光里様

 授業が始まってからは光里もなにも言ってこなかったので、結局最後まで机をくっつけたまま、四時間目の授業を受けた。


 さて、お昼の時間だ。

 うちの学校に食堂はなく、だいたいの生徒は持参した弁当を教室で食べている。俺も普段はクラスの男子たちと一緒に食べているが、やはりこれからは光里と一緒に食べたいところだ。


 できれば二人きりで……とは思うものの、一方で、独占しすぎるのもよくないなと思う。

 あの質問攻めタイム以来、光里は俺以外のクラスメイトとまともに交流できていない。それに、ノノさん(元・俺の隣の席の女子)から聞いた光里に対する印象も引っかかる。


『なんだろ、友達作ろうって気あるのかな、って感じ?』

『あれじゃ仲の良い友達はできないんじゃないかな』


 昔の光里と今の光里は違う、それは理解してるつもりだけど……それでも、光里が友達を作る気がないというのは、ちょっと考えられなかった。


 誰に対しても興味を持って、誰とでもすぐ仲良くなれる、光里はそういう女の子だ。

 今の俺がそれなりの社交性を身につけられているのも、そんな光里をいつもそばで見ていた影響が大きいだろう。


 ……やっぱり、光里は友達を欲している気がする。なんの根拠もないが、幼なじみの勘がそう言っている。


 そんなことを考えていたら、トイレから戻ってきた光里に声をかけられた。


「あの……水科くん、よかったら一緒に食べませんか」

「え? あぁうん、もちろん!」


 光里のほうから誘ってくれるとは思ってなかったので、ちょっと驚いた。そして、めっちゃうれしい。

 ……いや、待てよ?


「もしかして、俺を見極めようとしている……!?」


 そう――きっとこれは、俺が夫としてふさわしいかどうかのテストなのだ。箸の持ち方とか、クチャクチャ音を立てないかとか、いろいろチェックされてしまうかも。


「はい? わたしはただ、お弁当を食べるなら水科くんと一緒がいいと思っただけですが……だめですか」

「だめじゃない! 喜んで!」


 深読みしすぎた。

 そもそも光里、ちゃんと俺のことを見極めようとしてくれてるのかな……?

 まぁ、最終的に結婚してくれるならなんでもいいんだけどさ。


「あ、でもさ光里、ひとつ提案があるんだけど」

「なんですか」

「せっかくだし、もっと大勢で食べるっていうのはどう? ほら、俺ばっかり光里を独占しても悪いし、光里も友達作りたいでしょ?」

「それは……はい」


 やっぱり。


「よし、じゃあ行こう!」

「……わかりました」


 光里のことを独占したい気持ちも当然あるけど、友達を作る機会は奪いたくない。

 俺は光里を連れて、今から弁当を食べようとしている女子グループに声をかけた。


「ねぇねぇみんな、俺たちも交ぜてくれない?」

「あっ、由宇真くん! と転校生!」

「ん? しなっちも一緒に食べるー?」

「おいでおいで、お姉さんたちと一緒に食べよ〜?」

「空いてる椅子あるよ、こっち座りな」

「さんきゅ〜」


 お言葉に甘え、空いている椅子に光里と並んで腰を下ろす。詰めてもらって無理やり入ったので、光里とは体温を感じそうなほど距離が近い。

 さっそく食べ始めている彼女たちに倣って、俺たちも弁当箱のフタを開ける。


「えっと、光里ちゃんって言ったっけ?」


 女子グループの中の一人が、光里に話しかける。


 彼女たちのグループは、いわゆるクラス内カーストでいえば、女子の最上位に位置している。といっても、別にクラスを牛耳っているとか、裏でいじめの糸を引いているとかそういうことはまったくなく、至って平和的で気の良いやつらだ。


