第7話 馬の話


 一晩マールの家で泊った翌朝、自警団の一人がトゥユを呼びに来た。

 もしかしたら、昨日と違う野盗が攻めて来たのかと思ったのだが、そう言う訳ではないようだ。

 自警団の一人に連れられ、村の入り口まで来たが、周囲を見回しても特に変わった様子もなく、何があって自分が呼ばれたかトゥユは疑問に思った。


「実は……、この馬の事なんですが……」


 自警団の一人が指差す先には昨日エアハルトの乗ってきた馬が、昨日と変わらぬ位置で優雅に佇んでいた。


「この馬がどうしたの? 早く退かしちゃえば良いのに」


 何時までもこの位置に馬が居る事に不思議に思い、退かす事を提案するが、自警団の一人が両手を合わせて頭を下げる。


「この馬を退かしてもらえないでしょうか? 俺たちが手綱を引っ張っても動かないし、乗ろうとすると暴れるしで手に負えないんです」


 涙目になりながら自警団の一人に泣き付かれ、仕方なくトゥユが手綱取り、引っ張ってみたが確かに微動だにしない。

 それならばと騎乗してみようとすると馬が急に後ろ脚で立ち、前足を大きく上げて威嚇してきた。何が気に入らないのか分からないが、この場所から動かない馬にトゥユは興味を持ち始めた。


 ──このお馬さん何か面白いな。これから移動するにも足が有った方が早く移動できるし、手懐けて見よっかな。


『大丈夫なのか? 相当気性が荒いように見えるぞ』


 ウトゥスの心配を余所に、馬が少し落ち着いた所で鐙に足を掛けるが、体を上下させ乗らせないように抵抗してくる。

 何度挑戦しても乗ることができない姿を見て、申し訳なくなった自警団の一人が、


「そんな無理しなくてもいいっすよ。いくら何でも死ぬまで動かないって事はないと思うんで、それまで気長に待ちますよ」


 トゥユを止めようとするが、火の付いたトゥユははもう聞く耳を持っていなかった。

 それから更に何度か挑戦するとやっと馬の上に乗ることができた。

 だが、今度はロデオの馬のように上下運動に加え、回転を加える事でずっと乗っている事が不可能な程暴れ出した。

 馬から振り落とされる度に汚れていく体を見て、またお風呂に入ればいいやと思ったが、その後の事を思い出し水浴びで我慢しようと心に誓う。


 トゥユと馬の格闘はお昼を回っても決着がつく様子がなかった。

 数回に一度馬の背に乗る事はできるのだが、その後のロデオでどうしても振り落とされてしまうのだ。


『トゥユよ、そろそろ諦めた方が良いのではないか? その馬はトゥユには手に負えなさそうだぞ』


「アハハハッ、何言ってるの? こんな面白いの止めれる訳ないよ」


 そう言ったトゥユは再び馬に乗るため、鐙に足を掛けるが、簡単に弾き返されてしまう。

 再び立ち上がり、すぐに鐙に足を掛けると今度は何とか乗ることができた。

 今まで手綱を握ってバランスを取ろうとしていたが、今回は馬の首に腕を巻き付け何とか振り落とされないようにしてみる。

 馬の方も何度もトゥユを振り落としてきた影響で暴れる勢いが段々と弱くなって来ており、これはチャンスかもしれない。


 ──お馬さんの動きが悪くなった。ここで決める!


