第7話:どっちつかず。

 午後の授業はつつがなく終了した。と、いえば嘘になるんだが。

 六限の体育の授業が始まる前に野木センにめっちゃ怒られました。ごめんなさいとか全然思ってませんけどね。


 放課後、きさに呼ばれた通りに外の渡り廊下へと向かった。

 相も変わらず一年には、ビッチの男という噂で色んな所から声が聞こえてくる。顔が知れ渡ってるのは一年だけ。二、三年はすれ違っても何も言われないし、嘲笑は聞こえてこない。代わりに聞こえて来るのは霞先輩の事ばかり。どんだけ好きなんだよと思ってしまう。


 ベンチにたどり着き、屋上に行く前に買ったお茶を取り出して、ベンチにもたれかかる。

 この場所も学校の穴場スポットみたいで、人通りは少ない。だが、風通しが良すぎて寒い。凍え死ぬ。

 身震いしながら、冷たいお茶を飲む。乾燥と緊張が相まってめっちゃ喉が乾く。

 お茶を飲み干して、一息ついた所で声を掛けられた。


「隣、良いかな?」

「あ、はい。どうぞ」


 隣に座って来たのは、三年生の人だった。上履きの色が違うので学年はすぐわかる。

 なぜわざわざここに座るんだ。もしや、そっち系の人ですか? とジト目で見てみる。

 十人中十人がイケメンと言ってもおかしくないほどに、隣に座った彼は顔が整っていた。声も低く、少しばかりハスキーで心地よい声だ。


「君、噂の子だよね?」


 こちらを向くわけでもなく、彼は正面を見たまま、話しかけて来た。

 咄嗟に反応する様に彼を見た。だけど俺はすぐに目を離した。


「さて、何の噂でしょうかね? 俺、疎いんでよく分かんないです」


 わかっていながらも、それを誤魔化した。


「霞ちゃんの新しい相手」


 間髪入れずに返答され、そして彼の一言で顔が強張った。

 なぜ俺のこと知ってるのかはもちろんだけど、それと霞ちゃんと言う呼び方。違和感しかない。

 この人は霞先輩と知り合い、もしくは元彼? それか振られた男? いろんな憶測が考えられる。それに俺の顔まで知ってるというちょっとした気持ち悪さがあった。


「へぇ。何で俺の顔まで知ってるんですか? なんか怖いですねぇ」

「ごめんごめん。違うから。勘違いしないで? 朝見たんだよ、二人でいる所をね」


 こちらを向き両手を振り、弁明してくる。

 だが、そう簡単に信用できるわけがないだろ。噂の根源かもしれんし。


「そうですか。まあ今は俺のなんでね」


 一部分だけ強調し意地悪くして言ってやった。だが彼は気にする素振りすらみせない。


「誰もくれなんて言ってないけどね」 

  

