邪神

「けほけほ」

「よしよし。大分スッキリしたかな」

 こくんと頷く。

 心なしか胸の辺りが軽くなったように感じる。

 毛布とココアが温かい。

「あいつの事は許してやって。短気な奴だから……悪気は無いんだろうし、根っこは良い奴だし」

「大丈夫、私も言い過ぎた……」

「うんうん、素直でよろしい」

 世間で言う、いわゆる「ぽんぽん」が頭に炸裂する。(だからと言って惚れたりしない)

 いつも通りの明るい笑顔。

 また涙が込み上げてきた。

「うぇ、ぼ、ボクまた何か変な事言った?」

「違うよ、今日はちょっと涙腺が緩いだけ」

「ほ……本当に? 大丈夫?」

「あはは、優しいよね。ホント」

 心配そうに手をわたわた動かす焔に微笑みかけた。

「そういう所、好きだよ」

「……」

 瞬間、泣きそうな嬉しそうな不思議な表情を浮かべ、焔は私の手を取った。

「必ず。必ず元の世界に帰してあげる。だから心配しないで」

「……」

「約束する。二日、いや後一日で絶対に」

 余りに必死なその様子が純粋というか、無垢というか。

 何だか可笑しい。

「そんな焦らなくても良いのに」

「良くない。本当ならもう君は帰ってても良いのに」

「どういう事?」

「もう少し待てば分かる。見ててごらん」

 そう言って立ち上がる。吹いてきた風に髪がそよそよとなびいた。

 すると――。

 不意にぼんやりと地面が発光し始め、淡い光の球が一つずつ宙に浮き始めた。

「な、何これ……!」

「伝説の続き、知ってる?」

「続き?」

「聖人が残した聖水の魔法はそれより後は彼が魔法をかけた時間に世界を清めるが如く、毎日、真夜中の十二時にこの世界を見えない聖水で満たす。――それがこれだ」

「見えない、聖水……」

「最初こそ陰を浄化出来るだけの魔力があったけれど今ではその力も無くなった。――たった一つの力を除いて」

 光の球の数が増えてきた。

 今では地面が光の絨毯みたいになってとても幻想的。

 光に囲まれる焔がこちらをゆっくりと見やる。

 その視線に少しどきりとした。

「選ばれし人を故郷へと帰す力だ」

「……!」

「その条件は『聖人であること』なんて簡単なものだけど、それに適応する人間はそうそういない。だから適応する人間に作りかえる。それが出来るのが――『邪神』」

「邪神!?」 

「その詳しい仕組みとかは言えないけど、奴の魔力を使えば皆を故郷へと帰してやれるんだ。今は使えないんだけどね」

 こちらに歩み寄ってきた。

 いつもと違う雰囲気を纏った彼はとても神秘的に見えた。

 それが少し、怖かった。

「ど、どういう事なの? もっと分かりやすく言ってよ!」

 無意識に壁際に後ずさりしながら言う。

 焔ってこんなだったっけ。

「人間と邪神の間で契約を交わすんだよ。邪神に力を与える代わりに人間を故郷に帰す力を与える。それが少々荒技だからさ、今は危ないって事で封じられているんだよ」

 目の前でしゃがみ込んだ。目元が見えないけど、その口元は不気味に歪んでいる。

「邪神……」

 そう言ったのを聞いてか聞かずか、焔の右手が私の顎を持ち上げた。

「ウ……!」

 その瞬間に目が合って恐怖が背筋を通り抜けた。

 いつも白目があるところが真っ黒く染まっていたのだ。

 何というか息が止まるかと思った。

「まぁ、今は人目も無いし。結ぼうと思えば結べるけども」

「そ、そんなに簡単に結べるものなの? おかしく、ない? そんなの……」

「出来るさ。――任せてよ」

「任せるったって……」

 途端に邪神の左腕が腰の辺りにまわった。

「え、ほ、焔!? ちょっと!」

 右手が左頰を滑り親指が唇を軽く撫でた。

「ちょっと!!」

「静かに。大丈夫だから、ただの契約」

 背中のすぐ後ろは壁だから逃げられないし! 何かどんどん迫ってくるんだけど! こんなんなるんだったらじっとしておくんだった!

 ねえ、彼ってマジでこんなんだったっけ! もっと親しみやすいちゃらんぽらんだった気がするんだけど!

 ねえ、ねえ!

「動かないで。すぐに楽になれる」

 近い近い近い近い! 近い!!

 照れとか恥じらいとかそういうのより先に恐怖が体中を支配する。

「や、ヤダ!」

 伸ばした手はすぐに押さえ込まれる。直後、その隙をついてもっと体を寄せてくる。

 どうしよう、全部持ってかれちゃうかもしれない……。

 そしたらどうなるの?

 もう為す術なしの無力な人間は邪神を数センチ前にして目をつむるしか出来ない。

 呼吸音が聞こえるよ……。

「じっとしてて」

 お、終わりだ!

