカビが生え、いざ履こうとしても使い物にならないような靴ばかりだった。普段の履物は限られた一足。それさえあれば、外出には困らなかった。次は、スカーフやマフラー、靴下、下着、ハンカチなどの小物。和箪笥に詰まっている着物は、簡単には捨てられず、まだ手つかずのまま。おばあさんの趣味で書いていた絵手紙の束は、紐でくくった束のまま、捨てた。

 居ない人のモノが在ることが、老人にとっては大変な違和感だった。悲しみと同一の別の感情。

 さんざん整理して捨てた今、手元に残っているのは、和箪笥の中の着物と、少し高価と思われる貴金属。それから、使い捨てのインスタントカメラが一台。フィルムはまだ数枚残っていた。


 家のそばにある公園は、紅葉シーズンにだけ地元人が溢れかえる、期間限定の観光名所だ。老人も、毎年おばあさんと出掛けていた。

 午後の公園は、結構な日差しがあり、老人の足で歩いても少し汗ばんだ。頭には帽子。今年の紅葉も綺麗だ。真っ赤なたくさんのモミジは、太陽の光をまとってキラキラ揺れている。まぶしい。老人は、おばあさんのカメラでモミジの写真を一枚撮った。

 公園内をしばらく歩く。雑誌の撮影だろうか、着飾った派手な女性二人と、大きなカメラを担いだ男性、それに指示を出している男性が、大きなモミジの下、それぞれ仕事をしている。

 老人はその脇を静かに通り過ぎ、公園の一番奥にあるモミジの下に立った。一番お気に入りのモミジだ。一人でひそかに、ここ、と思っていた場所。

 紅葉した葉を老人は静かに眺めていた。時々、帽子に手をやり、少し持ち上げ、また元に戻す。おばあさんがプレゼントしてくれた帽子。赤茶色のフェルト生地で出来ている。


 カタカタと背後から音がした。振り返るとベビーカーを押した女性がこちらへ向かって歩いてきた。人気のないモミジの下まで、ベビーカーを押してきた女性は、老人と目が合うと「こんにちは」と挨拶をした。老人も「こんにちは」と答えた。

 女性の連れている赤ちゃんは、まだ小さく、とても暖かそうなピンクの上着を着ていた。

「この場所、いいですね。静かで」

 そう言うと、女性は少し腰を曲げ、ベビーカーの中を覗き込み、赤ちゃんの上着を整えた。

「この公園で、ここが一番落ち着くんですよ」

 老人は、そう言い、被っている帽子を一度頭から持ち上げ、少し角度を変えて被り直した。 

 モミジの方へカメラを向ける。もう一枚。カチャ。


「おじいさん、写真、撮ってあげましょうか」

 そう言って女性は、手を差し出した。

「いや、いいですよ」

 老人は照れたように答えた。

「いいじゃないですか。遠慮なさらずに。帽子がとってもお似合いですよ、是非」

 女性にそう言われると、

「じゃあ、お願いしようかな、いや、申し訳ない」

 老人はそう言って、女性にインスタントカメラを渡した。

「使い方はご存じですかね。これは昔のカメラでね、インスタントの使い捨てカメラなのですが」

「使い捨てカメラ?」

 女性は、しばらく考えていた。

「今どきは、便利なカメラがあるからね、あの、デジカメ? って言うんですか、そういうカメラとは違うのですが」

 そう言って、カメラの使い方を丁寧に説明した。一通り説明した後、老人は、枝が張り出て一番綺麗に紅葉が見える位置に立った。  

 女性はカメラの小さな穴を覗き込み、

「写しますよ」

と少し大きな声で言った。

「あ、ちょっと、待って。帽子を脱いだ方が良いかな、どうしようか」

 老人はつぶやいた。

 帽子に手をやる老人を見て、

「帽子脱いじゃうんですか?そのままの方が絶対にいいですよ」

 女性は離れた場所から声をかけたが、老人には届かなかった。

「いや、ダメだ、やっぱり、ここは帽子が無い方がいい」

 結局、老人は帽子を脱いだ姿で写真に収められた。女性は老人にカメラを返した。

「やっぱり、帽子、あった方が、良い感じでしたよ」

「そうですか、でもいいんですよ」

 老人はそう言って、カメラを受け取り、まだモミジを見ている女性に軽く会釈をし、公園を後にした。


 帰り道、写真店へカメラを持って行った。翌日の散歩の途中、プリントされたものを受け取った。全部で二十四枚。おばあさんの写した風景、見慣れた人が映っていた。去年、婦人会の旅行の時に持っていったモノのようだった。手にお土産袋を持って立っているおばあさんの姿が数枚写っていた。足元には、便利な一足。

 老人が写した紅葉の写真が二枚。最後の一枚が見知らぬ女性に写してもらった自分だ。見事な紅葉の下、右手には帽子という姿がぼんやりと分かる写真だった。きっと、シャッターを押す時にかなりカメラがぶれたのだろう。しかも被写体が小さすぎて、老人の表情も読み取れない。まあいい。自分の姿が写真になるというのは、恥ずかしいだけで、どうにもならない。

 老人は、机の上に広げていた写真を、写真店の袋へ戻し、受け取ったばかりの状態にした。そして、そのままゴミ箱へ入れた。おばあさんからもらった帽子も一緒に。


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