出会い

 透き通った青空の中にむくむくと湧き上がる豊かな雲が浮かんでいる。

 少年の頃にしか見た事の無いような極めて透明度の高い、素晴らしい良い天気である。

 しかしその下に広がっているのは日本ではない。アメリカでもロシアでもイギリスでもない。

 異世界である。

 知っている人は知っている、幻の地下世界。その世界は狭く、国で分けられる程の広さもない。せいぜい平均的な一県分位の広さしかない。その世界及び国の大部分を占める首都は通称「いらないまち」と言われている。

 そこに人は基本住んでいない。人らしき者は大勢いるが、そいつらは全て人ではない。頭が異様なのである。花であったり人工物であったり動物であったり……。いわゆる異形、獣人というものである。我々の文化にこういった異形や獣人が存在するのは、昔人間がこの世界と交流していた事があるからだとされているのはその道の者達の間では有名な話だ。

 ――しかし。だがしかしだ。

 だからと言って「人間」が完全にいない訳ではない。

 確かにいらないまち人は住んでいない。いるのはそのすぐそばにある小さな集落――その世界人からは「悪」と呼ばれる団体の中だけである。


 人はその世界では最も忌み嫌われる存在であったが為に、首都のいらないまちでは迎えられなかったからだ。


 無論、海沿いの石畳を走るその少年達も例外では無い……。


 * * *

『居たぞ!』

『追え!!』

 茶色のフードを深くかぶり、長いマントをはためかせながら一人の少年は石畳の上を軽快に走っていた。後ろには鎧を被った兵士が三名。どうやら彼らから少年は逃げているらしい。体重や引力とかいう概念を全く感じさせない少年の動きはどこかサーカスの軽業師と似たような雰囲気を持っている。その腕には茶色いハードカバーの重たい本が抱えられている。

 ふと、後ろから猛スピードで走ってきた兎の着ぐるみの頭を被った少年にその本をかすめ取られた。――いや、受け渡された。

「……、……」

 兎頭の少年は指でさっと合図をしてすぐにその場を離れた。どうやら今回は船で逃げるつもりらしい。兵士達はその本がもう帰らない物になったことにまだ気付いていない。

 彼らはとある目的の為、本を集めていた。それもこの世界の伝説にまつわる物ばかりだ。普通は簡単に手に入る物だが人間である彼らにとってそれは困難を極める。更には量が膨大な為、仮に文字が読めたとしても中の情報を写す時間は無い。

 盗んでくるしか方法が思い付かなかったのだった。

 今日彼らが持ち帰ろうとしているのは「満潮伝説」に関する本である。その昔、「聖人」と呼ばれる人物がこの世界を救ったという話で、この世界では日本でいう「桃太郎」位有名な話だ。

 羽のようにはためくマントを翻し少年は勢い良く走っていった。マントがそれなりに長かった為、彼が走ったり曲がったり跳んだりする度それはバタバタ音を立てた。故にとても目立つ。

 挑発しているのだ。

 兵士達は国の大事な書物を持ち帰られては困ると一生懸命彼の後を追う。しかし彼は素早い上に少しずる賢かった。その身を小さくして軽快なステップでごみごみとした人混みの中にするすると潜っていく。

『クソッ……逃がすな! 追え、追え!!』

 兵士達が二手に分かれる。内二人は人混みをかき分けて無理に彼を追う。もう一人は少年が出てくるであろう場所まで先回りした。

 今回――いや、毎度こんなにも兵士達が彼に対して労力を使うのは何も書物だけが原因ではない。彼自身だけが持つ、ある「特性」によるものだった。

 これがいささか厄介であった。この話の主軸にも深く関わるものである。何としても捕まえて、国専属の魔法使いの前に引っ張り出さねばならない。――そしてその事情はいらないまちの住人に良く知れていた。故に人混みをかき分けてその少年を追う兵士達の姿を見てそこにいた者達は軽くパニックを起こしていた。

 大通りは大騒ぎになった。

 少年はまだ捕まらない。


 * * *

 大通りのすぐ近く。

 そこをそよそよと流れる「すずかぜ川」も大通りのそれとまでにはいかないがちょっとした騒ぎになっていた。

 いらないまちの「川」は日本のそれよりもどちらかと言えばヨーロッパ寄りのものである。美しく舗装された石畳の連なる街の中を、規則正しく整備されたこれまた美しくゆったりとした大きな川が通り抜ける。その上を船がすいすい滑っていくのがこの街の風景として良く知られているのだが、その川に

 セーラー服を纏い、ゆったりと結んだポニーテールが水面でゆらりゆらゆらと揺れている。白んだ肌が鮮やかな藍色の髪とコントラストになって良く映えている。瞼が固く閉じている為、一瞬死んでしまっているのではないかとどきりとさせられてしまうが胸は微かに上下していた。