 そう思った瞬間、目の前を何かが横切ったような気配が通り過ぎた。

「……邪魔するなよ」

 今まであんなに近くにあった顔がそっぽを向いた。それが向いている方向を彼の影からチラリと見ると桃色の大きな蝶が不安定にひらひらと舞っている。

 目を見開いた。

「ナナシ君……?」

 あの時――いらん事を言われたあの時、彼の周りで舞っていた蝶そのものだ。

 もしかして助けてくれたの……? でも、何で?

「良いとこだったんだよ。――邪魔するんなら消えろ」

 邪神がソーテラーンの紋が刻み込まれた掌を前へ突き出し、直後、勢い良く握る。

 すると光の絨毯と化している地面から数カ所、突如陰が噴き出し蝶目がけて飛びかかった。

 ビシッ、ビシャビシャッ!!

 ひらひら、ひらり。

 陰の勢いに反して蝶は優雅にゆったりとそれらの猛攻をかわしていく。

「気にくわない」

 ガリリと歯をこすらせて右手を大きく振る。

 陰の数と勢いが一気に増した。

 蝶はまだ陰に喰われていないけど、結構ギリギリだ。

 このままだと危ない!

「焔、もう止めて!」

 攻撃を続ける焔に抱きつき右腕を掴んで邪魔をする。

「邪魔するな!」

「キャッ!」

 しかし日常的に走り回ってる少年の体力はえげつない。腕の一振りだけで壁に体が勢い良く激突する。

 そのまま壁や地面から飛び出した陰に縛り付けられてしまった。

「……!」

「後でたっぷり遊んでやるから今は大人しくしてろ」

 胸の辺りに恐怖が勢い良くどろっと流し込まれた。

「これで終わりだ」

 高く挙げた右腕を振り下ろし、陰を蝶に集中させる。

「や、止めて! 焔、目を覚まして!」

 しかし無駄だった。

 グシャッ!!

 蝶が陰に呑み込まれる。

「……!」

「やっとくたばったか。愚かな奴め」

 な……ナナシ君……。

 ナナシ君!!

「次はあんただ」

 歪んだ微笑みがこちらを捉える。

 壁に両手を置いて覆い被さるような姿勢を取った。

 そんな高圧的な壁ドンいらない……!

「早くしなくちゃね」

 異様な程黒い目がこちらを凝視する。

 冷や汗が額を滑り落ちた。

 だ、誰か助けて!


『邪神。その少年の心臓を返してくれるかな』


「……!?」

「え?」

 気付いたら私達三人以外が全てモノクロになっている。

 これって真逆……。

『がんじがらめにして彼の体を弄ぶのは良くない。ましてや自分の欲望も一緒に叶えようとしてる。例え神といえどやって良い事と悪い事位ある。そういうの、同じ霊体として見過ごしておけないんだよ』

 邪神の肩に手を置き、にこやかに語る和風美少年。

 体の所々に付着している陰が少し痛々しいけど、無事みたいだ。

「ナナシ君……!」

『ハロー、ダークヒーローちゃん。よく頑張ったね』

「邪魔するなって言ってるだろ」

 肩に置かれた手を払いのけながら邪神がナナシ君の方を見る。

『随分と長いお付き合いみたいだね。邪神を受け入れる代わりに半永久的に持続する命を手に入れた少年か。結構好き勝手やってるみたいだけど、許されないよ。あくまでその体は依り代の少年の物だ』

「余計なお世話だ」

 また邪神が手を振る。四方から飛び出した陰がナナシ君目がけて飛びかかる。

「危ない!」

 しかし、それは杞憂だった。

『Praesidio!』

 不思議な呪文を言ってナナシ君が右手を前へ突き出す。

 青い光が瞬間放たれ、陰があっという間に消滅する。

「……!」

 初めて邪神が蒼い顔をした。

『君も消滅しとく?』

 ナナシ君の右手が後ずさりする邪神の額を滑り、顔の上半分を覆うように無理矢理握った。

 魔力が込められ、右手に光が宿っていく。

「嫌だ、やだ、やだやだやだやだやだ! まだ消えたくない!」

 魔力がどんどん増幅する右手を掴み、凄まじい勢いで泣き叫ぶ。

 如何に恐ろしいのかが分かるようで、ゾッとする。

『でもこれ以上少年の体を使って暴れられても困るし、それならいっそこの機会に気持ち良くさよならした方が』

「お前の為なら何だってする! 何だってするから!」

『ホントに?』

「それにこいつは俺がいるから存在価値を保っていられるんだ。俺がいなくなれば秒で処刑される!」

『……』

「本当だってば!!」

『……、……ふうん』

 張り詰めた緊張感が辺りを支配する。

「……」

『……』

「……」

『はあ、仕方ないなぁ』

 暫くして右手の発光がふっと収まった。

 額から右手をのける。

 邪神が分かりやすくほっと息をつく。

『今回は逃がしてあげるよ。――ただし』

 そう言ったのと同時に右手を力強く握り締める。

「グア!」

 邪神が胸を突き出しながら苦しみ始める。

『代償は頂くよ? だって願いを叶えたんだもの。良く知ってるだろ』

 何かを引っ張るかのように右手を奥の方へと振る。

「ガハァッ!」

『何でもするって言ったじゃん』

「ガ、グ……」

 ニヤけた不気味な笑みが苦しむ姿を楽しそうに眺める。

 心臓から陰が滲み出した。

 とても苦しそう……!