 トゥユは馬の首に回した腕に力を入れ、馬が呼吸ができなくなる事で動きが止まるのを狙う。

 狙いは見事に成功し、馬はその動きを徐々に弱め、最後には動かなくなった。


「やったー! 乗れたー!」


『うむ、良くやったな。我はもう諦めてしまうのではないかと思ったぞ』


 ウトゥスからもお褒めの言葉を貰い、騎乗したまま両手を上げて、喜びを爆発させる。

 一度下馬し馬の前に回ると、トゥユはお互いの健闘を称え合うかの如く優しく馬の顔を撫でた。

 この時、トゥユは気付いていなかったのだが、トゥユの周りには黒い靄のような物が出ており、その靄が馬を覆っていた。

 今まで反抗的な態度を取っていた馬も大人しく撫でられ、トゥユの襟の部分を噛むと自らの意思でトゥユを背中に乗せる。


「アハハハッ、やっぱり君は賢い子だね。お礼に私が名前を付けてあげる」


 馬の背に乗ったまま両手を組んで目を瞑ると、馬の名前を考える始める。色々な名前が浮かんだのだが、最後は直感で良いと思った名前に決める。


「君の名前は『ウルルルさん』に決めた! これから宜しくねウルルルさん!」


 その名前を聞いたウルルルさんは大きく嘶いた。名前を付けてくれた事に感謝をするように動き回るが、トゥユは振り落とされないようにするので大変だった。

 トゥユはウルルルさんの手綱を取り、村の周りを一周すると風が顔に当たる感覚と、日頃見る事のできない視界の高さに気持ち良くなり、時間も忘れてウルルルさんを走らせた。


 十分走り回った後、入り口の所まで戻ってくるとウルルルさんから降りて自警団の一人に声を掛ける。


「ウルルルさんは私が貰って良いんだよね?」


「ウ、ウル……ウルルル? その馬の事なら元々この村の馬って訳じゃないから自由に使ってくれ」


「ウルルルじゃないよ、『ウルルルさん』! ここまでが名前なの。でも貰っても良いんだ、良かった」


 名前を間違えられた事に少しご立腹だったが、ウルルルさんを譲ってくれると言う事なのでトゥユの機嫌はすぐに直った。


 マールに新しい友達のウルルルさんを紹介しようと家に行ってみたのだが、マールの姿は家にはなかった。

 家の裏側から金床で金属を叩いている音がするので鍛冶小屋に居るのだと思い、そちらに向かって歩を進める。

 鍛冶小屋を覗くと金槌を振り下ろすマールの姿が有った。何を作っているのか興味が沸き、マールの側まで歩いていくとマールはトゥユが来たのが分かり手を止めた。


「マールさん、それは何を作っているの?」


 不思議そうにマールの手元を覗き込むとプレートアーマーのような物が見えた。


「これはトゥユちゃん用のプレートアーマーを打ち直している所だ。まだ数日かかりそうだが、できるまではこの村にいるだろ?」


 何時までこの村に滞在するかを決めていなかったので、マールが作ってくれているプレートアーマーができるまでは村に居ても問題ない。

 居る事は問題ないのだが、トゥユはお金等持っていないので、折角マールが作ってくれても買う事ができないのだ。


「マールさん、私お金なんて持ってないよ」


 お金の事を心配するトゥユを見て、マールはおとがいを解いた。


「何を言っておる。村を救ってくれた人物から金なんぞ取れるか。黙って持って行け」


 顔に花が咲いたような表情になりマールに抱きつくと、戦斧も欲しいとおねだりをする。


「はんっ! 戦斧も持って行け! どうせあっても誰も使えんしな」


 トゥユに抱きつかれ年甲斐もなく照れているマールは勢いに負けた訳ではないだろうが戦斧も譲渡すると約束した。


父親オヤジ殺しか、怖ろしい技を使いよる』


 ウトゥスはトゥユの無邪気な行動に戦慄を覚えた。

 その後落ち着いたマールにウルルルさんを紹介すると鍛冶小屋の奥から新しい鞍と鐙を持って来て、ウルルルさんに着けてくれた。


 トゥユはマールがプレートアーマーを作成している間、マールの家の掃除を行ったり、洗濯したりとトゥユができる範囲で手伝いを行った。

 その間にはウルルルさんに跨り村の近くを走り回って遊んであげたり、レリアの所を訪れて会話を楽しんだりと比較的忙しく過ごしていた。


 ウルルルさんは非常に頭のいい馬で、何度か乗っていると、その内トゥユの意図を汲んで、指示を出さなくとも足の力の入れ方で曲がりたい方向を感じ曲がってくれるようになった。

 ウルルルさんに乗ると人馬一体となる感覚が面白くたまにマールの家の掃除を忘れたのは内緒の話だ。


 レリアは他の人より色々な事を知っていた。その中でも文字を教えて貰えたのはトゥユにとって忘れられない事だ。

 トゥユは勉強という物をした事がなかったので、会話はできるが文字を書く事ができなかった。

 それがレリアの教えで自分の名前が書けた時にはレリアに抱きついて喜び、初めて書けた名前の紙をレリアにあげるとレリアは凄く大切そうに受け取ってくれた。


 マールは昼夜問わず金槌を振り下ろし続けた。マールは一度集中し始めると周りが見えなくなり、食事も取る事が少なく、寝る時間も惜しんで作成を続けるのだ。

 おかげでトゥユは夜中に金槌の音で何度か起こされたのだが、それで文句を言う程お馬鹿な子ではなかった。

 鶴の恩返しではないが、トゥユはマールが鍛冶小屋に籠っている間は鍛冶小屋を覗くことはしなかった。マールの邪魔をしてはいけないと思ったのと、でき上がって来た物を見た時の感動を最大限にしたかったからだ。


「トゥユちゃん、お待たせ。ちょっと来てもらって良いかな?」


 五日後、目に隈を作ったマールが鍛冶小屋からトゥユを呼びに来た。最初に会った時より一回り小さくなったと感じる程、力を使い果たした姿が扉の所にあった。


「マールさん、大丈夫? 先に食事にした方が良いんじゃない?」


 そんなトゥユの気遣いを遠慮しても早く見てもらいたいようだ。

 ヨロヨロになったマールを支えながら鍛冶小屋に着くと、そこには新品と言ってもおかしくない程立派なプレートアーマーが有った。

 フルプレートではないが、胸当てと肩当て、籠手と脛当て鉄靴と十分な種類が揃っている。しかも、その全てが新品のような輝きを放っており、どう見ても打ち直した物とは思えない程だった。

