#007:登場で候(あるいは、その者の名は、傲然のケチュラ王)

 話は決まった。姫様の思いが定まったのならば、この私の逡巡など、それこそ砂一粒ほどの些末事に過ぎん。行くのだ、日本ジャポネスへ。


 何より心強い味方を得た。高邁で確固たる意志をヘドロで包んだような胡散臭き男なれど、その底知れぬ才気……誠に名状しがたくも心強い。


「姫様よぉ、一刻ばかりでもう発つわけだが……極力身軽でお願い申し上げるぜぇ。何といってもこの『山下り』、勝算はあれども困難さはそれこそ『針→糸』のレベルだからよぉ」


 相変わらずの姫様へのその物言いはどうにかならぬかとは思うものの、いや、これからは忍びの旅になるのであれば、それもまた巧妙なるカムフラージュとなるのでは、と、いささか買いかぶりに過ぎることを考えてもしまっている私だが。


 椅子にふんぞり返ったままのギナオアを、これまた全く意に介していないような感じで、姫様はその前に歩みを進められている。そして、


「下々の者が身に着ける服を今、モクに用意させておる。荷はおのれで背負うゆえ、お主はまさしく行軍のことのみ考えておればよい。しかしておよそ類を見ぬ険道ぞ。『勝算』と申したが……今この場で教えてくれはせんのか?」


 姫様も肚の座った、いい表情をしてらっしゃる。私はひとりでに顔の筋肉が緩んでしまうのを何とか抑えるばかりしか出来てはいない。いつの間にか間近に迫ったそのご尊顔を普通に拝してしまっている私だったが、不思議とそれが自然であることのように思えている。


「ひ、姫様、かようなる者の戯言に惑わされることなきようっ!!」


「そ、そうであるっ!! 象でもまともに進むこと叶わぬあの道をっ!! 無理やりに姫様を連れて歩き、もしものことがあったら貴様らの素っ首だけではとてもあがなえんぞ!!」


 口々に臣下の者たちが怒鳴るが、なぁにが「もしものこと」だ、お前さん方にとっちゃあ、願ったりかなったりの事なんじゃあねえか? との軽やかな言葉でギナオアはそれを封殺していく。実に小気味よい。


「象では歩き通せぬ道、そいつは重々把握してるが……ならば『人』。……『人』ならば、あ、『人』であ、る、のな、れば、あ、ど、う、かなぁぁぁぁぁぁ?」


 ギナオアが区切り張った声に、一瞬気圧される面々。しかし私も驚きを覚えている。「人」? まさか姫様をお駕籠に乗せて、歩様合至エッ=サホォ・イッサーと? いやいや流石にそれは危険きわまりないのでは……


「駕籠じゃあねえっての、大将。まさしく『人』。姫様を担いだまま、この下界までの如何ともしがたき悪路を走破しうる者。そいつを俺は知っているんでさあ」


 何と。私の思考を読んだこともさることながら、ひと一人を担いだまま、あの道を行きつける者だと? ……そのような離れ業を、出来うる人間など本当におるのというのだろうか?


「……マルオ、出てこいやぁ」


 次の瞬間、ギナオアの促しと共に、開け放たれたままの衆議の間の入り口に、巨大な影が差したのが見えた。ひとりの男……青年のようだ。見上げる大きさ。顔は三角形にほど近い見慣れぬ形であり、その巨躯はまん丸であり、風船が如く張りを持っている。異形。ではあるが、そこから立ち昇る湯気の如き力の波とでも言えばよいか、それに圧倒される。


 今日は朝から圧倒されっぱなしだ。しかし私はもう、周りに次々と押し寄せて来る奔流のいちいちに、ただただ身を委ねることしか出来なくなっている。


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