少女と仮面

一宮 千秋

第一章 旅立ち

第1話 少女の話


 少女は確実に死ぬはずだった。


 少女が患っている病気は『黒化病こくかびょう』と言う物で発症すると全身が黒く変色して行き、二、三カ月で死に至ると言う物だった。

 死に至るまでの間、体を動かす度に疼痛が走り食事を摂るだけでも痛みが走るため、大変な苦労をした上で死んで行くと言う質の悪い病気なのだ。

 少女はその黒化病を発症してから既に二年が経過していた。何故、少女が二年も生きながらえているのか全くの謎で、奇跡と言うしか表現することができなかった。


 少女は全身を襲う体の痛みで目を覚ました。


「もうこんな時間か。 沢山寝ちゃったな」


 言葉を発するだけでも痛みが走るのだが、どうしても言葉を発してしまう。

 少女がいる部屋はとても狭く、所狭しと物が置いてある所謂物置と言われる埃っぽい所だった。その物置小屋で時間が分かる物と言えば板の隙間から差し込む陽の光だけで、少女はその光の加減で今が夕方だと知る事ができた。

 夕方は日に一度、母親が食事を運んできてくれる時間だった。

 食べ物を食べるだけでも痛みが走るのだが、一度、痛みで体を動かすことができず、食事を残してしまった時に、


「次に食事を残したらもう持って来ないからね!」


 と母親に言われてしまい、それからはどんなに体が痛くても必ず出された食事は摂る様にしている。

 少女がぼんやりと天井を眺めていると入り口近くでコトリと音がした。どうやら今日の食事が来たようだ。

 少女は動かす度に痛みが走る体を何とか動かし、這いずるような形で食事の入った木の器の所までやって来た。

 母親は少女が黒化病を発症してから、少女を物置小屋に隔離してその姿を見せる事はなかった。黒死病は人に感染する事はないのだが、噂では人に移るとされているため、母親は少女との接触を極力避けているのだ。


 少女が食事をしようとスプーンを持った所で忘れ物をした事に気が付いた。再び痛みに耐え這いずるように寝床に戻り、近くに置いて有った仮面を手に取る。


「ごめんね、ウトゥスのこと忘れて私だけ食事にする事だったよ。でも大丈夫、今日も一緒に食事しようね」


 少女は仮面に『ウトゥス』と言う名前を付けており、ウトゥスに向かって優しく微笑むと、抱きかかえ食事が置かれた場所に戻っていく。

 食事の入った器の前に来ると、抱きかかえていたウトゥスを横に置き、


「いただきます」


 今日も食事があったことに感謝をし、少女は食事を始める。 器の中はほとんど味のないスープに野菜くずが数個入っている程度の物だった。

 それを痛みをこらえながらじっくり時間をかけて食べ終えると「ご馳走様」と言って仮面を再び抱えて布団の所まで戻って来た。布団と言ってもそんな上等な物ではなく、ただ藁を敷いただけの物だが、少女にとってはそれでも十分だった。

 少女にとって食事は重労働だ。動かすだけで痛む体を押して、やっと食べる事ができたと思えば、口を動かす度、飲み込む度に痛みが走り、食事を終える頃にはフルマラソンをした後の様に疲れてしまう。


「ウトゥス、私の体……良くなるかな? 早く昔みたいに自由に歩き回りたいな」


 少女はウトゥスに何か有る度に話しかけるのだが、ウトゥスから応答がある事は一度としてなかった。

 抑々、ウトゥスは少女が偶然手に入れた仮面だった。少女がまだ黒化病に罹る前に村を訪れた商隊が村を出て行く途中で落としたものだった。

 少女は仮面を拾い上げ、商隊の後を追って返そうとしたのだが追いつく事ができず、次に来るまで預かっておこうと思って持っているのだが、ただ持っているだけでは寂しいので『ウトゥス』という名前を仮面に付けたのだ。

 ウトゥスは少女が今まで見た事の有る人や動物の顔と分かる様な物ではなく、白い下地に何本かの細い線が書いてある物だった。

 見方によっては何かの暗号とも思えるそのデザインを少女は気に入っており、ウトゥスの事を友達と思って大事にしている。


 少女がウトゥスを壁に立て掛けると「おやすみなさい」と挨拶をしてゆっくりと瞼を閉じる。今までいくら寝ていようとも食事の後は体力を使ってしまうため眠くなってしまうのだ。


 少女が眠り始めて暫くすると少女は真っ暗な所で漂っていた。首を左右に振って辺りを見回しても何もない。それは比喩等ではなく本当に何もないのだ。


 ──あぁ、私死んじゃったのかな? でも、痛くなかったから、運が良かったのかな? 死んだとして私はこれからどうすれば良いんだろう?


