第3話(2/2)

 日曜とは思えない台数のフォークリフトが広大な倉庫の中でせわしなく、されど危なげなく人と物との間を往復している。かくのごとき物流の現場を見下ろすうちに、つい社会科見学の気分で青ずくめの女子高生は目を遊ばせていた。

 だが、そんな学生チックな目的でここへ訪れたわけではない。

 輪花は同じ作業服を着た男に呼ばれ、はっと我に返った。そのまま廊下の窓に別れを告げて、かりそめの清掃アルバイトを再開する。

「向こうの廊下、モップがけ終わりました」

「じゃ、あっち」

 男は花の女子高生から顔をそむけ、

「曲がった先の階段と玄関。終わったら来て」

 どこかうわずった声でそう指示すると、口ひげをかきながらせかせかと去っていった。

「おじさん、ごめんね……!」

『――さて。仕事に戻ろうか』

 ひとりになったのを見計らったようなタイミングで、輪花の耳に付けられた無線機が語りかける。

『君の仕事はシンプルだ。僕の誘導に従い、隠された密売の証拠ブツを胸ポケットのスマホで撮影する。副業はだめだ、自主的に辞めばっくれてもらう』

「はあ……それはそうと、ここってただの物流センターですよね。ほんとにあるんですか?」

『もちろんさ。なんせここはサクジが元国務大臣と結託して建てた違法倉庫だからね』

「違法倉庫? そんなふうには」

『おっとペテン師に法律を聞いちゃいけないよ。さあ出発だ』

 スウィンドラーに言われるがまま歩を進めるさなか、「そういえば」と輪花は切り出す。

「どうしてわたしに潜入させたんですか? 隠し場所がわかるなら自分で行けばいいのに」

『怖くなった?』

「言わなくてもわかるでしょ……」

 万引きの常習犯。すなわち悪人といえど、同じ悪――いや、比べるのがばかばかしくなるほどの巨悪を相手に、果たしてなにができようか。できようはずがない。数日前に体験した悪夢を思えば当然の帰結である。

 そう苦悩する女子高生の臆病風を、嵐の勢いで笑い飛ばしたのはスウィンドラーだった。

『今の君は《Owletオウレット》、フクロウの子だ。風を切り、音もなく羽ばたき、食品ロスと闘ってきたオウレットなら必ずできる。僕を信じてほしい』

「変なあだ名かと思ったら、そんな意味が……」

『ああでも、由来については髪型が』仕事人は言葉を呑む。『回れ右。そう、その部屋。そこを越えればゴールは目前だ』

「……開けます」

 ペテン師にされた輪花は、身に余るような仕事に終止符を打つべくドアノブを引いた。

 ほの暗い空間がフクロウの子の瞳に映る。見えうる情報をもうせんとまなこになって視線を投げ続けたが、しかし目に入るのは厚紙でできたファイルが詰まった棚ばかり。

 ゴールとおぼしき扉は、その影さえも認められなかった。

「…………ない」

『なにがある?』

「部屋の真ん中と、壁一面に棚――書類かなにかでぎっしりの棚があります」

『けれど図面にはもう一部屋。んー、棚で隠すとかつれないなあ』

「そんなっ!? こんなの、とてもひとりじゃ動かせません!」

『だろうねえ。はてさて』

 立ちはだかる棚。過ぎゆく時間。けしてかんばしい状況とはいえないだろう。

 にもかかわらず、なおもスウィンドラーの声音こわねから余裕が失われる気配はなかった。

『オウレット。もう一度聞こう、そこにはなにがある?』

「た、棚と、照明と、消火器と、それから、それから……」

『結構。――では盤面をくつがえすとしよう』




 一線を退しりぞきながらも作曲によって芸能界に居座る男、サクジ。

 日曜の三時過ぎといえば、かつての相方さえ知らない事務所の聖域で趣味の音をつむぐのが常であったが、今日に限っては別だった。

『ガチサク』のトレードマークだったサングラスを外し、裏仕事のために仕立てたスーツを羽織る。たくを終えたブツの帝王は臣下の足を使い、ものの十数分でとある建物へと駆けつけた。密売組織の隠れみのもとい違法倉庫である。

