第5話

年が明けて3月。アオイちゃんの桜が咲いた。

優秀なアオイちゃんのことだから、あまり心配していなかったけれど、お母さんはアオイちゃんの合格通知を聞いた時、目に涙を浮かべていた。多分、おばさんのことを思って泣いていた。私の高校の合格発表はちっとも泣かなかったけれど、アオイちゃんの時は、アオイちゃんをすぐに抱きしめた。

「おばさん…ありがとうございます。」アオイちゃんも声を詰まらせて、お母さんの背中に腕を回した。

「おばあちゃんが亡くなって大変だったのに、私たちのごはんまでお世話してもらって本当にありがとうございます。」

お母さんは、おばあちゃんが亡くなって本当に気落ちしていたけれど、久しぶりに満面の笑顔を見せた。

「いいのよう。おかげで気がまぎれたしね。本当に本当におめでとう!」

こうして、アオイちゃんとお兄ちゃんの東京行きが確定した。

「アオイちゃん、ノリのことよろしくね。ほんとに向こうに行ってまで世話をかけるのは申し訳ないんだけど。たまに様子を見に行ってやってくれる?」

お兄ちゃんは大学の近くにアパートを借りて、アオイちゃんは大学の寮に入ることになった。

「はい。たまに見に行って、おばさんに報告しますね。」

アオイちゃんにはアパートの合鍵がすでに渡されている。この信頼度の高さはすごい…でも、みんなお兄ちゃんに彼女ができたら、とかアオイちゃんに彼氏ができたらとか、そんなこと微塵も考えないのだろうか。大丈夫なんだろうか。

今日、アオイちゃんとお兄ちゃんは新幹線で一緒に東京へ向かう。昨日、5家族みんなでお別れ会を開いた。マーくんは終わった後、一人泣いていたところに私が出くわしてしまい、かなり気まずかった。

マーくんはアオイちゃんに告白して一週間後にはまたもと通り、中元家に出入りするようになっていたけれど、それは吹っ切れたとかじゃなくて、アオイちゃんが気まずくないように、とかみんなが気を遣わないように、とかそういう優しさから無理をしていたんだと思う。

「…っひ、…っひ、アオイちゃん…」しゃくりあげて泣く様子は痛ましいというか、情けないというか…。

「マー坊、また泣いてんのかよ。」お兄ちゃんの部屋で泣いているところに、カズが見つけて入ってくる。

「っひ…だって…っひ…」

「またって、マーくん、いつも泣いてたの?」

「ねえちゃんの東京行きが決まってからずっと。」

「えっ…」

「ハル、お前、今ひいただろ。」マーくんが恨めしそうに睨む。

「ひ、ひいてないよ。」

「カズ、そろそろマーくん連れて帰ってよ。俺、もう眠いし。」

お兄ちゃんはもうすでにベッドに入っている。「嫌だよう。会えなくなるよう。」と泣きながら、マーくんはカズに連れられて行き、家には入れてもらえずそのまま肩を落として自分の家に帰って行ったらしい。


おばあちゃんが亡くなって3か月ぐらい。私やアオイちゃんの受験もあって、おばあちゃんの家の遺品整理はゆっくりと進められていた。他の姉妹たちと週末ごとに集まって、なんやかんや励ましあったり、泣きあったりしながら…思い出の品が出てくると中断せざるをえなかったりで、遅々として進まないらしい。

私も受験が終わり、春休み、本格的に手伝いに駆り出されることとなった。

本当はずっと、気になっていた。

おばあちゃんの家から、あの木箱を持ち出したことがバレるんじゃないか。

あの木箱の存在をお母さん達の誰かが知っているんじゃないか。

はたまた、おばあちゃんは「秘密」と言っていたけれど、その秘密に関することが何か遺品の中から見つかるんじゃないか…

その予想が、よくも悪くも当たっていた。


おばあちゃんは日記をつけていた。

それは日々のささやかなこと。その日食べたもの。買い物したこと。楽しかったこと。その日見たテレビ。嬉しかったこと。一人で寂しいこと。その日見た夢。それらを垣間見ることは娘たちには胸の痛むことでもあり、自分たちの母親の人生を、日々の営みを思い返す楽しいことでもあったらしい。

それは何冊もあり、それら全部を読むことは娘たちにも一苦労で、だいぶかいつまんで目を通して、仏壇の和室に置かれたままになっていた。

遺しておいても仕方ないし、どうしようか…なんて話ながら、後回しにされていた何冊もの日記。

私は、お母さん達の目を盗んで、仏壇の部屋に入った。

下ではお母さんたちがお茶菓子を囲んで休憩した。

仏壇の部屋の大方のものは片づけられていた。日記だけが、行き場所を求めて隅に段ボールに入れられていた。

何冊か目を通してみる。

〇月×日

晩御飯 サバの煮つけ ごはん 大根の味噌汁 大根1本180円


〇月×日

新聞の集金 2800円


〇月×日

今日お父さんの夢を見た。

お父さんは優しかった。


〇月×日

お父さんがいなくて寂しい。会いたい。会いたい。ずっと一緒にいたのに。


多くは一言日記だった。時々長文で書かれている日もある。たまに一言で切実に書かれている言葉があると、胸がつまった。あの箱のことは書かれていなさそうだし、これら全部に目を通すのも気がひけるし、あまりにも時間がかかってお母さんたちに怪しまれるのは目に浮かぶ。

私は諦めよう、と思ってパラパラとめくる。

〇月×日

今日、ハルちゃんとカズくんが遊びに来る。二人で柱に背比べの線を描いた。二人は本当に仲がいい。二人を見ていると、昔を思い出す。


その一文を認めて顔がほころぶ。この家にもカズと私の思い出は沢山ある。

おばあちゃんの記憶にもそれが焼き付いて、印象を残していることがなんだか嬉しかった。

「ハルー!ちょっと休憩してお茶もらったらー?」

階下から母の呼ぶ声がする。

「はーい!」

私は返事をして日記を元のダンボールに仕舞う。

おばあちゃんの「秘密」は確かに気になるけれど、それは、きっとあの日、あの秋の空に、煙と一緒に上っていったんだと思おう。

季節は、もう春で、おばあちゃんの家の裏庭には桜が今にも咲きそうに膨らんでいる。















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