《初秋》ゲートキーパー ケイ

 オーケー、簡単に説明するね。


 わたしたちの世界には三種のハチしかいない。

 一つは女王。

 一つは種男カス

 最後の一つがわたしたちワーカー。

 わかった? この三つね。


 えーと。

 数の少ない方から詳しく紹介すると。

 女王。

 女王は唯一無二の絶対の存在でわたしたちすべての母。だから普通はこの世界に一匹しかいない。新女王が生まれない限りはね。


 続いていくらか存在する種男。

 彼らは交尾飛行儀式に必要な存在だけど、それが済めば用無し。今じゃタダ飯喰らいのお荷物ってとこ。


 そして彼らよりもはるかに数を誇る何千もの存在がこのわたしたち。ワーカーよ。わたしたちがこの世界の礎を築いているの。


 わたしたちの世界では皆、役割がはっきりしている。それぞれがその勤めを果たすために生きている。



 わたしはケイ。

 生まれたのは夏の終わり。この巣が二度目の巣分かれをした後だった。巣分かれはこの春、三度繰り返された。

 ナナ女王が急死して、慌てて育てたシンデレラ女王二匹が羽化して、巣分かれした。その後も順調に仲間が増えたのでもう一度新女王を誕生させて巣別れしたのだ。最後の巣分かれのとき、まだわたしは若かったから巣に残り、母さんである女王についていくことは出来なかった。今は母さんが生んだ新女王のもとで働いている。


 生まれてから成長が進むにつれ、わたしたちワーカーの仕事は変わっていく。

 最初は幼虫の世話。次は、同胞が採集してきた蜜を受け取る係。そして死んだ同胞やゴミなどを巣の外へ出す掃除係、と変遷を繰り返し、わたしは城の中心から徐々に外へと押し出され、今、この役目についている。

 ゲートキーパー。数匹いる門番のうちの一人よ。

 わたしがいちばんの年下。今日は一番年上のスズと城の入り口を守っている。


「こら、ちょっと。あんたの巣じゃないわ。頭悪いんじゃない?」


 わたしたちの一族じゃない全然知らないハチが巣に入ってこようとして、わたしは立ちはだかって尻を突き上げ、教えてやった。


「おっと、ごめんね。疲れてて。距離を計り間違えたのかな」


 そんなことを言って、そのハチはすぐに飛び立った。わたしたちは身体の中で消費する蜜の量をガソリンのように見立てて、飛行距離を測り、巣から蜜場までの距離を把握するのだ。

 わたしたちより黄色っぽいミツバチだった。


「あのハチ、外から来たヤツだよ。あの種類は気をつけた方がいい。この前、あいつと似たハチが巣の中に入って※蜜を横取りしやがった」


 スズが声を潜めた。


「わかってる。きっと、それが狙いで来たのよ。もう、そんなことさせない」


 ※盗蜜……ニホンミツバチと違ってセイヨウミツバチには自らの巣の蜜が足りなくなると、別の巣から盗むことがある。


「いってくるわ、ケイ」


 わたしよりも10日ほど早く生まれたリエがぶるん、と羽を震わせて飛び立っていった。

 彼女は優秀な採集バチで、いつも濃厚な蜜をさげて帰ってくる。

 仕事が出来るワーカーというのは大体決まっていて、残念ながらそれ以外のワーカーにはテキトーな仕事をしているハチもいる。生まれつき、だと思う。

 良く仕事をするワーカーは早死にすると決まってる。過労死、てことね。

 わたしはどっちだろう。テキトーなサボるワーカーにはなりたくないと思っているけども、しゃかりきになって早く死ぬのも嫌だと思っている。自分では可もなく不可もなく、という存在だと思うけど。


「邪魔だよ、ウロウロすんな、カスが!」


 ガラの悪い言葉を投げつけて、また一匹のワーカーが外へ飛び出していった。

 すぐ近くにいた種男オスバチがおたおた、とあわてて奥の方へ引っ込むのが見える。


 そうね、でもアイツらより、わたしの方が百倍マシだわ。


「情けないねえ。ああはなりたくないよ」


 スズが大袈裟に言って茶色の毛が密集した頭を振った。


「交尾飛行で女王に選ばれなかった種馬の哀れな末路さ。死に場所を逃して、生きる恥さらしだねえ。それでもおまんまだけは食いやがる。いいご身分だよ。出て行きゃいいのに」

