第9話:不機嫌な彼女。

 その後、俺は屋上に向かった。

 扉を開けると、頭上からお怒りの声が届いてくる。


「遅い」


 いつも通りに彼女は上に座しており、下を見るように顔だけ出して、お顔は膨れっ面である。何その顔可愛い。

 とまあ、なぜ彼女が不機嫌なのか俺には見当もつかないのだが、上を向いてとりあえず謝っておく。


「すいません。話が長引いちゃったんですよ」


 だが、謝罪は受け取られなかった。

 ぷすーっと空気が抜ける間抜けな音と共に顔が引っ込んでいく。

 少々溜息をつきながらハシゴのある方へ回り、カツカツと音を鳴らしながら登っていくと、また頭上にひょいっと顔が現れた。


「なんの話してたの? 答えるまで登っちゃだめ」


 何なのこの人。めんどくさ。


「昨日の一件のことです」


 また頬が膨れる。フグの真似ですか? とても似てますよ。大丈夫、似てるからそんなに膨らませなくたって、似てますよ。……いいから早くそこどけ!


「どきません! だめです!」


 心を読むな! エスパー女め! 

 眉にしわを寄せ、膨れっ面のまま睨みつけてくる。やめろその顔。可愛いだろうが。


「じゃあいいです。俺帰ります。さいなら」


 少しばかり意地悪してみることに。

 ハシゴから降りて、扉へと向かう。


「えっ!? ちょっとぉ、まってよぉー」


 カンカンカンッと急いでハシゴを降りて来る音が後ろから聞こえてくる。

 俺は振り向きもせず、ドアノブを回して開けた。


「ちょっと!!」


 グイッと制服の裾を引っ張られ、後ろに仰け反る。


「あぶないな!」


 勢いよく引っ張るものだからコケそうになったが、何とか踏ん張って堪え、転ばずに済んだ。


「何でそんな意地悪するの?」


 悲しそうな、捨てられた仔犬みたいな上目遣いで、うるうるした瞳で見られると弱る。なんかすごく悪いことした気持ちになるじゃねーか。


「冗談ですよ。ちょっとめんどくさいなと思って」

「本音出ちゃってるよっ!?」


 とは言いつつも、あっと驚いた彼女の顔には笑みが見え、その笑顔には本心が垣間見えた気がした。俺の目に映った彼女は作った笑顔ではなかった。彼女が変わりつつある事を嬉しく思う。


「それで? 何でそんなに聞いてくるんですか? もしかして、嫉妬ですか?」

「ばばばば馬鹿じゃないのっ!? 誰が少年に嫉妬なんか!」


 慌てすぎだし。バレバレ。


「まあまあ。とりあえず上に行きましょうよ」


 霞先輩をくるりと回して、ハシゴまで押していく。


「ねえ千草、もしかして……」

「何ですか? その話なら上でしますから」


 いいからいいから。と上へと促す。ハシゴに足をかけ、一段進んだところで止まる。


「ねえ! パンツ見ようとしてるでしょ!」


 チッ! ばれたか!


「黒の紐パンとはどんなにえちえちなのか。どれほどの物か気になりましたので。これはあくまで研究ですよ。ほら、行ってください。僕は下から眺めていますので」


 開き直って宣言すると、突然腹にものすごい衝撃が走った。


「へぶしっっ!!」


 俺の体は彼女の回し蹴りで後ろへと飛ばされる。


「えっち!」


 だが転ぶ瞬間、俺は見逃さなかった。ハシゴの一段登った状態で脚を上げれば、パンツは見える。それすらも俺の計算の内だということを君は微塵にも思っていないだろう。残念だったな。

 黒の紐パン拝ませていただきました。蝶々結びで固定されている紐をピッと引っ張るだけで、はだけてしまう。それを考えるだけで、鼻血が出そうになる。童貞かっ! 童貞だよっ! 

 何というエロさ。ありがとうございます。と心の中で感謝を。

 そして服を払いながら、立ち上がり、上へと登った。そしていつも通りに並んで座る。


「それで何でしたっけ?」

「えっと……あの子はもしかしてだけど、千草が告白した子?」

「そうですよ。可愛いでしょ?」

「確かに可愛いかった」


 先輩はうんうんと頷きながら言葉を続けた。


「振られた子と何の話してたの?」


 だからこの話する必要あるの?