 このグループを選んだのは、単純に俺が彼女たち全員と比較的仲が良いから、光里ならもっと仲良くなれるだろうと踏んだのだ。


「はい……どうも」

「由宇真くんと結婚の約束してるんだよねぇ? やっぱり今でも好きなの、由宇真くんのこと?」

「あ、それアタシも気になるー。実際のトコどうなん?」

「…………」

「好きだよ。結婚したくて震えてる」

「って由宇真くんには聞いてないし! 勝手に震えとけ!」

「ぷるぷる……ぷるぷる……っ」

「なにそれ、ちょっと可愛いのがムカつく!」

「ねーねー、ひかりんはー? やっぱ両想いなん?」

「…………」


 返しを考えているのだろうか。光里は――答えない。


「光里……?」

「…………その、」


 ようやく声を発した光里に、全員が箸を止めて注目する。

 そして、光里は言った。


「……………………別に」


 それだけ言って、顔を伏せてしまう。


「……?」


 俺が困惑していると、女子の一人がぽつりと言った。


「なにそれ、ウケる」


 その言葉につられるように、みんなの顔に笑みが広がる。


「なにその返し、新しすぎっ」

「別に……だって! めっちゃクールじゃん!」

「ねぇ、これからは光里様って呼んでいい?」

「……ご勝手に」

「いやそこは『別に』じゃないんかいっ」


 どっ、と笑いが起こる。


「光里様……とっても素敵な響きだね〜。ちなみに、私のことはお姉様でいいよ〜?」

「ジュリ、最近姉キャラになりたい願望強すぎん?」

「それな」

「あっそうそう! お姉様で思い出したけど、こないだのしゃべくるでさぁ――」


 話題が次に移ったが、それよりも俺は光里の様子が気になった。

 話に加わることなく、黙って弁当に箸を伸ばし始めた光里に、俺は訊ねた。


「そのお弁当、光里のお母さんが作ったの?」

「……いえ。自分で作りました」

「え、そうなんだ。すご」


 彩りがよくて、どれもこれもおいしそうに見える。


「うちはお母さんが忙しいですから。……よかったら、食べますか」

「えっ!? いいの!? じゃあこのおいしそうな肉じゃが、ひと口もらっちゃうよ?」

「どうぞ。昨夜の残り物ですけど」

「それも光里が?」

「はい」

「すご」


 俺は肉じゃがをひと口、口へ運んだ。


「うわなにこれ、めちゃくちゃおいしい!」

「そ、そうですか。ありがとうございます……」

「いやホントに! すべてのお袋の味がいま過去になったよ!」


 ただでさえ魅力的な女の子だというのに、料理まで上手いなんて。俺が光里を見極める必要なんてないのに、光里に対する評価が限界突破してしまう。


 俺はもうひと口だけ肉じゃがをいただいてから、お礼に好きなのどうぞと弁当箱を差し出すと、光里は迷わず冷食のエビチリに箸を伸ばした。エビチリ好きは相変わらずみたいだ。


 ……うん。みんなには悪いけど、こっちはこっちで楽しく話すことにしよう。

 そんなわけで、俺はずっと気になっていたことを訊いた。


「家族で引っ越してきたんだよね。これからはもう、ずっとこっちにいられるの?」

「はい。水科くんと別れたあとも、何度も転校を繰り返しましたが、今回で最後です」

「そうなんだ……よかった」


 これからも、ずっと光里と一緒にいられる。そう思うと、胸の奥から喜びが怒涛の勢いで押し寄せてきた。


「……言っておきますけど、水科くんと再会できたのは、本当に偶然ですから。水科くんが通う学校だって知らなかったですし。落ち着いたら友人として家を訪ねようとは思っていましたが」


