第5話






「………………」


 柚月は、盛大に皺を寄せていた。

 自室のベッドにて、寝転んだままの姿勢で反省する。

 つまらないケンカを売ってしまった。

 不良たちを殴り倒せばすっきりするかと思ったが、反対にイライラを溜め込む形となった。

 とまらない悪循環。

 この状況を断つ方法はないのだろうか。もし、あるのなら何でもするのに。


 柚月はむくりと起きあがる。

 トレーナーの襟から革紐を引っ張り、蒼色の勾玉を取り出した。中は空洞でとろりとした液体が入っているのか、持つ角度を変える度に反射した光がゆっくりと移動する。


 漣と初めて逢った時、別れ際に渡されたものだ。

 彼が言うには、元の世界と【月鎮郷つきもりきょう】を繋ぐ媒介のようなものらしい。常に身につけておかないと、召喚された時に【次元の狭間】に閉じ込められてしまう。そんな脅しにも取れる説明のせいで、嫌でも手放せなくなった。


 柚月はむっと唇を引き結ぶ。

 時々、これを叩き壊してやりたい衝動に駆られる。


 一方的に利用されるのは、まっぴら。これ以上、漣の思惑に流されたくない。

(……でも)

 ちらりと側にある机を見る。

 押し花のしおり。

 熱心な読書家でもないのに、それだけがたまっていく。

 毎回、宗真からもらう花だ。捨てられなくて、手元に置いてある。


 いつか、宗真が朧気に話してくれたことがあった。

 柚月が召喚される以前、【月鎮郷つきもりきょう】は内乱に荒れていたという。政治を担う【九衛このえ】の当主を巡る争いが郷のあちこちで勃発し、貴族たちは自分の身を護ることのみに固執した。

 新しい当主が選出されたことで争いは鎮静化したが、内乱により疲弊した土地と経済、人心は短期間で癒せるはずはない。

 郷を立て直しを図りたくも、【九衛このえ】は深刻な人手不足に陥っていた。

 当然の流れではあるが、政治に関わっている彼らが互いに潰し合い、投獄もしくは一家極刑にまで追い込まれたためだ。

 今現在、漣ひとりが治安維持に努めているが、それもいつまで保つか。


『荒れた郷の治安を取り戻すために、ぜひ力を貸してください』

 あの潤んだ大きな瞳に見つめられると断れなかった。

 文句たれつつも呼び出しに応じているのは、宗真の頼みを無視できないからだ。他に理由なんかない。


 自分に言い聞かせるように、強く念じる。でなければ、なにか大きなものに呑まれてしまいそうだった。それが何なのか、柚月にはわからない。


 自分が触れていいものか。そんな不安もある。


「柚ー。ご飯だぞー」

「はーい」

 部屋の外から呼ばれた声に返事をする。

 ドアを開ければ、鼻をくすぐる匂いに空腹を思い出した。

 階段を降りてダイニングに向かうと、エプロン姿の大柄な男と鉢合わせになる。

「さぁ、早くお座り。今日は、柚月の好きなアスパラの牛肉巻きを作ったんだ」

 兄の柾人まさとだ。

 にこにこと上機嫌で、椅子を引いてくれた。テーブルには、他にも筍の土佐煮、絹さやのごま和え、小松菜と油揚げの味噌汁、山菜おこわと手の込んだ料理が並んでいる。

「わー、おいしそう……」

 柚月が顔を綻ばせ、吸い寄せられるように食卓に近づくと、兄が不意に尋ねてくる。

「そういや、今日はどうした? やけに遅かったな」

 何気ない言葉に、柚月の肩がビクリと跳ねた。

 兄の柾人は単身赴任の多い父に代わり、大学へ通いながら柚月の面倒を見てくれている。そのせいか、妙に勘が鋭い。隠し事などがあるこんな時には少し心苦しい。


「……うん。ちょっとね」

 なるべく当たり障りのない返事をしたつもりだったが、柾人は目を見開いた。

「ちょっと!?」

 身内の贔屓目としても、兄はいい男だと思う。

 整った顔立ちに、健康そうな小麦色の肌。アメフト部で鍛えられた体躯は、がっしりとした筋肉に覆われている。成績も悪くなく、人当たりもいい。

 頼まれると断れない。というより、頼りがいがとてもあるため、老若男女の誰からも好かれている。その証拠に柾人の妹というだけで、彼の同級生(特に女子)に可愛がられたものだ。

