#042:深淵だな!(あるいは、世界/インザ/世界)


 絶望的な戦力差を示されたわけだったが、不思議と絶望の奴は俺の外皮一枚を撫でるに過ぎなかった。


「AHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHッ!!」


 高いラ#くらいの高音が、俺の喉仏を震わせながら、漆黒の大空間に広がっていく。完全に気合いと覚悟が薄皮一枚下を、血流よりも速く駆け巡っていた。


「……」


 同時に体の周囲に漂う「珠」たちに意識を込めると、それらは俺を中心として、楕円の軌道を惑星が如く描き始める。はじめはゆっくりと、それからは速度を上げて。


「銀閣さん……いい感じですよ……この隙の無い布陣であれば!! これしきの数の差!! 埋められますよぉぉぉッ!!」


 本気で言ってるのかそれとも俺を励ましてくれているのか。いつの間にか、周回回転する「珠」の間を巧みにくぐって、左腕を軽やかに伝いつつ、ネコルが定位置マイヘッドに着くとそうのたまうのであるが。


 正直、やれそうな気はしていた。「記憶」。「記憶」を武器に戦うってのはまた唐突で何でだ感はあるものの、そんなことはいちいち考えてもいられねえ。正真正銘の最後と、自分でも言っちまった手前、最大級やるしかねえんだッ。


「行くぜぇぇぇぇぁぁあぁああああああッ!!」


 宙を蹴り、俺は「城」目掛け、華麗に飛翔する。途端に反射的に、野郎の赤玉が視界を遮るばかりに展開し、まるで濁流のように俺の身体ごと呑み込み、潰してこようとしてくるものの。


「AHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHッ!!」


 もうよう分からんがとてもいい高音こえを発せられるようになっていた俺の雄叫びと共に、我が「青白珠オプション」たちは、尋常じゃない速度で自転公転をカマすと、それら無数の「赤玉」を蹴散らし、削り、破壊していくのであった。


 例えるのなら、パチンコ玉でピンポン球を撥ね飛ばし、へこみ潰していくかのように……(例えか?


<き、貴様ッ!! それは貴様の『記憶』なのだぞッ!? 濫用すれば摩耗し、ひび割れ、崩れ散る……失われるのだえ永遠にッ!! 貴様の貴様を形づくる要素が虚無に帰すのだぞぉッ!?>


 なんだよ、ビビってんのかよ女神のくせに。「記憶」だ? 俺の俺を形づくるだ?


「うううるせぇぇぇぇぇぇェァァァァァアアアアアッ!! 記憶が何だ? なもん消滅してくれた方が、こちとら御の字以外のなにものでも無えんだよぉぉぉぉぉぉッ!! 何もいいことなんざ無かった、何も得るものなんてなかった腐った人生をこちとら毎日リピートするようにただただこの身体に刻み付けているだけだったっつうんだ!! 失え!! もう失っちまえ!! 小学校の運動会の棒倒しで一番乗りしたはいいものの、頂上間際で体育ズボンと共にパンツまでずり降ろされて自前の棒を好きだったコの前で何故か屹立状態で開陳してしまった記憶トラウマもッ!! 中三のバレンタイン当日、気ぃ張って登校したものの腹具合がどうにも限界で、満員の総武線の中で進退窮まり、連結部に閉じこもって解放したものの、それでも抑えきれない臭気に周囲1mで孤独を感じながら、とんだ不義理チョコを不特定多数にプレゼントしてしまったトラウマもッ!! 消えろぉッ!! 俺の中から摩耗しろひび割れろ崩れ散りやがれぇぇぇぇぇええああああッ!!」


 魂の叫びは、「珠」に速度を与えながら、暗き虚空へと吸い込まれていく……。ええええ……壮絶に過ぎるぅぅぅ、との魂が抜けたかのような言葉を、女神・猫双方が同調シンクロさせつつ放つのだが、そんな中を俺は中空を真っすぐに、飛翔していく。赤い奔流を吹き飛ばしながら。ただただ目指す相手目掛けて。


「で、でもいける……このまま野郎の本丸まで……『記憶を武器に変えて殴り合う』とか言った手前、『本当にそれで奴は倒せる』、そのはずですッ!! それこそが、奴自身をも抗えない『法則ルール』であろうはずですからッ!!」


 ネコルの冷静な分析は、残すところの距離10mくらいに迫ったクズミィ神の巨顔が歪んだことでも、的を射ていると判断させられる。流石に俺の「記憶珠」たちも徐々に限界を迎えてきているのか、いくつかがパシパシというような音を発しながら、亀裂を滲ませていくものの。


 ……もうここまで来たら突っ込むしかねえッ!!


 「珠」を身体の前面に集中させながら、乾坤一擲の一撃を、野郎の隙だらけの顔面向けて撃ち放とうとした。


 ……刹那だった。(ラスト刹那……!!


<残念だね勇者クン>


 !! ……目の前が「赤」に染められた。クズミィ神の多分に笑いを含んだ声がしたかしないかの瞬間、俺の左方向から、無数の鋭い「針」状のものが、反応する暇もなく、接近し接触し、


 ……俺の皮膚の大部分を突き破っていたのであった。


<終わりだよ、本当に。これが本当の終わり……>


「銀閣さんッ!! 銀閣さぁぁぁぁぁんッ!!」


 女神と猫の声が右耳だけから聴こえてくる状態の中、急速に体の左側が熱を持ったかのように、逆に右側が冷やされたかのように。


 感知したところまでが俺の限界だった。だが今までの意識が途絶えるといった感じでもなかった。あくまで鮮明に、何故か「目覚める」みたいな感触を有したまま、俺の意識が反 転 し て い く … …


……………………


 静寂は一瞬だった。


「ああッ!! ほ、本当に……目覚め、ま、した……真砂まさごセンセイッ!! 患者さんが、加来カクさんの意識が、戻りましたぁぁぁぁッ!!」


 唐突に耳に入って来た声は、どっかで聞いたような……ああそうか、「三人娘」のひとり、茶女、ミロ=カの声じゃねえか。なんだお前いたのかよ……


「おおおお落ち着いて徳登トクトサン……バイタルちゃんとかかか確認してちょおおおだいねへえええええ……」


 続いては何だ? ネコルの声じゃねえか。でもよく分かんねえくらいにテンパってやがるな。どうしたってんだ? つうか俺はどうなってんだ? 薄目しか開けられねえし、身体も意思通りには動かねえぞ? やっぱり俺はクズミィ神にやられちまったと、そういうわけか? だが一命は取り留めたと。だが俺が野郎を倒さなければ、身体まっぷたつに裂けて死ぬとか言われてたよな……あれはやっぱフカシだったのか?


 光が強くなった。


 思わず顔をしかめちまったが、そのおかげで瞼がひび割れるようにしてだが開いてくれた。だが目の前に現れた光景に、俺は思わず絶句してしまう。そんな俺を覗き込むようにして迫ってきた顔は、ああ、見慣れたネコルのそれであり少し安心するが。


 が、だった。


「おおおお落ち着いてくださいねへぇぇぇ、加来 銀次郎ギンジロォくんんん……ここここの指は何本に見えるかなぁぁぁああああ……」


 センセこそ落ち着いてぇぇ、との声が響き渡るが、ネコルののたまうその言葉の逐一が、理解のとっかかりをも掴ませてこないわけで。


 ……どうしちまったんだ、俺は。


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