「羽がちぢれてたもの、今の種馬。出来損ないだもの。あれじゃ、女王に選ばれっこない。以前に飛べないでしょ」


 わたしは、知らない交尾飛行の様子を年上の姉さんから前に聞いたことがある。


 青空の高く晴れた日。新女王が多くのオスバチたちと飛び立つ。

 壮観だったそうだ。

 他の城の新女王たちもいて、他の城のオスバチたちもいた。羽音が唸り合い、ここそこで交合の声が聞こえ、求め合うオスとメスたち。すごい騒ぎ。

 新女王は恍惚として次々と男たちと交じり、男たちは女王と抱き合い、果てたあとは次々に死んでゆく。全てが混じり合う乱交飛行だ。

 バタバタと落ちてゆく死体となった種男食糧たちを見て、地面にいたアリたちがらんらんと目を光らせながら、それでも呆れたように空を見上げて言ったらしい。


『なんとまあ、淫乱女が。何匹のオスとヤルつもりだい』


 アリの世界とわたしたちの世界は違うらしい。


『我らの女王は一度にただ一匹のオスと抱き合うものを。なんとも浅ましい。見境い無しじゃないか』


 ※(女王アリは一匹のオスだけと交尾し、そのオスの精子を使用して全ての受精卵をつくる。スズメバチも同様。アリはスズメバチの進化系だという説もある)


 何言ってるんだろう。見境いが無いわけじゃない。ちゃんと女王はオスを選んでいる。

 自分の城以外のオスと抱き合っているのに。


 ※(近親交配を避けるため、女王バチは自分の巣以外のオスバチと交尾する)


 軽蔑したように言うそのアリが腹ただしくて、その場にいたお姉さんはそのアリに言葉を投げた。


「じゃあ、あんたの一族はハズレを引いたら一族全員が大ハズレになっちまうんだ。女王に見る目がなかったら、その時は終わりだねえ」


 目を白黒させたアリを想像して、聞いていたわたしは胸がすいた。

 何種類もの種を受け取って子供を産んだ方が良いに決まってるじゃないか。

 良い種も悪い種もあるだろう。それでも失敗作しか出来ないような種を一つだけ受け取った日にはどうするんだろう。わたしたちのように何種類もの種があった方がいいに決まってる。


 だとすると、今、わたしたちワーカーにいろんなワーカーがいるのも、いろんな種があるからだということになるだろうか。

 わたしはぼんやりとそう思った。

 サボりがちのワーカー、そこそこなワーカー、過労死するまで頑張るワーカー。

 それらは父親の違いによって出来る差なのだろうか。

 わたしの父親はどんなオスバチだったのだろう……と考えがよぎる前に、既にわたしは興味が失せていた。

 どうでもいい、そんなこと。


 それよりも、何種類もの種を偏ることなく、受精させて産み落とす絶妙な出産バランスの女王の力量にこそ、わたしは感動した。


 やっぱり、母さんはすごい。


「ただいま」


 さっき出ていったリエが帰ってきた。後ろ足に花粉団子をぶら下げて蜜でお腹をいっぱいにして。

 重そうによたよた、と必死に歩きながらこっちにやってくる姿はなんだか可愛い。


 --キケン。


 わたしはどきり、として思わずリエを呼び止めた。


「ちょっと待って、リエ」


 リエに近づき、わたしはリエを探るように触角で確かめる。


 --キケン。邪悪なるもの。キケン。邪悪。


「なあに、ケイ?」

「ええと。特に変わりはない?」


 わたしは確認しながら、嫌な胸騒ぎを覚えた。

 なんだろう。なんだかうまく言えないけどすごく嫌な感じがする。


「ないわよ」


 頭に花粉がついたままのリエは中に入ろうとする。


「ち、ちょっと待って」

「なんなの? 急がないと。いい蜜場を見つけたの。他の巣の蜂たちも気がついている。早い者勝ちよ」

「……ごめん、わかった。なんでもない」


 結局、胸騒ぎの原因がわからなくて道を譲ったわたしにリエはにらみつけながら巣の中に入った。


 それからすぐに、わたしはリエとのやり取りをすぐに忘れてしまった。


 でも、それから羽化したての若い妹たちが巣の中で咳をする回数が少しずつ増えていった。






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