第2話ーーおっさんはテンプレに満足する

 そこは薄暗く、少しジメジメとした場所だった。壁や天井は地肌剥き出しのゴツゴツとした岩が目立つ。床だけは何故か整地されたかのように真っ平らだ。

 だが一切窓も見受けられないのに、なぜかうっすらと部屋内は発光しているかのように全体を見渡せるようだ。

 そんな場所の中心の床には、ガラスのような透明な破片が直径5mほどの円を描くようにあり、こんもりと山のように積もっている。円の周りには9つの黒い布の塊が均等な距離に丸まって落ちていた。


「イタッ……ウゥ」


 円の中心から、破片を押しのけるように呻き声を上げながら這い出してきたのは、階段から落ちて死んだはずのおっさんだった。


「俺は……確か階段を踏み外して……?」


 周りをキョロキョロと見回しながら呟いていたが、ふっと状況の違和感に気付き口を閉じた。


「霊安室か?」


 暗くてジメジメした場所、そして転げ落ちた事は覚えていたためでの発想だろう。


「いや、霊安室はもっと整ってるしコインロッカーみたいな場所か……ではなんだ?」


 おっさん、物知り顔で霊安室を否定しているが、すべてはテレビドラマからの情報である。ただ今回はその無駄知識も役立ったようだ。


「ってでも何で裸……わからん」


 恐る恐るゆっくりと立ち上がり、真っ裸のままに辺りを改めて見渡した。


「すみませーん、どなたかいらっしゃいますかー?返事をお願いしまーす!!」


 大声を上げてみるが、己の声が響くだけで何の反応もない。耳をすましても聞こえてくるのは部屋内の壁をチョロチョロとつたい流れる水の音だけだ。


「ちょっと!本当に誰か居ないんですか?」


 少し不安になってきたおっさん、声も段々と心做しか小さくなっている。


「あっ、扉がある」


 鈍色の扉を隅に見つけるとそちらへと進む――内股になり片手で股間を片手で胸を隠すように押さえて歩いていた。誰も居ないとわかっても、堂々とぶらんぶらんとさせて歩けない自信のない中年である。


 まるで牛歩のような歩みでようやく扉に辿り着いたおっさん、押しても何も反応せず半泣きになり、引く事を思い付いて喜ぶという1人芝居をしてから、そっと……10cmほどを開けて顔を覗かせた。

 そして、直ぐに慌てるように扉を閉めて座り込んだ。


「ななななななななんだアレは……まるでアニメで見たオーガじゃないか、頭にツノが生えていたし」


 そう、扉の向こう側には現実世界では創作物以外には決して存在しないような恐ろしげな生物が跋扈していたのだ。


「まままままままさか、まさか俺は異世界転移したのか?いや、そんな訳ないな……アレはコスプレ、うんそうに違いない。きっと一般人を騙して喜ぶテレビ局の仕業だな。ドッキリとか認めませんよー!!私は肖像権侵害を認めませんので、早くスタッフさん来て説明をお願いします!じゃないと訴えますよー!!」


 大声で叫ぶが全く反応はなかった。それでもおっさんは諦めず叫んでいた……股間と胸を必死に隠しながら。


「げふっげふっ……ざげびづづげだぜいでごえが……」


 15分間ほど無駄に声を張り続けたせいで、どうやら喉が枯れたようだ。

 胸に当てていた手を喉に移してげふっげふっしている。


「ぞどのびどだちにいえばよがったのが……」


 ようやく気が付いたらしい、またそっと扉を開けて顔を覗かせた。


「どごのデレビぎょくかじりまぜんが訴えますよ!」


 少々のドヤ顔で宣言した、宣言したのだが相手は怯むどころか手に持った斧を振り上げおっさん目掛けて走ってきたではないか。

 また慌てて扉を閉めたのだが、そこに勢いよく打ち付けられた斧……ドゴンっという激しい音と、衝撃が手に伝わってきた。


「え……マジ?マジで異世界転移したの?」


 あれ程したがっていた異世界転移、警察官に不審者扱いされ職務質問までされながら願った異世界転移が、その身に起こっていた。


「マジかよっ!異世界転移!!……って、マヌケな神様による土下座とか、ドジっ子女神の謝罪はないのかよ!?嬉し恥ずかしの初めてのドキドキスキル選びタイムはどこ行った!!チート満載、俺TUEEEEはどうなった!?」


 おっさん念願叶って喜ぶどころか、文句言いまくりである――神をマヌケだとか、ドジっ子だとか言う奴に神様が現れる訳がないだろう。それどころか天罰がなかっただけマシだろう。


「はぁはぁはぁはぁ……クソっ!あれか、これはよくあるステータスを表示すると色々記載されているタイプか、そこに神様からの伝言があったりするやつか、うんそうだ、それしかない」