「そうだなぁ。先輩と朝原先輩の関係教えてくれるなら教えてあげる」

「もしかして嫉妬してるの? 私にもう一人優しくしてくれる人がいた事に」


 これは嫉妬なのだろうか。ただあいつが気になるのか。この感情は何だろう……。何て言うんだっけ? 今の俺にはわからない。


「どうだろう。どちらかといえば朝原先輩のことが気になるのかも」

「何でそこ私じゃないのよっ!」


 漫才のツッコミのように素早いツッコミが肩を叩く。頭じゃなくて肩にしてくれた事に感謝しながらも、一拍置いて答える。


「これはまぁ、男の勘です。本能というか、何というか、俺に敵意を持ってる。少なからずあの人は先輩に好意がある。先輩は気付いてないかもしれないけど」

「よく見てるんだね」


 よく見てるというか、話したときの印象だ。見たわけじゃない。感じた事だ。


「あの人は優しくしてくれる人? そうじゃない気がする」

「うん。少し嫉妬くらいしてくれるかなと思ってさぁー。ちょっと言ってみただけ。千草の言ってる通りかな。デートに誘われたの」


 だから『君の女、借りるね』って事か。彼女が了承するという確信があって言った感があるな。なぜそれほどに自信があった? やはり掴めない。彼の思考は彼にしかわからないが、何か狙ってやってるというか、含みを持たせて俺に何かを伝えてるというか……難しい。

 それに安易に彼を嫌な人とは判断できない。憶測は人を間違った方へといざなう。


「デートね。俺の前でよくも堂々と……あいつ……」

「千草? 何をぶつぶつと言ってるの?」

「あぁ、いや、何でもない。で、いくの?」

「うーん。まだ返事はしてないんだよねぇ。千草はどうしてほしい?」


 あいつの自信をへし折ってやる。これは完全に私情だ。あいつの思い通りにはさせない。


「ダメだな。今は俺の女だから」

「へっ!?」


 ボンっと言わんばかりに顔が赤くなって、静かになった。体育座りしながら脚の間に顔を埋めて何か言ってる。


「俺の女……。今のセリフやばい……もしかして狙って言ってる……?」


 顔隠してても、耳が真っ赤になっているのが見て分かる。照れてんだろうな。


「だから断って。俺がいるからって」


 こうでもしないともしかしたらまた噂が広がるかも知れない。一年から三年に乗り換え。さすがビッチとか言われかねん。それを懸念してのお断り。


「わわわ、わかった。じゃあ次は千草の話ね!」


 覚えてたのかよ。忘れとけよ。


「んーしょうがないな。一回しか言わないよ。簡潔に言うと好きって言われた」


 彼女を見ると、顔から血の気が引いていく。固まってしまった。


「聞いてる?」

「え、やだ。だめだよ。だめ」

「何が? 何が嫌で、何がだめなのかな?」


 聞き直すと、バッと口に手を当て塞ぐ。


「何でもない。でも千草も好きなんだよね?」

「そうだね」

「そっかそっか。よかったじゃんー」


 顔が良かったって顔してないですよ。目が笑ってない。棒読みだし。もっと祝福しろ。


「もしかしてだけど、付き合ったと思ってる?」

「え、違うの?」

「あくまで多分好きって言われたから。まだ友達としてなのか恋愛対象としてなのかはわからないらしい」

「紛らわしい言い方しないでよ! 勘違いするじゃん! ばか」


 何で俺怒られてるの? 別に嘘ついてないじゃん。今日はコロコロと表情と感情が変わったりしてめんどくさいなぁ。


「あと今は付き合う気ないし」

「昨日の今日でそんなに気持ち変わるものなの?」


 いやいや、ここで付き合ったら………何でもない。

 ごほんっと咳払いをして、話を進める。


「とにかく俺は今、霞先輩の彼氏で噂が出てるんだから、ここで別れたら変な噂がまた立つ。だから今は一途な彼氏と彼女で通していく」

「それもそうだね。偽装カップルだ! なんかいけないことしてるみたいで私嫌いじゃない。なんかワクワクする」


 ニシシっと笑い、彼女はスマホを取り出す。


「じゃあカップルなんだから連絡先くらい知らないと。あと今度デートしよっか。ほらほらケータイ出して?」


 ほれほれと手を出し、ケータイを寄越せと催促される。


「はいどーぞ。やっておいて」


 スマホを渡し、寝転がった。

 空は季節が秋なだけあって、陽が沈むのも早くなってきている事に今更になって気付く。彼女はスマホとにらめっこ。俺は薄暗くなってきた空とにらめっこ。

 こうしていると本当のカップルと錯覚してしまうような雰囲気にのまれる。


 屋上で、君と二人。


 誰にも邪魔されないこの空間が好きになりつつある。

 だが、それを好きにはなってはいけないと自戒しながら、一つ溜息を吐き出す。

 白く吐き出された息は、風に乗って昼間の明るさを消していく様に、この夕焼けの薄暗い中へと消えていった。


「はい! できたよ!」

「ありがと」

「そうだ! カップルなんだし、千草も私のこと名前で呼んでよ」

「いいよ。霞、明日のパンツは何色かな?」


 彼女はニンマリと笑って、寝転がってる俺に近づき、俺の耳元でまたもや妖艶な声音で囁く。


「次は、赤のTバックがセオリーでしょ?」


 それに興奮した俺は反対側へとそっぽを向く。

 後ろでは、あはははっと笑っている声が聞こえる。その笑いに惹かれる様に彼女の方へと向き直る。


 彼女の笑顔がとても眩しくて。

 暗い夜へと変わりつつあるが、今この空間だけは日の光を当てた様に輝いて見えた。


 先程の気持ちが嘘になる。


 今だけは好きでもいいか。


 と、また一つ嘘をついた。

 

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