 死んだ事等ないので、これから何をすれば良いか少女が悩んでいると、


『我の声を聞きし者よ。其方は死んだのではない。ここは我の作り出した世界。その世界に其方が入り込んで来たのだ』


 そんな声が聞こえてきた。少女は死んだ訳ではない事に安堵し、死ねなかった事に残念がった。

 今の状況を把握しようと色々試してみたが、体は動く。あれ程動かす度に走っていた疼痛もここでは一切感じる事がない。

 ただ、歩こうと思って足を動かしても前に進むことはできない。手を前後に振って後ろに風を送るように動かしても何の抵抗もなく、風が起こる事もない。


『フハハハッ。 そんな事をしても無駄だ。 体が在る様に思えるだろうが在るのは意識だけ、体はイメージでしかないのだ』


 さっきから聞こえるこの声の人はもしかして何か知っているのではないだろうか? 少女は声に向かって話しかける。


「貴方は誰? 私はどうしたら良いの?」


『フハハハッ。焦らずとも良いすぐに分かる。我の声が聞こえるのがその証左』


「むう。教えてくれても良いじゃない。このケチ!」


 頬を膨らまし、怒った表情を作るが、声は意に介さず話しかけて来る。


『我は待っていた。我の声を聴きし者を。我は待っていた。我と共に歩む者を』


 ──声を聴きし者? 共に歩む者? 何のことだろう……。


『さあ、目を覚ますのだ。そこに地獄は待っている』


 少女が目を覚ますとそこは物置小屋だった。どうやら部屋に入り込む光の具合からとっくに一晩を超えて昼頃になっているのが分かる。

 体を起こそうとしたが、体を少しでも動かすと疼痛が走り、黒死病が治ったのではないと実感する。


「助けてくれ! や、やめ、やめろ……」


 突如聞こえて来た声はそれっきり聞こえなくなった。だが、違う声の悲鳴がそこかしこから聞こえてきた。


 ──野盗? こんな何もない集落を襲った所でしょうがないのに。


 少女の集落は王国で犯罪を犯した者が逃げてきて作った集落で、魔の森に近く、今まで来た事が有るのは商隊ぐらいの物だった。

 こんな特産品も金品もない村を襲った所で野盗にとってメリットがあるとは思えなかったのだが襲ってきてしまっているので仕方がない。

 近くに有ったウトゥスを手に取り、逃げようと扉に向かうが、黒化病の影響で素早く動くことができず、扉に辿り着く前に野盗に入り込まれてしまった。


「おいおい、こんな所に隠れてる奴が居るじゃないか。じゃあちょっと一緒に来てもらおうかな」


 少女の近くにまで来た野盗は少女の髪を鷲掴みにし、意気揚々と部屋を出て行く。抵抗のできない少女はウトゥスを胸に抱え、痛みに耐えながら成す術もなく引き摺られるだけだった。

 少女が連れてこられたのは集落の真ん中にある井戸の直ぐ側だった。そこには同じ様に連れて来られてた人が五人程項垂れて座っている。

 一人は老人の男性、それに壮年の男女と、青年の男性に、幼少の女性と性別も年齢もバラバラの五人だった。


「おらっ! お前もここで大人しくしていろ!」


 野盗は少女の髪の毛を乱暴に離すと、少女は地面に倒れ伏した。その時の痛みで手にしていたウトゥスが少女から離れ、地面に転がった。

 慌てて仮面を拾おうとしたが、野盗の方が少女よりも早く拾い上げ、色々な方向からその仮面を眺める。


「何だこりゃ? 仮面か? 変な模様だな気色悪い」


 拾い上げた仮面を再び地面に落とすと野盗は破壊するぐらいの勢いで踏みつけた。だが、仮面は割れるどころか罅も入る事がなかった。ただ野盗の靴の裏に着いた泥が汚らしく付いてしまっただけだった。


「ウトゥスに何するの!」


 少女が怒りをあらわにし、野盗に向かって叫ぶと、野盗の顔色が変わる。


「あん? 何だテメェは。 俺たちに逆らうなんていい度胸だ」


 野盗の拳が少女を捉え、少女の頬は黒い肌がほんのりと赤みがかり、腫れ上がる。それでも少女は野盗を睨み続け、更に何発か殴られた事で左右の頬が大きく腫れあがった。


「その辺で止めておけ。これから薬を飲んでもらうんだ。死んでしまっては意味がない」


 野盗の後ろで何やら用意をしていた男に止められると、野盗は渋々殴るのをやめた。


 ──殺してやる。私の友達を踏みつけるなんて絶対に許さない。


 少女は命令に従って離れていく野盗を何時までも睨みつけていた。絶対にその顔を忘れない様に。

 下がっていった野盗に代わって、先ほど少女に対する暴力を止めるよう命令した男が前に出てきた。


「それでは皆さんお待たせしました。先程は私の部下が暴力を振るってしまって驚いたでしょうが安心して下さい。皆さんはとても運が良いのです」


 大きく両手を広げ、一人一人に話しかける様に君たちは運が良いのだと言う事をアピールする。


「皆さんには今からここにある薬を飲んでもらいます。この薬はとても高価で一般の人ではとても手に入れる事ができないのですが、特別に皆さんに振るってあげる事にしたのです」