「焔!」

『君はどっちの味方なんだい、リホ』

「……!」

『定義の定まらない君の微妙な優しさを振りかざして何になる? 代償は代償だし、悪い物は悪い。それさえもハッキリ出来ない優しさは甘えだよ』

「……」

 また痛いところを突いてくる。

『悪いね。嘘がつけないもので』

 かなりの量の陰を焔の胸から引っ張り出し、ナナシ君は空いている左手で彼の体から引き離した。

「カハッ! けほっ、けほけほ」

 ドサリ。

 解放された焔の体が力無く地面に倒れる。邪神が捻りだした陰も同時に悉く消え、私も解放された。

「焔!!」

 慌てて駆け寄り、体を揺さぶる。

 抱き起こすと彼の体は冷たく、肌も青白かった。

 まだ目を覚まさない。

「焔! 焔、しっかり! 焔、焔!」

『そんなに叫ばなくったってその子は大丈夫だよ』

 予想外の明るさでそう言うナナシ君。

 オマケに先程焔からもぎ取った陰を弄んでいる。

 強い……。

『よーっし、今からお前、僕の眷属な!』

「ねえ、ナナシ君」

『何?』

「さっきのは一体何なの?」

『え? 何って……邪神だけど』

「そうじゃなくて、全体的に!」

『何、その少年から何も聞いてないの?』

「うんと……まあ」

 この返事にナナシ君がため息をついた。

 心がズキンと痛んだ。

『彼は邪神に負けたんだ。普段は抑えてたみたいだけど君へのやるせない想いに心が一瞬弱った。そこを突かれて心臓を乗っ取られかけた。……完全体じゃなかったから良かったものの、もしも手遅れになってたらどうなってた事か』

「負けた? 邪神は焔自身じゃないの?」

『そこは良く知らない。けど生まれながらの生粋の邪神とかそういうものでは無さそう。善人面してるし』

「まあちゃらんぽらんだし」

『でもね、リホ。その少年は非常に恵まれない子だ。幾つもの不幸を呑み込んでいる』

「……」

『木の柱が折れるのは意外と突然だし、仮面の下の素顔が気付けばこと切れている事もある。明るい人の裏側ってそういうもんだよ』

 ぽつんと呟くように言ったその言葉に思わず焔の顔を見る。

 疲れ切ったような青白い顔から幸せな寝顔なんて言葉は連想できない。

 日中見せていた笑顔の数々をどのような気持ちで彼は放っていたのかな。

 頰をなぞるように指で撫でる。

『明るい人が助けを求めるのは世界で一番難しい事なんだ。こんなに限界直前なのに笑顔を作れるってだけで皆がスルーする』


 ――はーい! ボクはね、ボクはね! 忌み子なんだよ!


 ――良いんだよ! キミは美人だったし? なんてね! ワハハ!


 走馬灯のように目まぐるしく目の前をちらつく笑顔に胸がいっぱいになる。

『なにもこれは明るい人に限った話じゃない。悪態つく人だって、我が儘な人だって、それが彼らなりの助けを求める方法だったりする』

「……」

 焔の頰に雫が垂れた。

 あれ、涙……?

 慌てて拭う。

『君はそうやってどんどん泣いてるけど、この少年が涙を見せることの出来る相手に君はなれるの?』

「……」

『ねえ、リホ』

「……分かんない」

 焔の上に静かに覆い被さった。

 温かい。

 温かいな。

 ナナシ君はそれを静かに眺めていた。

『んま、リホはその子に気に入られてるみたいだし! いつかは何とかなるでしょう!』

「あ! 無責任!」

『だって僕には関係ないし。いじめがいのある眷属が出来たし、ぐへへ』

 手元に浮かんでいる黒い人形が暗黒の笑みに分かりやすくびくつく。

 今日もそうだ。彼は秋の空みたいにころころ変わる。

『――と良いね、焔』

「え?」

 今焔って言った?

『僕そろそろ行かなくちゃ』

「え、ちょっと?」

 顔を上げようとしたら下から伸びてきた手が濡れた頬を撫でた。

「どうして泣いてるの?」

「焔……」

 起き上がりながら柔らかい笑みを零す。

 頭なんか撫でなくても良いのに。

「困った事があるなら聞くよ?」

「何も覚えてないの?」

「え? 何の話?」

「……、……何でもない」

 きょとんとしてる焔の胸に顔を埋めて、力いっぱい抱きしめた。

 優しく背中をさすられるのを感じて、何とも言えない気持ちになった。

 すぐ傍を桃色の蝶がひらひらと通り過ぎていく。

(つづく)

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る