 早速各々の防具を付けると体にぴったり合い、いくら動いても邪魔になる事はなかった。いつの間にトゥユのサイズを測ったのか知らないが、その腕前にトゥユは感嘆の声を上げた。

 鍛冶小屋に置いてあった戦斧を手に取り、外に出て三度、四度と振ってみると防具を着けている事を忘れる位、体に馴染んでいる。


「どうやら問題なさそうだな」


 体力を使い切ったマールが地面に座りながらトゥユの動きを見て納得をするように頷いている。


「うん、凄くいい感じ。あんまり重くないからスピードも落ちないし、とても動き易いよ」


 戦斧を足元に置き、座ったままのマールに抱き付くと、マールの不意を付き頬にキスする。


「マールさん、ありがとう。大事に使うよ」


 ただ感謝の気持ちを表しただけだがマールには刺激が強すぎたようだ。マールは顔を真っ赤にしたまま宙を焦点の合わない目で見つめている。

 意識を取り戻したマールが咳払いをしてトゥユを引き離すと、トゥユは戦斧を持ったままウルルルさんに騎乗する。

 かなりの重さのある戦斧だが、ウルルルさんはこれぐらい平気だと言う顔をしてトゥユを乗せて走り出した。

 騎乗したままで戦斧を振るってもウルルルさんがよろける事はなく、力一杯戦斧を振るうことができた。


「流石ウルルルさん、これだけ戦斧を振ってもよろける事もないなんて凄いね」


 褒められた事を分かったウルルルさんは嘶きを上げ、上機嫌で走り回る。

 一通り鎧と戦斧、ウルルルさんの状態を確かめ終わり元の位置まで戻ってくると、マールはここ数日の徹夜がたたったのか座ったまま眠っていた。

 トゥユは自分より大きなマールを背負うと家まで連れて行きベッドに寝かせた。


 マールはそれから丸二日程眠っており、目覚めた時にまだトゥユが家に居る事に驚いた。


「トゥユちゃん、まだ居たのか、俺はてっきり、もう村を出て行ったと思っていたよ」


「やだなぁ、マールさん。私はそんな礼儀知らずじゃないよ。でも、マールさんが起きたからそろそろ出かけようかな」


 わざわざマールが目覚めるまで、出発するのを後らせたトゥユは、近所に散歩に行くような気楽な感じで出発する事を告げる。

 ベッドから起きたマールは覚束ない足を気力で制御して見送りをする事にする。


 元々トゥユが持っていた物は革袋と水筒だけなのですぐに準備を済ませ、荷物をウルルルさんに乗せる。

 トゥユとマールが村の入り口に着くと何処から聞きつけたのか村人たちが全員見送りに来ていた。


 その中から村長が一歩前に出るとお礼を述べ始める。


「この村を野盗から守ってくれてどれだけお礼を言っても言い足りないのは分かっておる。だが、この村はトゥユちゃんの事は決して忘れないし、何時でも帰って来てくれ。ありがとう」


 言葉と共に渡された袋を開けると、数日分の食料が入っていた。

 この村の食料も十分とは言えないのにこれだけの食料をくれた事にトゥユは出そうになる涙を我慢しお礼を言い返した。


「村長さん、皆さんありがとう。こんな一杯の食料貰えるとは思ってなかったよ。大事に食べるね」


 次にレリアが前に出てきて必死に涙を堪えながら口を開く。


「トゥユちゃんの事は本当の妹のように接していたわ。これでずっとお別れって訳じゃないんでしょ? 必ず無事にこの村に戻って来てね。私はこの村で待っているから」


 そう言うとトゥユに抱きつき、堪えていた涙が溢れ出す。

 トゥユも貰い泣きしてしまいそうになるが、グッと堪えレリアから体を離す。


「レリアお姉ちゃん胸が苦しいよ。大丈夫、私は戻って来るから待っていてね」


 レリアに抱きしめられその胸で窒息しそうになった事を茶化しながら戻ってくると宣言する。

 それを聞いたレリアは止まる事を知らない涙を流したまま、頬を緩ませ、もう一度だけ抱きしめた後、トゥユから離れた。

 その後、暫く後ろを向ていたレリアはトゥユに向き直った時には涙はもう出ていなかった。


 村民の全員から聞こえるお礼の言葉を胸に仕舞い、最後にマールの方を向く。


「ここはトゥユちゃんの第二の故郷だ。何かあったらここに戻ってこい。お前一人位なら俺が面倒見てやる」


 そんな男前の事を言うマールに抱きつき、別れを惜しんだ後、全員に向かってお礼を言う。


「皆さん、良くしてくれてありがとう。私はこれから王国の軍に入るため、この村を離れるけど決して皆さんの事は忘れないよ」


 その言葉を最後にトゥユはウルルルさんに飛び乗ると村から出発した。トゥユの背中には何時までも村人たちからの声が聞こえ、何度も振り返り手を振った。

 村人の声が聞こえなくなるとトゥユは真っすぐ前を向き、村から一番近くにある砦に向かい、目に溜まった涙を拭った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る