 漣も、協力をあおぐなら兄のような人間を選べばよかったのに。つくづく十人並みの自分とは違う。母親の胎内にいる時に、兄は二物どころか三物も四物も与えられたのだろうと柚月は分析している。

 恨んではいないが、今の兄はその面影もなく顔色が悪い。せっかくの美形が台無しである。


「まさか……柚……か、彼氏とかできたのか?」

「なんで、そうなるの」

 兄の突飛な予想に眉をひそめれば、さらに表情が堅くなった。切羽詰まった様子で肩を掴んでくる。

「ほ、本当なのか!? 女子高生が『ちょっと』って口にしたら、『彼氏の家にお泊まり』だってゼミの女の子たちが言ってた!!」

「それ、かなり偏った情報だと思うけど」

 動揺するあまり問題発言をする兄に対して、柚月は至極まっとうな意見を示す。

 普段、漣のような血も涙ない鬼を相手にしているせいか。いつの間にか、向こうが先に取り乱すと冷静に対処できるようになったらしい。

「そうなの?」

 妹の言葉に涙を浮かべ、柾人が首を傾げてくる。

 仕方ない。正直に白状してやるか。

 彼は、本気で心配しているだけだ。痛む腹がある身としては、さっさと折れるべきだろう。

 柚月は右手を上げ、宣誓するような仕草で答える。

「うん。それには胸を張って否定できる。天地神明にかけて」

「ああ、よかった!」

 言い終わらないうちに、抱きついてくる。

 いちいち暑苦しいが、柚月はされるがままになっていた。

 何せ兄は自分に物心つく前から、この調子らしい。他に兄もいないため、比較もできない。諦めて受け入れるしかなかった。

「じゃあ、何か悩み事か?」

「んー……」

 腕の中で問われ、頭の中に率直な説明文が浮かんだ。


『実は、謎の毒舌陰陽師に異世界へ召喚されて戦ってるんです』


 などと、言えるわけがない。

 少し風変わりな兄ではあるが、そんな説明を頭から信じるとは思えなかった。

 何か他にごまかす言い訳がないかと考えていると、顔を覗き込まれる。間近で見ると、我が兄ながらますますいい男だった。

「安心しろ。兄ちゃんは、いつだって柚の味方だ。悩み事なら相談に乗ってやるぞ」

 親指を立て、爽やかな笑みを浮かべる。

 口角から零れる白い歯がキラリと光った。

 我が兄は、そんな古くさい表現が似合う不思議な魅力を持つ人物である。


「お兄ちゃん……」

 見惚れたように呟く柚月は、兄の背後を指さした。

「お鍋、吹きこぼれてる」

「のーんッ!」

 頭を抱えて絶叫する。すぐさまキッチンへ走り出す忙しない人だ。振り返ったシャツのバックプリントには『お兄さまと呼ばないで』とある。


 頼まれたって呼ばないのに。一体、どこで購入してきたのやら。

 椅子に座り、テーブルに頬杖をついて、あたふたする柾人を見つめながら。

(ごめん。お兄ちゃん)

 とだけ、胸中でごちる。

 人を信じる、信じないの問題ではない。人に話す、話せないの問題でもない。どうしようもない悩みだ。

 極端な例えだが、世界が変わって価値観さえも根底から覆らないかぎり、解決しそうにない気がした。






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