 おっさん怒りのあまりに息を切らしていた……それでも股間から手は離さない。よっぽど自信がないようだ。

 1度はよく読んでいたライトノベルのようなテンプレがない事に肩を落としていたが、新たな可能性を思い出してまた気勢を上げた。


「よしっ!ステータス!!……ステータス表示!!……ナビシステムカモン!」


 おっさんの声は虚しく薄暗い部屋に響く……何の反応もないままに。


「じゃ、じゃあ鑑定!……これもダメなのか……どうなってんだよ!!担当の神様!説明を求める!!」


 思い描いていたテンプレがない事におっさんは大きく肩を落とした。若干涙目でもある。


「1人で異世界転移……チートはないし、伝説の剣も防具もないどころか服さえない。更には外には恐ろしいオーガが武器を持って待ち構えている……詰んでる……詰んでるよ」


 唯一と思われる扉へともたれ掛かり、呟くように己の境遇に涙する――異世界転移しなくとも早晩詰んでいただろう?それは言っちゃいけない、気付いてはいけない。これでもおっさんはいつかはビッグになるぜという、なんの根拠もない自信を無駄に夢見ていたのだから。


「誰かが助けに来るのを待つしかないか……ううっ、なんか寒いな」


 もしかしたらの可能性を夢見たあと、日の一切当たらない岩に囲まれた空間にいるせいかおっさんはぶるりと身体を震わせた。

 そして円を描くように布が丸まって置いてあったのを思い出して、それに走るように向かった……それほど寒かった訳では無い、9つの物体がチート装備かも!?と夢を見たのだ。


「な……なんだ?……重っ……うわっあぁぁぁぁっ……ヒッ」


 布の一端を持ち引き抜こうとしたが固かった為、少々強引に引っ張ったら……ゴロンと塊はひっくり返った。それはまるでミイラのようなガリガリになった人間がカッと目を見開いていたのだ。

 死とは無縁にのほほんと生きてきたおっさんが悲鳴を上げて尻もちを着くのも無理はないだろう。


「も、もしかしてこれ全部そうなのか!?」


 怯え這うようにしながら、残りの塊をそっとひっくり返していく……そして全て予想通りに同じような表情をしたミイラだった。


「なんなんだよっ!どうなってるんだよっ!俺が何をしたって言うんだよっ!元に戻してくれっ!!」


 おっさんが何をしたかといえば、小さなお社にあげを備えて異世界転移を願った事くらいだろう。正しくその通りになったというのに、おっさんは完全に泣きながら叫ぶ、叫び続けた。

 そしてまるで赤ん坊のように、産まれたままの姿で膝を抱えて丸くなった。


 どれほどおっさんはすすり泣く肉塊と化していただろうか……いや、それほど経っていないのかもしれないが。おっさんは突然ムクリと身を起こした。なぜなら扉の向こうからまるで鉄と鉄がぶつかるような音や、聞いた事のない叫びが聞こえてきたのだ。


 未知のものへの恐怖と怯え、だが微かな希望を抱きながら待つ事数分、扉がギシっと錆びたような音をたてて開いた。

 そして入ってきたのは……二本足で立ち、まるで西部劇のような服を着て、銃ではなく腰に剣をぶら下げたネコだった。


「ネ、ネコ!?」

「にゃっ!?喋る新種のモンスターかにゃ!?」


 驚く両者。

 そしてすぐさま剣を抜いて構えをとるネコと、驚いたまま固まっているおっさん。


「サクッと討伐してやるにゃっ!」

「うわぁぁぁっ!ちょっと待って!!敵じゃない、人間ですっ!」

「モンスターじゃないのに、こんなところで裸でいる人間なんていにゃいにゃっ!知恵が回るかもしれにゃいが、それには騙されにゃいにゃ」


 ドヤ顔で胸を張りつつ、剣を大きく振り上げるネコ。それを見たおっさんは……両手を上げて腹を見せるように倒れた。服従のポーズである、命の危機の前にはプライドなんてサクッと捨て去る潔さを持ったおっさんだった。


「うーん、イマイチ信用にゃらにゃいな……でもモンスターは絶対に服従のポーズをとる事はにゃいにゃしな……まずは髪の毛を上げて額を見せるにゃ……ツノはないみたいにゃね……じゃあ、にゃんでそんな姿でここにいるにゃか説明するにゃ」


 おっさんの言葉と態度を信じるか否か迷った様子のネコは、とりあえず剣を仕舞いはしないが話だけは聞いてみる事にしたようだ。


「はい〜!実は……」


 チャンスを貰えたおっさんは、階段を転げ落ちた事から今までの事を説明した。そりゃあもう必死に、身振り手振りを交えて――だがそれでも片手は股間を押さえたまま……右手左手を交互に変えるその姿は、まるでどこかの芸人のようでもあった、蝶ネクタイもお盆はないけれど。


「異世界転移ってにゃんにゃ?うーん……ちょっとそこを離れて部屋の隅に行くにゃ」

「はいっ」


 ネコはおっさんが移動したのを見届けると、そろそろと部屋の中心……おっさんが気付いたらいた場所へと歩み寄った。そして腰を屈め地面をジロジロと眺めている。

 そこにあったガラスの破片のようなものはなぜか消え失せていた、その代わりに黒いシミのようなものが大きな円を描いているようだ。


「これは邪神召喚の陣にゃね……ふむ、わかったにゃ!!」


 しばらく検分していたネコが突然叫んだのは、まさかのテンプレだった。

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