 言い訳するように光里は言う。

 それが嘘ではないということは、あの驚いた顔を見ればわかる。


「なら、その偶然に感謝しないとね。光里と一緒に高校生活を送れるなんて、もう考えただけで最高だ」

「……そのわたしがこんなに拒絶しているのに、ですか」

「うん、それでも。結婚結婚って、冗談みたいに聞こえちゃうかもしれないけど、俺は本気で光里のことが大好きだからさ」


 また光里が恥ずかしがるといけないので、俺は声を潜め、耳元でそう言った。


「っ……!!」


 光里は勢いよく顔をそむけた。……もしかして、照れてくれてるのだろうか。

 でも言わないわけにはいかない。伝えたいことは、伝えられるときに伝えておくべきだろう。もう後悔はしたくないから。


「それに、言うほど拒絶されてるとは思ってないよ。結婚相手としての評価はともかく、光里が俺のこと、友達として大切に思ってくれてるのは、ちゃんと伝わってるから」

「……そんな恥ずかしい台詞、よく真顔で言えますね」

「でも事実でしょ?」

「…………それは、そうですけど。そんなことよりっ、わたしも水科くんに訊きたいことがあったんですっ」


 誤魔化すように、光里は強引に話題を変えた。


「はーちゃんとは、今でも仲……いいんですか」


 はーちゃん――俺と光里と同い年で、当時は毎日のように一緒に過ごした、もう一人の幼なじみの女の子。


「初とは……もうずっと昔に疎遠になったんだ。中学も別だったよ」

「……そうだったんですか」


 目に見えて落胆する光里。


「仕方ないですよね。仲が良かったとはいっても、小学二年生のころの話ですし……。今も、元気にしてるといいな……」

「元気だよ」

「だといいんですけど……」


 そうだ。光里が転校してきた件は、初にはまだ黙っててもらうように、あとで留奈先輩にラインしておこう。初からはなんの連絡もないから、まだ伝わってないとは思うけど。


「そうそう、初といえばあのとき――」


 ――と、俺たちはその後も二人でおしゃべりしながら弁当を食べた。

 思い出話は思った以上に盛りあがり、昔を懐かしむように話す光里の顔は、さっきまでとは打って変わって楽しそうだった。


「……失礼します」


 女子の誰よりも先に食べ終えた光里は、席を立つとそれだけ言って、誰かが反応する前にそそくさとその場を離れた。


 俺もすでに食べ終わっていたので、みんなに一声かけてから光里のあとを追った。

 みんなからは、応援の言葉となんだか生温かい視線を向けられた。


 自分の席に戻った光里の隣に腰を下ろすと、俺は言った。


「ごめん」

「……なんで謝るんですか」

「いや、光里、みんなと話してるとき、楽しくなさそうだったから。余計なお世話だったかもと思って……」


 もしかすると、光里の苦手なタイプだったのかもしれない。光里なら誰とでも打ち解けられると思ったんだけど。


「ごめんなさい」

「え、なにが?」

「空気、悪くしちゃいましたから。もうあの人たちとは関わらないようにします」

「いやそんなこと全然ないって。あいつら、というかクラスのやつらみんな、いいやつしかいないから。光里のこと、悪く思ったりしてないと思うよ」

「……なら、水科くんは」

「え?」

「さっきのわたしを見て、どう思いましたか」


 光里は、まっすぐに俺の目を見つめてくる。


「幻滅したんじゃないですか。今の灰谷光里わたしは――しょせんこんなですよ」

「…………」


 自嘲するように言う光里を見て……

 俺は、思った。


「卑屈になってる光里……可愛い。好き。プラス5000点」

「……はい?」

「クールな光里様……尊い! プライスレス! プラス20000点!」

「意味がわかりません」


 愛しい気持ちが、言葉になってあふれ出す。


「知らなかった光里の一面を知れて、俺はうれしいよ。これからも、もっともっといろんな光里を知っていきたいと思ってる。だから――結婚しよう!」


 唐突な俺のプロポーズに、光里はどこか呆れたように笑った。けれど、どこかうれしそうにも見えた。


「ごめんなさい。わたしは今の水科くんのこと、全然知らないので」

「そんなぁ!」


 あっさりフラれた。いい感じだと思ったのに。


「……水科くんは、どうしてそんなに友達が多いんですか」

「え?」

「今のグループの人たちだけじゃなくて、下垣鳴海しもがきなるみさんとか、龍ケ江たつがえさんとも楽しそうに話してましたよね。風見先輩だってそうです」


 なるみんはともかく、ノノさんと話してるところまで見られていたとは。

 というかノノさん、『興味持たれてない感じがした』なんて言ってたけど、ちゃんと名前覚えられてるじゃん。


「いや、あの、光里……? 俺別に、女友達しかいないわけじゃないからね? 男友達もそれなりにいるから! だから勘違いしないで!」

「水科くんは、やっぱり強いです。……わたしは、弱かったから」


 ぽつりと独り言のようにこぼれた言葉は、静かに虚空に溶けて消えた。


「光里……?」

「……いえ、なんでもないです」


 それは、どういう意味だったんだろう。

 ラブコメのお約束みたいに、俺のことが好きで嫉妬しているのとは、ちょっと違う気がした。

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