 苦笑いしながら、彼はスマホを取り出して誰かに連絡し始めていた。

 何だか、掴めない人だな。怪しいのか怪しくないのか分かんねぇ。

 急に話しかけてくるあたり怪しいけどな。普通に。


「何でわざわざここに座ったんですか?」

「待ち合わせだよ」


 待ち合わせね。まあ、穴場スポットだしな、ここ。人目につかないこの場所なら誰かに見られることもないからな。


「偶然ですね。一緒です。変に疑ってすいませんね。最近色々あったもんで、気にし過ぎたかもしれません」

「こっちこそごめんね。疑われるようなこと言ってしまって。自己紹介しとこうか。僕は三年の朝原周あさはらあまねって言うんだ」

「一年の月城千草です」

「機会があれば、また話そう。もうすぐ待ち人が来るみたいだから」


 軽く会釈で返事をして、彼が立ち上がった。


「朝原先輩、お待たせしました。話ってなんですかー?」


 まさかこの声が聞こえて来るとは思ってもいなかった。なぜ、彼女が彼とここで。そして何の繋がりなのか。気になってしまう。

 彼女は俺が隣にいることに気付いていない。彼越しに見える俺は、多分足先だけ。

 そして彼が一言、ボソッと俺にだけ聞こえる声で呟いた。


「君の、借りるね」


 はぁ? と苛立ちがこみ上げる。俺は立ち上がって彼女に見える様に動こうとした。

 だがそれは俺を呼び出した者に阻まれる。


「千草! お待たせ!」


 タイミングがいいのか、悪いのか。完全に今は後者だ。

 有川きさが俺の名を呼ぶ。

 それに気付いた霞先輩は顔を横にずらし驚いた顔をしている。


「少年……」

「霞ちゃん、ここはちょっとお邪魔みたいだから他所よそへいこっか」

「えっ? あっ、でも千草……私……」

「いいからいいから、ほら女の子と待ち合わせみたいだし」


 あっちへ行けと手を振って、それから人差し指を上に差し『屋上で』と彼女に合図する。

 それに納得したのか、彼女と彼はその場から立ち去って行った。

 後ろ髪を引かれる様にチラチラとこっちを見ていたが、俺も一瞥しながらもきさと話すことにした。


「ごめん。なんか邪魔しちゃった? 今のって千草と噂になってる先輩だよね?」


 彼女は俺の横に腰を下ろし、ベンチに並んだ。


「きさは何もは悪くないよ。噂ね。まあそうだけど……」


 霞先輩の目にはどう映ってしまったのだろうか。俺は史上最悪のシュチュエーションに遭遇してしまった気がした。別にどちらとも付き合ってないんだから関係ないんだけど、なぜか気にしてしまう。

 そして無性に彼女が心配になる。あの朝原周とかいう男。なんか気に食わない。


「んで、話って何? 昨日の今日で追い討ちかけにきたとかじゃないよね?」

「そんなわけないじゃん!」

「俺、今すごいドキドキしてるんだぞ。何言われるか怖くて」

「あはははっ。安心して。悪いことじゃないから」

「そっかぁ。よかったぁ」


 安心して緊張が解かれる。自分の手を見ると手汗がひどいことになっていることに気付いて、よほど緊張していたことが身に染みて感じた。

 ズボンで擦るように手汗を拭く。


「千草はまだ私のことが好き?」


 それはまた突然で。

 昨日の話の続きとも思わず。

 一瞬、固まってしまった。


「好き」


 この二文字を言うのに、さほど時間はかからなかった。


「よかった。まだ好きでいてくれて」


 彼女の言うことが理解できなかった。


「それってどう言う意味?」

「私、多分……千草のこと好きなの。周りからお似合いだよとか言われたりすることもあった。千草が私のこと好きなのも友達から聞いて知ってた。だけどそれで付き合っても周りに言われて恋愛してる気分になってるだけで、恋に恋してる気がして……それに昨日は教室で恥ずかしかったし、走って教室から出てっちゃうしで、どうしようもできなかったから……」


 俯きながら、小さな声で彼女は言った。

 言いたいことはわからんでもない。周りに言われて、触発され、好きかもと思ってたことが、いつの間にか好きに変わってしまうのが嫌なんだろう。

 自分が本当に好きって思った時が初めて恋というのだ。周りに言われて気にして、好きになったとは彼女の中では違うのだろう。

『多分』と言われたけど、好きと言ってくれた事は素直に嬉しいのだが、頭の中で一人の女の子がチラついていた。


「そうか。じゃあ俺は待つよ。いつまでも待てるとは限らないけど」

「……それもそうだよね。待っててなんて私の口からは口が裂けても言えないしね」

「それに今は付き合えない。やることがある」


 何を馬鹿正直に言ってるんだろうか。こんな事言う必要もないのに。


「綾瀬先輩のこと? 噂は本当なの?」

「噂は所詮、噂でしかない。何もかも偽りだらけだよ」


 今日の出来事を思い出す。俺は本当の霞先輩を知っている。誰も知らない彼女を知っている。あの人は泣いていたんだ。強がって、人には見せまいと。

 それを見過ごしてなかった事にはできない。そんな人間でありたくない。

 自分で決めたことだから途中で投げ出すような真似は絶対にしない。

 だから……今は彼女が一番なんだ。


「千草」

「ん? なに?」

「霞先輩の事考えてるでしょ?」


 今俺の顔はどんなだっただろうか。怒っていたのだろうか。

 きさの事をを好きと言った半ば、これでは嫌われてしまうだろうと心配になった。

 

「いっいや、別に考えてないよ」


 わなわなと手を振り誤魔化す。


「そんなに魅力的かぁ。確かに綺麗だし可愛いもんなぁ。心が変わる前に私もはっきりしないと……」


 ぼそっときさは何かを言った。

 同時に風が強く吹き、枯葉も言の葉も風にさらわれて飛んでいってしまう。

 聞き直すのも億劫なので、いっそこのまま聞こえてない方が自分にはいい気がした。


「さっ、私は伝える事は伝えたし、そろそろ行こうかな。寒いしねっ! じゃあね!」

「お、おう。じゃあな」


 ベンチから立ち上がり、風になびく髪の毛を抑えながら、こちらを向きニカッと笑顔でそう言って、校舎へと戻って行った。



 確かに寒い。高鳴る心音は寒さによって静けさを取り戻していった。


 そして一人になって、気付いてしまう。


 俺は今……どっちつかずだと。

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