第6話 氷の令嬢と勉強会


 定期テスト二連覇の実力は伊達ではなく、冬華の頭の良さは想像を遙かに超えていた。

 

 朝陽が手詰まり状態だった問題にスラスラと解答を示し、肝心の教え方も的確かつ丁寧で分かりやすい。


「ここは二番の式を代入して、二次方程式を解けば答えが導き出せます」

「……なるほど」

「次の問題も同じ解法です。途中で解の公式を使う事を忘れないでください」


 一人で延々と頭を悩ませ続けるよりもずっと効率が良いこともあり、図書室での苦悩が馬鹿らしくなるほど勉強は捗った。

 途中で裏技なる解法を教えてもらった際などは学校の先生よりも先生らしく、冬華の学力の高さが終始際立つ。


「凄いな、今からでも先生として教壇に立てるぞ」

「……大袈裟です。冗談を言う暇があったら早く問題を解いてください」

 

 はいはい、と肩を竦めてノートに向き直れば、直ぐ隣から小さなため息が聞こえてくる。その明らかな呆れ具合に朝陽は思わず苦笑するしかない。


 態度や言葉は素っ気ないが、その裏に他人を拒絶する冷たさは潜んでいない。

 朝陽が質問をすれば理解できるまで根気よく付き合ってくれるし、正解に辿り着けば時々ポツリと誉め言葉も口にした。


 それら全てが借りを帳消しにする為だとは言え、"氷の令嬢"を感じさせない冬華は良い意味で人間らしい。

 全体的にかなりクールなのは置いておいて、普通に会話も出来るし、表情や言動から感情を読み取ることが出来る。


 千昭の影響もあってか、普段もこのくらいの対応なら、と柄にもないことを考えてしまうくらいには今の冬華は好ましい雰囲気を纏っていた。


「……ここ、計算間違っていますよ」

「本当だ、まさか足し算を間違えるとは」

「しっかりしてください。これがテスト本番だったら泣くに泣けません」


 余計な事が頭に過ったせいで凡ミスをすれば、小言ついでに再びそっとため息をつかれる。 

 そのちょっとしたやり取りが今まででは到底考えられない光景であり、朝陽の目には奇妙に映った。




 勉強会が始まってから一時間と少しが経った頃には、朝陽が頭を悩ませていた難問のほとんどに赤丸がついていた。

 教師の教え方が良く、生徒の理解が早い。更には集中力も申し分ないとなれば当然の結果だが、当の本人たちにとっては体感スピードが異常に早く感じられる。

 

「本当にこんな事で良いのですか? 看病の件とは釣り合わない気がするのですが……」

「何言ってんだ。看病は誰でも出来るけど、勉強を教えることは誰でも出来ることじゃないだろ。寧ろ俺の方が得してるくらいだ」


 余りにあっけなく、そしてやりがいの無い仕事だったのか、冬華は相変わらず納得のいかない様子を示したが、朝陽としてはこれ以上は何も求めていない。


 あえて欲を言うのならば、中間テストまでの残り一週間も冬華に教えて欲しいところだが、それでは余りにも迷惑がかかる。

 何より”氷の令嬢”に一週間も勉強の世話をしてくれとは頼みにくい。


 故に朝陽が上手く話を纏めて妥協を促せば、冬華は何度か食い下がった後にようやくしぶしぶと頷いた。


「それでは残り数問を早めに片付けてしまいましょう。この調子なら三十分以内には終わるはずです」

「そうだな。次の問題は……すまん、ちょっと待っててくれ」


 教師生徒共々気合を入れ直し、いざラストスパートというところでタイミング悪く規則的な電子音が鳴った。


 きょとん、としている冬華に一言を断りを入れてから朝陽は急ぎ足でキッチンに向かう。

 

「……何の音でしたか?」

「炊飯器。米が炊けたってさ」

「そういえばキッチンで何かしてましたね」

 

 ピピピピ、とうるさい電子音を止め、炊飯器をあけると直ぐに米特有の匂いと密度の濃い湯気が顔全体を覆ってくる。

 十分休憩と称した時間の中で手早く洗米をすませ、かなり短い時間にしか浸水させていない割にはふっくらと美味しそうに炊けていた。

 

 今日はそもそも家に帰るのが遅かった上に、突然勉強会が始まったことで夕食を作る時間が全くない。

 そこで、昨日作り置きをしておいたカレーを食べる予定だったのだが、ここで朝陽は聞き覚えのある音を聞いた。


 ――ぐうううううう


 可愛らしい音と連動して、顔を真っ赤に染める女の子が一人。

 

「……作り置きのカレーで良ければ食べるか?」


 一晩寝かせたカレーはコクが生まれ、旨味が増す。しかし、保存方法に気を付けなければウェルシュ菌と呼ばれる危険もある――と、そんな事を考えているうちに冬華の視線がこちらに向けられた。

 そのカラメル色の瞳には透明な膜が浮かび、元々乳白色をしているはずの頬はリンゴのように紅潮している。


「……遠慮しておきます」


 小さく首を横に振った冬華は恥じらいからか、そのままそっぽを向いてしまう。

 少し間が空いたのは迷うところがあったのだろうか、その胸の内は分からない。


 しかし、お腹に潜む虫は正直な様で一度では飽き足らず、二度三度と鳴き続けた。


 こうなると、勉強どころではなくなってくる。

 冬華は羞恥心に耐えるのに必死で震えているし、お腹を満たさない限りは虫の音は止まらない。

 

「言っておくけど、こんなの借りの内に入らないからな。気にせず食べてけよ」

「……ですが」

「それにさっきも言ったけど、俺としては得をしてるくらいの気持ちだ。カレーの一つくらい振る舞わせてくれ」


 このままでは勉強会が再開できない。

 その一心と、ふと思い浮かんだ僅かな心配の気持ちに突き動かされ、朝陽は夕食を食べることを強く勧めた。


 冬華が一度家に戻って食事を済ませる、という一見最善策と思える案が考え付かなかったのは思い当たる節があってのことか。 

 同じく冬華も自分の家に戻る、という選択肢を提示することはなかった。


「……わかりました」


 たっぷり時間を置いた後、やがて首を縦に振った冬華の顔は耳まで真っ赤に染まっていた。

 

 

 

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