 ――書類保管庫が消防法違反だというとくめいの告発を受け、消防職員が立ち入り検査に乗り込んできた。

 その程度の報告すら無視するつもりはない。しかしながら、密売組織の総締めがわざわざ現場に赴いたのは、それ以上にふざけたメッセージを見せられたがゆえだ。

「お待ちしておりました。連中は書類保管庫の前にいます。今すぐご案内させ」

「いらん。それよりあれは持ってきたな?」

「は、こちらに」

 ドスのいた帝王のひと声に、黒服の男が口角を引きつらせる。シルク調の包みを差し出そうとする部下の手は心なしか震えているようだった。

 サクジはもぎ取った包みの硬い感触にほくそ笑む。そしてまわりの黒服たちを次々押しのけ、倉庫の通用口から離れていく。

「ど、どちらへ行かれるのですか?」

「取引だ。たった一度きりの、な」

 愚か者への制裁を。

 サクジの心を支配する怒りは、りょうげんの火さながらに燃え上がっていた。

 ――作曲家の休日をおかした一通のメール。

 続けて携帯電話をうならせた臣下の急報により、それがからの招待状だと思い至るのは容易だった。

 職業柄、こうした手合いからの革命運動は枚挙にいとまがない。ゆえに帝王はこれまでのように手ずから権威を振るい、落とし前をつけさせてやると固く決意していた。

 サクジは倉庫の外壁に設けられた非常階段とはしごを登り、惨劇が開かれるであろう屋上に立つ。あいたいするは帽子を深くかぶった作業服の男。清掃員が貧民ならば、まさにおあつらえ向きの配役だといえよう。