 ──嘘に決まっている。


 どうして集落を襲った野盗が一般人が買えないような薬を強制的に集められた人に振るう必要があるだろうか。なら考えられるのは……毒? でも、わざわざ人を集めてまで毒殺する理由が思いつかない。

 少女が他の人を見ると、他の人もこの男の言葉を信用している感じはなかった。


「さあ、皆さん! 一人一つコップを手に取ってください。私が合図しますので一斉に飲んでくださいね。因みに合図しても飲まなかった人は、後ろで血に飢えている怖い人たちからお仕置きがあります。そうですね、死んでしまう様なと付け加えておきましょう」


 醜悪な笑みを浮かべながら男は全員にコップを取らせる。それを合図にコップを持った人、一人一人の後ろに野盗が上段に剣を構えている。

 少女も痛む体を何とか動かしコップを手に取ると、先ほど少女を殴りつけた男が後ろに立って剣を構えた。


「さあ、どうぞ! 飲んでください!!」


 男が合図をすると少女を含めほとんどが覚悟を決め一気に飲み干したのだが、一人だけコップに口を付けただけで飲んでいない者が居た。

 声を掛けたの男が飲んでいない者の後ろにいる野盗に目で合図を送ると、上段に構えられていた剣が角度をつけ一気に振り下ろされる。薬と言われた物を飲まなかった人の首が胴体から離れ、地面に転がった。


「あぁ、だからちゃんと飲まないとダメだと言ったのに……。 でも、一人だけなら許容範囲ですかね」


 人が減ってしまった事に然したる影響を感じず、男は薬を飲んだものを見回す。少女も薬を飲み終わり、体に何も変化が生じない事に不安を感じ、他の人たちを見るが、誰も死んでいない。


 ──毒じゃない?


 そう思った瞬間、首を切られた人の隣の人がいきなり苦しみだした。

 奇声を上げ、首を皮が捲れる程掻きむしりだすと、爪が筋肉にまで食い込み血を噴き出したのと同時に、目、耳、鼻、口、その全てから血を噴き出し倒れてしまった。

 それを合図としたように薬を飲んだ全員が苦しみだした。それは少女も例外ではない。


 少女は胸を押さえ、一生懸命痛みに耐えているがそれもそろそろ限界だ。今まで立ち上がる事のできなかった足で立ち上がり、盛大に口から血を噴き出し、血だまりの中に倒れこんだ。

 微睡む意識の中、少女は野盗に踏みつけられたウトゥスが目に入った。どうやら少女が吐き出した血は仮面に掛かってしまった様で、少女と同じ様に血だまりの中に沈んでいる。

 だが、そのウトゥスは血が掛ったはずだが、表面に血が一切付いて居ないどころか、野盗に踏みつけられて付いた土も付いておらず、新品の様な綺麗さを保っていた。


 ──良かった。ウトゥスを汚しちゃったかと思ったけど平気だったんだね。でもこれでお別れ。最後に貴方と友達になれて良かったよ。


 その想いを最後に少女は瞳をそっと閉じた。


「ヨーム。どうやら駄目だったようだな」


 そう言って一人の男が薬を渡した男に声を掛ける。そのヨームと呼ばれた男は現れた男に跪き、それに倣って野盗も跪いた。


「ルトラース様。こんな所までお越しになるとは。しかし、どうやら耐性を持っている者は居なかった様でこの通り誰も生きておりません」


「その様じゃな、魔の森に近いこの集落の者なら或いはと思ったのだが、無駄足だったか」


 ルトラースと呼ばれた男は薬を飲んで倒れている者を一瞥すると、興味を失ったように溜息を吐いた。


「それでは私は帰るが、ここの後処理を頼んだぞ。薬の事はくれぐれも他の者には知られない様に処理をしておくのじゃ」


 それだけ言うとルトラースは集落を後にしていった。


 ヨームはルトラースに言われた通り、この惨状と薬を使って実験を行ったことを隠すため、集落で死んでしまった人間を一カ所に集め、そこに火を放った。

 炎が勢いよく天に昇り、証拠の隠滅に成功すると、部下の野盗に「撤収するぞ」と声を掛け、集落をルトラースに続いて後にした。


 勢いよく立ち昇る炎が大気を不安定にさせたのか、集落の上にどす黒い雲が集まり、やがてその雲は大量の雨を降らせることになった。

 降って来た雨は炎を消火し、そこには黒焦げた人だった物が積み上げられている。誰も生きている者など居るはずが無いのだが、その黒焦げた物は少しずつ崩れていく。

 崩れた所から飛び出た手が、周りにあった物を掻き分けると、その中から一人の少女が顔を出した。

 その少女の顔には仮面が着けられているが、少女が薬を飲んで倒れた時、仮面は少女の隣にあったはずだ。しかも、その仮面は一切の汚れが付いていなかった。

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