第7話 絆・3

 翌朝、まだ夜が明けきらないような時間からブラドは旅立っていった。夜遅くまで話し込んでいたが、ほとんど眠っていないような状態でもブラドは元気だった。普段からあまり長い睡眠は取らないのだという。ポルトたちのように見張りを交代するような相手もいないのだから、生き抜くためにはそうせざるを得ないのだろう。

 彼は、目的なんて特に無い、ただ性格的に町で他人と共に生活するのに向いていないので自分は町の外で生きているだけだとそう言っていた。ポルトも同じかもしれない。ああしてずっと外で生きていく未来もあるのだなと、ポルトはぼんやりと思った。まだポルトには将来なんてわからない。わからないから旅をするのだ。いろんなことを知ろう。世界は広い。


「嵐のような人だったね。でも楽しかった」

 ブラドが風のように消えていった方向を見つめてポルトは笑った。こんな出会いもあるのなら、旅は本当に楽しい。昨日まではあんなに不安でいっぱいだったのに、すっかり楽しい気持ちが戻ってきていることにポルト自身も驚いていた。持ち前の好奇心が刺激されたこともあるのだろう。

 ただひとつ、気になっていることがある。気持ちがすっきりしたことで、もやっとしていたものの輪郭が次第にはっきり見えてきたような気がする。


 昨日一日ゆっくり過ごし、夜も早々にブラドとの話を切り上げて眠ってしまったレダは、その間にまたみるみる回復していた。

「傷治るのすっごい早くない?」

 傷口を清浄して薬草を塗ろうとレダの服をはだけて見たが、胸についた天竜の爪痕はもうミミズ腫れ程度になっている。もはや治療の必要もなさそうだ。

「昨日いっぱい食って寝たからかな」

「そんなことある?」

「そうは言っても、現実こうなってるからなあ」

「左腕は?」

「普通に動く。まあ、強く殴ったら鈍痛は走るけど、問題ないね」

 腕をぐるぐる回して、折れてるかもしれないといっていたあたりをトントンと拳で叩いているが、痛みはなさそうだ。とても三日前に大怪我を負っていた人には見えない。

「まあ、回復が早いに越したことはないだろう。そろそろまた移動を始めないとな。地図も手に入れたし、少しは進みやすくなるだろ」

 レダは誤魔化すみたいに話をそらす。

 おかしいなと、ずっと思っていた。レダが目覚めた昨日の朝から。

 ちょっとずつちょっとずつ、小さな違和感が積み重なる。


 初めはレダが目覚めたときだった。その時は特に何も思わなかったのだが、今になって思い返せば違和感の始まりはそこからだ。

 二日間自分が眠っていたと知ったレダは、その二日間ポルトがどうしていたのか尋ねることをしなかった。いつだって自分の事よりもポルトの事をまず心配するのがレダだ。自分が崖から転がり落ちて血塗れになりながらも、転がり落ちてもいないポルトに怪我はないか?と聞くのがレダという男なのだ。それなのに二日間、自分の知らない間にポルトが怪我をしていないか、何か困ったことはなかったか、レダは何も問わなかった。見たところポルトが無事であることは一目瞭然であったけれど、それでも正常なレダならば問うてくるはずなのだ。


 次の違和感は弓の話をしたときだ。あの時は明確におかしいと感じた。けれど、自分の体が思うように動かないことが影響しているのかもしれないと無理やり納得した。

 レダはポルトのすることがどんなに馬鹿げていたってそれを否定することはしないのだ。あの場面、通常のレダならば、試しにポルトに弓を射らせていただろう。たいして上手くもない弓の腕を軽く笑いながらもコツを教えてくれたりして、それでも獲物など捕らえられない現実を見てから、やっぱり狩りは俺の役目だなとか、もっと練習してからだなとか、そんな事を言うのだ。可能性がどんなに低くとも、あんな風に頭ごなしに否定することはない。ポルトが他人にいつもそうされていることを、何よりも嫌がっているとレダは知っているからだ。


 そして、決定的だったのはブラドに対する態度だ。警戒心が強すぎる。いや、確かにレダは警戒心が強い方であると思う。ポルトよりずっと慎重だし、周りをよく見ていて的確な状況判断をする。けれども警戒していることを警戒している相手には決して見せないのだ。警戒なんてしていないように見せて、人懐っこく懐に入り込むのが得意だ。そうして油断させて情報を聞き出したり、内側から攻めていくのが常套手段なのだ。昨日のように敵意剥き出しで警戒するなんていうことを、初対面の相手にすることは決してない。


 レダがおかしい。それは間違いない。でも何故だ。怪我をしたぐらいでこんなに変わってしまうことがあるだろうか。

 昨夜ブラドと話しながらもポルトはずっと考えていた。実は記憶喪失なのではないかとか、重篤な疾患を隠しているのではないかとか、その原因となる可能性を考えては現実的ではないと消していく。そして考えうる一つの可能性にたどり着いた。確信はなかった。けれどそれ以外に説明がつくものが見つからないのだ。


「ねえ、君は誰?」

 攻撃は唐突に行うのが最も効果的であるとポルトは判断した。疑っていることなどおくびにも出さず、普通の会話の途中で突如切り込む。

「レダの格好をしているけれど、レダじゃないね?」

 一瞬であるが、彼は動揺した。視線が泳ぐ一瞬をポルトは見逃さない。自分の考えた仮説が正解であるとポルトは確信した。

「レダの体に何が起こっているのかは僕にはわからない。だけど今のレダが僕の知ってるレダではないことはわかるよ。物心つく前から一緒にいるんだ、馬鹿にするな」

 はだけた服を掴み引き寄せ、強い視線で見据える。


 驚いたようにしばらく固まった彼は、やがて視線を逸らし、ごめんと呟いた。


 反撃されることを予想していたが、彼はポルトに抵抗することなく項垂れていた。

「俺は地竜だ。名をラバスと言う」

 レダの声で、レダとは違った口調で彼は告げた。

 やはりそうか。

 一瞬にして人格が変わってしまった人をポルトは知っている。地竜に食われたのだと大人たちは言った。魂を食われ、体を乗っ取られるのだと。

 だけどポルトが知るそれは、狂人のようになるものばかりだ。なぜこんなにも理性的に、言葉を喋り思考し、ポルトを騙すほど精巧にレダの振りまでできるのか。こんな事例は聞いたことがない。

 可能性を考えはしたが、まさかという思いは拭えなかった。けれど彼自身がそれを肯定する。

 それが、事実。

 レダの、いや、ラバスの服を掴むポルトの拳が小さく震える。怒りなのか悲しみなのか憎しみなのか、はたまた驚愕なのか好奇心なのか脱力感なのか、湧き上がる感情が複雑すぎて発露の仕方がわからない。ただただ大きな塊が胸の奥から込み上げる。


 唇を噛みしめ、うっすら涙を浮かべ、小刻みに体を震わすポルトを、ラバスはなすがままにただ静かに見つめていた。





 ———なぜ君はここにいるの?なぜ君はここにいないの?


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