 登場した主演の姿に気づくやいなや、男はゆるりとこうぎょうの辞儀を見せ、舞台の幕を切って落とすかのごとくおおぎょうに口を開いた。

「ご来場、まこと恐悦の至りでございます。取引には応じていただけるということでよろしいですね?」

「どこまで知った」

「これについては多少なりとも」

 男は口ひげをさするいやらしい手を後ろに回し、ぱんぱんのリュックから小袋をひとつ取り出した。

「仕事中に偶然見つけましてね。もしやと思い、倉庫を管理している会社の役員を調べたら、フフ、大当たりでしたよ」

「前金として五十万用意した。『告発は手違いだった』と今すぐ連中に伝えれば、あとで十倍の金を」

「プッハハ! そんなはした金じゃ動きませんよ?」

 帝王による最大の譲歩は、にくていぐちの密告者にすげなくいっしゅうされた。

「困りますねえ、金で裁きを免れたほどのお方が出し惜しみだなんて」

「バカにしてんのか!? これ以上、こんな取引に出せる金なんざねえ!」

「あるでしょ、ここに」男はコンクリートの床を蹴る。「隠してますよねえ? ありったけの白い財宝を」

「…………そこまでかぎつけたからこそ、告発の材料にあの書類保管庫を選んだ、か」

 こいつは知りすぎた。

 ただそれだけの事実によって、サクジが取引に応じる理由が今、崩れた。

「まったく、掃除屋ぜいがよくやったもんだ。ブツのありかを突き止めるばかりか、この俺を取引の場に引きずり出すとはな」

「……ク、クク、掃除屋、ねえ……?」

「なにがおかしい」

 サクジは声を荒らげる。

 刃向かう者みなひしがせてきた圧力をもって、よじれる口ひげの真意をただそうとした。

 けれど男は答えない。壊れたように抱腹し、言葉にならない奇声を漏らすばかり。

 しかしてひとしきり空を笑ったのち、息も絶え絶えにようやく発したのは、帝王をものともしないようなあざけりだった。

「ただの派遣がぁ? 頼まれてもない部屋に来てぇ? 棚を勝手に動かしたぁ!? ウッソだろお前!? 頭シュークリームかよ!」

「なんだと?」

「ペテンにかかる愚か者だと言ったのさ!」

 そこで男は帽子と口ひげを両手でつかみ、仮面を脱ぐかのようにそれらを天高くほうった。

 現れしは無個性のぼうせっぱくの髪。

 無辜むこの清掃員をかたり、ブツにまつわる言葉質ことばじちを取ったスウィンドラーのしたり顔がそこにあった。

「弱みを握ったからって一般人が悪党をゆするとかないでしょ。過剰な警戒心はしょっぴかれたトラウマってやつかい?」

「てめえ……ここの掃除屋じゃねえな!?」

「似たようなものさ。そこの裁かれぬ悪ゴミを掃除しに来たわけだし」

「ふざけやがってぇ!!」

 見知らぬ白い頭を前に怒り心頭に発したサクジは、スーツの内ポケットから包みをつかみ出し、その中身をあらわにする。

 作曲家が持つべき楽器とはおよそかけ離れているそれは、邪魔者を始末するための仕事道具――もろびとの手に収まる凶器であろうピストルだった。

「少しの間は喜ばせてやるつもりだったんだぜ? そのチャンスをつぶしたのはてめえ自身だがな」

「アハッハハハ! いいユーモアセンスだ。実にこうばしい」

「黙れ! 俺をこけにしやがって!」サクジが引き金に触れる。「その罪を今! ここで償わせてやる!」

「ハ――――罪、ねえ」

 スウィンドラーから笑顔が消える。

 修羅場は何度もくぐってきた。なのに震えが止まらない。

 ピストルなどよりはるかに冷たい氷の眼光を前に、サクジの体はかんなきまでに凍りついていく。

あくぎゃくどうの踏み跡はおろか足もとすら見誤るか。劇的だけれど、あまりに罪深いな」

「……うるせえ。撃つぞ……!」

「盤面はとっくに覆した。チェックメイトだよ」

 言い切るより早くスウィンドラーは踏み切った。上体をぜんけいさせ、ひたと見すえた一点めがけて弾丸の速さで宙を飛ぶ。

 押し迫る白い頭が背負ったリュックの持ち手を握り、抜き打ち同然にそれを振りかぶってきたところでサクジもまた引き金を引いた。

 たまらず反射的に撃ってしまったが、この距離であれば外しようがない――つかの間のうちにサクジが予見した勝利は、しかし幻のごとくかき消える。

 鳴らぬ銃声。吹かぬ銃火。

 まるで持ち主を裏切るかのようにピストルが沈黙していたのである。

 スウィンドラーはちゅうちょなく、絶望に顔をゆがめる帝王に背負う鈍器リュックを振り下ろした。




 おぼれるような苦しさにサクジはがんけんをこじ開けた。繰り返し咳き込みながら、やっとの思いで頭を持ち上げる。目の当たりにしたのは、水滴がしたたるバケツ片手に毒々しく片笑むスウィンドラーの立ち姿だった。

 反撃する絶好の機会かと思えたが、突き出そうとした腕はどういうわけか背中から動かせない。それどころか、膝を組んだ姿勢から立ち上がることすらできなかった。

 そこでようやく状況を察したサクジは、帝王にあるまじきしゅうたいを演じさせた白い頭を睥睨へいげいする。

「手すりに縛るぐらいなら、いっそ突き落としたらどうだ」

「ここからじゃだめさ。地獄にはとても届かない」

「くそっ! たままりさえなけりゃこいつが地獄行きだったのに……!」

「あいにくだけど事故じゃない。中身マガジンを確認しなかったお前のミスだ」

 そう言ってスウィンドラーは不細工なリュックを下ろし、見せつけるようにチャックを開く。あろうことか、一本の消火器が物という物の中に無理やり詰め込まれていた。

「書類保管庫からこれを持ち出して消防法違反をねつぞうし、倉庫内部を混乱させた隙にべつむねの社長室へと忍び込み、使われるであろう切り札から銃弾エースを盗む――アドリブながら、うちの新人はよくやってくれたよ」

「仲間がいやがったか……食えねえ野郎だ」

「ああ、それと」スウィンドラーはリュックをまさぐる。「実はこれ、倉庫にあったものじゃないんだよねー」

「なにを……っ!?」

 突きつけられた小袋。白髪よりも白い粉。

 それに人生をささげてきたがゆえに、ブツの帝王はおのが誇りにかけて食らいつく。

「ならどこだ!? それほど高純度に仕上げたブツを! いったいどこで手に入れた!?」

「ブツだと思った? 残念、ヨーグルトに付いてるお砂糖でしたー!」

 その男は悪魔の顔で狂喜した。

 小袋を食いちぎり、ブツにそっくりだったそれを口に含んでせせら笑う。

 ずぶ濡れのサクジを涙もろとも否定するかのように。

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