第25話 亀裂

 客室に行くと、周が純白で革張りのソファーでくつろいでいた。

「お前さん、すっかり具合がよくなったみたいだな。挨拶サボって可愛い娘さんにちょっかい出しに行くぐらいには。俺にいつも女遊びするなと言ってるくせに」

 アーネストは珍しく眉根を寄せて言った。その表情を見ても、周は臆したりはしない。

「別にちょっかいは出してねえよ。あの子がヘレニウム病の患者なんだろ? 一応話だけでも聞いとこうと思ってさ。病気の原因の解明にもつながるかもしれねえし」

「お前さんはいつも一匹狼だなあ。協調性がない。今日は特にそうだな。いつも以上に落ち着きがなないし……」

「先生には言われたくねえよ! いっつもあんたの独断に振り回されてんのは誰だと思ってんだよ! 俺がいつも以上に落ち着きがないってんなら、先生こそ様子がおかしいぞ。いつも飄々としてるくせに、なんで今日はそんなピリピリしてんだよ」

「ちょっ、ちょっと! 落ち着いてください。周さん、杏樹さんの具合はどうなんですか? 聞いたんでしょう?」

 一触即発の二人の様子に、和葉は怖気づきながら仲裁した。

「ああ、あいつ……あの子がヘレニウム病だってことは間違いなさそうだ。食欲不振で自殺未遂してあの様子……。ただ、どこで感染したのかは分からねえ。戦争中も、終わった後も深窓の令嬢として育てられていたみてえだからな。周囲にも病気の感染者はいない」

 周は首を傾げて、困ったように眉間をポリポリと掻いた。

「はあ……分からないな……。やっぱりヘレニウム病はウイルス性の病気じゃなくて、幽霊に憑りつかれて発症する病気なんじゃないか?」

「先生、あんた大学教授なのに非科学的すぎるんじゃねえか」

 呆れたように背を向け、周は置かれた紅茶に銀のスプーンを入れた。

「私も幽霊はないと思いますよ……」

「そうか? 何か答えを見つけるときには共通点を見つけるべきだが、お前たちはヘレニウム病の患者の共通点を探してみたか? 三雲ちゃんは死者の多い戦地に行って、南部地区の工場の人たちは川の汚染に間接的に関わっていた。これらの共通点は、『死と関係している』ってことだ!」

「じゃあ杏樹……さんはどうなんだよ。あの子がそういうことに関わっているとは思えねえが」

 アーネストは髪をかき上げてため息をついた。

「それが問題なんだよなあ。まあ、それはおいおい考えていくってことで……」

 問題は結局解決はしなかったが、周とアーネストの機嫌が治ったことに和葉は顔を緩ませた。


 和葉たちは翌日から病気の調査のために、杏樹と話をすることになった。同時進行で「ヘレンの書」も捜索する。「ヘレンの書探し」の方は東野家が積極的に協力してくれるため、和葉たちはあまり本腰を入れることはなかった。

「これで杏樹さんの病気が治らなかったらどうします? 私たち、すごく丁重に扱われていますけど……」

「全くだ! でもまあ、有人さんは優しい人みたいだから咎めたりはしないだろ」

「優しい、ねえ……。いざというときに裏切りそうじゃねえか? ああいうタイプって。一見頼りなさげだけど、自分の身に危険が及びそうになったらあっさり冷酷な判断を下したり……」

「周さんは人を疑いすぎじゃないですか? どんな生き方をしたらそんな考えをするようになるのかな……」

 和葉の言葉に周は「うるせえよ」と呟き、本を開いた。それは東野家の歴史に関する本で、他出禁止らしい。

「東野家はやっぱり戦争に参加していないみたいだな。周囲に被害者もいない。だが戦争の被害者を家に呼んで低金利で金を貸したり、中央地区のスラム街に寄付をしたりしていたようだが……。偽善もたまには役に立つもんだ」

「中央地区のスラム街って、最初に行ったところですか?」

「そーそー。周もそこに住んでたよな? ほら、あの子たちが住んでいた近くに井戸があったろ。それも東野家が寄付した金で作られたらしいぞ」

「へえ、あのセンスのない井戸がねえ……。やけに装飾品が多いなとは思ってたんだよな。井戸に美しさなんていらねえのに。金持ちの道楽は、俺には理解できねえよ」

 その言葉にアーネストは苦笑いをしながらため息をついた。


 ひねくれたことばかり言う周だったが、案外杏樹との会話は上手くいっているようだった。和葉ににとって美形同士の会話に加わることは憚られたが、周は遠巻きに見ている和葉の傍に寄った。

「お前も何か話してやれ。俺とばっかじゃ飽きるだろ」

「そんな……私なんかじゃ、聞きたい情報聞き出せないですよ。だいたい、病気になった原因の解明なんてお医者さんがやるもんじゃないんですか? 私たちが三雲さんの病気を治したって言うのもデマだし……」

「今はどこも医者不足だからなあ……。この家に来た医者も、ヘレニウム病にはお手上げだったそうだ。それなら、素人でもいいから暇つぶしの相手でもした方がいいだろうよ。気分転換にもなるし、患者と打ち解けないと聞き取り調査もできねえしな」

 周の目力に押されて、和葉は杏樹の傍に寄った。その瞬間、比較的穏やかだった彼女は口元を歪ませた。あからさまに和葉が嫌だという態度を出している。

 普段友人と話すときのように、くだらない話をすればいいのか? 数学の先生の口癖が気になること、昨日見たテレビ番組の感想、クラスで一番格好いい男子について……。どれも杏樹には伝わらない。

「あんたたち、一体何なの? 孤独な私のお話し相手にでもなってるつもり? そんなのエゴよ。必要ない」

 和葉は頭が痛くなって、泣きながら庭に出た。



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