『ヒトかしらん?』

『うむ、確かにヒトであるな』

『どうするの? ただでさえ有害だというのに人間がこうも増えては……』

『ええい煩い煩い! 早く兵士を呼べ!』

『聖人かもしれないよ?』

『馬鹿をお言いでないよ。そうかもしれないと言われた奴を放っておいたから……』

『知るか! 早く呼べ!』

 異様な頭達がごちゃごちゃ集まり、勝手に色んな事を言い合っていた。しかし誰も彼女を川から引き上げようとはしない。すずかぜ川は意外と横幅が広く、深い。その上人間を触る事を彼らは出来るだけ避けたかった。――それは街全体を覆うある物体が原因だが、それについてはまた追々話すこととしよう。

 彼らの喧騒は対象が対象ということもあり、周りをどんどん巻き込んだ。その規模は少しずつだが大きくなり、すずかぜ川沿いのすずかぜ通りを異様な頭達の集団が埋め尽くすまでに至った。そしたら誰も呼んでもいないのに兵士が二人ほど来てくれた。

 彼らは話を聞いた後、手持ちの武器だった矛を器用に使って彼女を岸までたぐり寄せようとした。


 そこに丁度通りかかったのがパニックに上手く乗じて逃げおおせることが出来た茶マントの少年だった。


 この後の彼の予定は鎧は入ることの出来ない隙間のような裏道を通って兎頭の待つ船の元まで行くことだった。――しかし彼は「人間」である。

 人混みや喧騒、野次馬に興味がある。当然自分とは違う事に注目している集団の視線に興味がそそられた。

 それが自分と同じ人間に向けられていることに気が付いた瞬間フードの奥に隠れていた彼の目が見開いた。

 無意識の内に体が動き出す。

 よせば良いのに気付いたら走っていた。だから先程別れて彼を追っていたもう一人の兵士と鉢合わせた。

『いた! 、あそこです!』

 しかも援軍として兵士がもう二人、それと金髪の忍びっぽい少女。――「神殺し」とはこの少女の名らしい。手に一本の矛が握られており、その青い瞳はらんらんと光り少年を捉えて離さなかった。

「ゲッ! 神殺し!」

 走り出していた少年はいきなりの遭遇に慌ててUターンをし、大急ぎで違うルートを辿る。

『待て! 今日こそその心臓……! えぐり出してくれる!』

「毎回言う事が物騒なんだよ!」

 後ろから左胸を狙って投げられた矛をすんでのところで避け、少年は神殺しにそう言い放った。

 猛スピードで走り抜ける。一方は振り切ろうと、もう一方は振り切られまいと必死である。

 少し走った後、少年が下の方にある木の中に勢い良く飛び込んだ。

『下だ! 下へゆけ!』

 兵士達にそう命令して神殺しも少年の後に続いた。

 しかし神殺しばかりが落ちてきて肝心の少年が降ってこない。

 目が見開く。

『しまった、やられた!』

 神殺しが木の中を通ってゆくそのほんの一瞬の隙を突いて茶マントの少年は入れ替わるように上へと戻った。

 そしてそのまま元のルートを辿って少女の浮かぶ川沿いに全速力で向かう。

『奴め、川にいる人間の少女を攫う気です!』

『人間だと……!? そうか、久方振りに姿を見せたと思ったら……なるほどそういうことか』

 そこまで一人ぽつぽつと呟いたところで神殺しは顔を上げ、今までのよりも更に大きな声で兵士達に命令を下した。

 現場の空気がビリリと震える。

『者ども! 奴に指一本触れさせるな! 奴に取られる前にこちらが取るんだ、急げ!』

『『ハッ!!』』


 骨が砕けそうな程の勢いで石畳を蹴ってゆく。その奥に覗く瞳はすずかぜ川の群集を捉えて離さなかった。

「どけええええ!」

 異様な頭の群れに突進しながら彼はマントの下に隠していた右手を振った。

 ――ビシャッ! ビシビシ!

 それに伴い黒いどろどろとしたスライムのような物がそこら中に飛び散る。

『陰だ!』

『お助けえぇ!』

『わあああ!』

『ぎゃあああ!!』

 叫び声をあげながら異様な頭達が散り散りになってそこら中逃げ惑う。蜘蛛の子を散らすとはまさにこの事だ。

 彼は黒いどろどろ――陰というらしい――を右手の平からやたらめったらに吐き散らかし、時に近付いて少年を取り押さえようとする兵士の鎧を勢いでへこませた。

 気付けばそこはタールの海のようになっていた。

 独特の何とも言えない臭いが鼻につく。

「寄るな……! この子はボクが貰う」

 海の核を陣取るように川を背にして少年はフードの奥からギッと周囲を睨む。

 そして川の方に顔を向けた所を――。

 バキッ!!

