渡良瀬橋夢一夜

遥 彼方

第一章なごり雪

エピローグ


不徳を積む者

丑三の刻に渡良瀬橋を渡るべからず

さもなくば

古の彼方より

純白の龍出るであろう

その二つのまなこ

業深き人間どもの汚れし血の色に染まりけり

その紅のまなこ

まことの心見定めし

偽りあらば

その汚れし御霊

たちどころに喰らい尽くすべし

これをもって仁と成す






季節は春を迎えようとしていた。地球温暖化が騒がれている昨今、稀に見る暖冬も手伝ってか、今年の桜の開花予想は、例年より一週間ほど早い見込みのようである。

しかし、そんな予想を嘲笑うかのような、今日の夕暮れ時である。

キンと体を貫くような冷たい風が、バスを待つ孝一の傍らを吹き抜けていく。

思わずコートの襟を立てながら、ふと、暮れなずむ空を見上げると、霧状に広がった雪雲が、ゆっくりとした速度で、見事な円を描いた月を覆い隠そうとしていた。

悴む両手に白く凍える息を吹きかけると、学生時代に大ヒットしたイルカの『なごり雪』のワンフレーズが、脳裏を過った。

しかし、今日のバスは遅い。この時間帯なら、家路を急ぐサラリーマンや学生たちで賑わっているはずだか、待っているのは孝一、ただ一人であった。

少々気味悪く思いながらも、周囲に人が居ないのをいいことに、イルカの歌を皮切りに、ひと昔前の流行歌を一頻り口づさんでみる。

鮮やかに蘇る記憶の欠片が、まるでスライドショーみたく、次々と場面を変えては消えていった。

しかし、徐々に盛り上がってきた即興のワンマンショーに幕が下された。バスが来た。

だが、次第に近づいてくるのは、いつもの見慣れた白地に緑のラインが入ったバスではなく、目の覚めるような朱色一色に彩られたバスであった。

薄暗がりの中にぼんやりと浮かび上がる鮮やかな色彩は、一種独特の不気味さを漂わせていた。

「何だろう、このバスは。きっとイベントでもあって、特別に走らせているのかもな。まぁ。いいか。もう寒さも限界だし、乗り間違いなら次で降りればいいさ」

心の中で呟きながら、孝一は近づいてくるバスを見つめていた。

中央の扉がゆっくりと開く。

戸惑いながらも、抗いがたい少々の好奇心に背中を押されるように乗り込もうとする孝一の頬に、ふわり、ふわりと冷たい物が落ちては消えていった。

ふと立ち止まり、茜色に染まる空を見上げてみる。雪だった。

「やっぱり来たか、なごり雪だ」

暫しの間、見惚れていると「どうぞ」と、女の声がした。驚いたことに、ワンマンバスのご時世に、専属の車掌が出迎えてくれた。

紺色の制服を一分の隙もなく着こなし、黒髪をキッチリと結い上げ、少々目深に被った帽子から窺い知る顔立ちは、なかなかの美人である。思わず笑みが零れた。

「寒空の下、長々と待った甲斐があったな」

昭和四〇年代の中頃までは、バスには車掌が乗っていた。行き先を告げると、慣れた手つきで切符を切ってくれた。

懐かしさと共に、妙な体の重苦しさを感じながらタラップを上がると、車内から流れてくる暖かな空気に促され一番後ろの席に座り込んだ。









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