 突如横から鋭い蹴りが少年の頰に炸裂した。――神殺しである。

「グハ……!!」

 突然の出来事に対応できなかった少年の体は放物線を描きながら派手に吹っ飛ぶ。その瞬間に神殺しは彼のフードをガシッと鷲掴みにし、こちらに引き戻す。赤毛のベリーショートとともに少年の素顔が露わになった。

 向こうに飛ぼうとした体が無茶に引き戻され対処が追いつかなくなる。その隙をついて神殺しは少年の腕をひねりあげ、地に突っ伏させた。頭は彼女の屈折した膝の下に押さえつけられ身動きが取れない。

『油断したな、邪神。覚悟の時だ』

「……!」

 一人の兵士が殺意剥き出しに歩み寄る。手中の矛が彼の背中に触れた。日光を浴びてギラリと光る刃に冷酷に少年を見下ろす神殺しが映った。

『これ以上「善」の手を煩わせるな』

「……」

 対抗するように無言で彼女を睨む少年。

 しかし今更である。

『やれ』

 短く、しかし確かにその言葉は告げられた。

 矛が振り上げられた。


 ――その時だった。


 ピイィィィイイ!!

 けたたましいホイッスルが空気を震わせた。

『何だ……!』

 その音を合図にどこからともなく動物頭の子ども達がわらわらとそこら中に溢れる。

 彼らは兵士達に襲いかかり、その場は混乱を極めた。

 その子ども達の強いこと強いこと。兵士達は彼らに怪我を負わすことも出来ず、どんどん押されていく。

 中には本当の獣人の子どももいれば、先程の兎頭のように着ぐるみ等の頭を被った子どももいる。

 ということは……。

 川の下流から物凄いエンジン音が聞こえる。

ほむら! 乗れ!!」

 ――兎頭である。

 その声を聞いた瞬間焔と呼ばれた茶マントの少年は神殺しの一瞬の隙をついて跳ね起き、川に飛び込んだ。

『しまった……!』

 追いかけようとする神殺しの後頭部をペンギン(の着ぐるみの)頭の少女がバットで思い切り殴りかかる。

 グワキン!!

 かなり痛そうである。――そのバットは何製なのだろうか?

 川に相変わらず浮かんで気絶している少女を焔が小脇に抱えたところを兎頭の乗る船が通過する。

 通り過ぎざまに兎頭は焔の手を取りそのままの勢いでその場を滑り去って行った。


 気付いた時には動物頭の少年少女はすっかりいなくなり、陰に汚染された街と神殺し達だけが残った。


 * * *

「フイー、危なかった。機転利かせてくれてサンキューな、うさぎあた――」

 バシッ!

 我々の予想外の明るさで礼を言う焔の頰に鋭いビンタが炸裂した。

「サンキューじゃねえ馬鹿ッ! テメエがちゃんとしてればならなかった事態じゃねぇか!!」

「ワリぃワリぃ! 今度ソルベ奢るから!」

「そのソルベを作るのは俺じゃねぇか!」

「そうだったっけなぁ」

「ったく、いつまでも変わんねぇな。そういうの……って、おま! また人間拾ってきたのか!」

 グダグダ叱る兎頭の焦点が焔の態度から少女にシフトする。

 彼女は依然として気絶したままである。濡れて冷えた体を優しく包むように焔が自分の脱いだマントをかけてあげている。

「これで何度目だ!? もうこれ以上は駄目だってケベック頭領に言われたばっかだろうが!!」

「お前だってボクに拾われた人間の一人じゃないか!」

「その時と今とでは事情が違うだろ! もうこれ以上は危険なんだよ!」

「一人だけ仲間外れは可哀想じゃないか!」

「世界の問題なんだよ!!」

「あーあー聞こえない! 聞こえない!!」

「聞こえないふりすんな! 船ごと沈めんぞ」

「それだけはご勘弁を」

 手を前にして取り敢えず謝る焔に、兎頭は喉元までせり上がってきた言葉を飲み込み、代わりに溜め息をついた。

「……世界はお前だけのもんじゃねぇんだ。皆の物なんだ。この世界が無くなったら生きていけなくなる奴らは大勢いる。それは俺ら悪だって例外じゃないんだよ」

「分かってる。その為にこうやって危険を冒してまで伝説を集めているんじゃないか」

「そうだけど……。ったく、レベッカさんへの説明はお前がしろよな」

 船は三人の人間を運びながら、いらないまちから遠ざかっていく。彼らの目指す先は少しごちゃごちゃした愛すべきあの「アジト」……。


つづく

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